佐賀市内にあるエビス像は840体。
日本一の数です。
ずいぶん以前から不思議に思っていたのがエビス表記。
「蛭子」をなぜ「エビス」と読むのか?
どう読んでも「ヒルコ」。

しかし、エビス神のもともとの名前は「蛭子(ヒルコ)」なんですね。
イザナギ、イザナミの第一子です。
第二子が「オオヒルメ」、すなわち「アマテラス」
ふたりは兄妹の関係です。

「蛭子(ヒルコ)」はどうやら障害があったようで、3歳になっても足が立たず、船に乗せられ海に棄てられます。
ここまでは「古事記」の記述。

ところが13世紀になって突然、「蛭子(ヒルコ)」は龍神に拾われて育てられ、兄(??)のアマテラスに参内し、アマテラスから「お前は龍神に育てられて戻ってきた。これからは民のために働け」とさとされ、「夷(えびす)三郎」と改名し、西宮神社に祀られることになります。

妹である「アマテラス」がなぜか兄になり、第一子であるはずの「蛭子(ヒルコ)」はなぜか「アマテラス」「スサノオ」の弟、第三子の「夷三郎」になって、神格化されます。

なぜ、13世紀になってこのような創作がなされ、「エビス信仰」が生まれたのか??

その謎を探るヒントはやはり「13世紀」という時代背景と西宮という立地。

13世紀、鎌倉幕府が開かれて間もないころ。
源氏が政権を得るに、決定的な戦はいうまでもなく「壇ノ浦の戦」。
源義経は水軍の協力を得て、「壇ノ浦の戦」において、平家に壊滅的な打撃を与えます。
源義経が協力を得たのは、紀伊の熊野(和歌山)水軍200余艘、伊予(愛媛)の河野水軍150艘。

水軍とは海を生活圏とする海人族に組織された軍事力。
当時の海人族は水軍をもち、また海運や交易などでも経済力をもつ一大勢力。
政権を得たばかりの鎌倉幕府はこの海人族を味方につけておく必要があったはずです。

また、海人族は自らの正当性を得るために、アマテラスを主神とする中に自分たちの神を位置づけさせたかった。

そこで、海に棄てられた「蛭子(ヒルコ)」を蘇らせて、「アマテラス」の弟として「格下げ」し、「夷三郎」として前述のシナリオを創作し、新たに神格化させた。

そして、紀伊の熊野(和歌山)水軍と伊予(愛媛)の河野水軍の勢力が拮抗する立地「西宮」に「夷神社」を創建した。
海を守り、福をもたらす神として。

そう、七福神の福をもたらす神々が船でやってくるように。

このような推理は状況証拠からしてほぼ間違いないと思っています。
ちなみに、西宮の産婦人科ではダウン症の子どもが生まれると「福の神が生まれた」といい、祝福するそうです。
ちょっと、いい話ですね。

さて、なぜ、海から福の神々がやってくるという、神話がどこで生まれたのでしょうか??
ここでもう一歩踏み込んで考えてみるのも面白いかと・・・(笑)

日本でのその起点となった出来事があるはずで、おそらくそれは徐福にあったものだと考えています。

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