受刑者からの手紙が来た。
これで3通目である。
面識のない私と文通しているのだから
つまり、家族との交流もないようである。
刑務所でも職業訓練があるので
受講するよう勧めたのだが、
「身元引受人がいないと受講できない」らしい。
そんな馬鹿な・・・
刑務所での受刑態度が悪ければ
受講できないのはわかるとしても
「身元引受人がいないと受講できない」というのは
さっぱり、わからない。
こういう理不尽な判断基準がまかり通っているわけである。
これでは再起を図ろうとする者が
社会復帰後の生活手段としての
資格を取得しようとしても
できないではないか。
累犯刑務所であるがゆえ、
受刑者の再起について
刑務官はあまり関心がない(笑)
そうとう雑な待遇のようである。
手紙の文面から
「どうして文通しようと思ったのですか?」
という質問があったのだが、
もともとはマザーハウスの紹介からであり
かつ、罪からの救いは私の課題だからである。
キリストの言葉では
愛が必要なのは
「罪人と病人」なのである。
罪ある人を救えない愛など愛ではない。
それほど立派なことを言おうが偽善にすぎない