【明治維新当時、日本最強だった佐賀藩】

明治維新を遂行した4つの藩、薩長土肥。

肥は肥前、つまり佐賀藩のことですね。
佐賀藩が最後に来るのは、明治維新で最後に参戦したからでしょう。

佐賀藩が明治維新で幕府軍との戦いに初めて参戦したのは上野寛永寺に立てこもった幕府軍「彰義隊」との戦い。

佐賀藩がもつアームストロング砲に目を付けた長州の大村益次郎が佐賀藩に参戦を懇願したことから、鍋島直正公は武雄領から1000人の兵と4門のアームストロング砲をもたせて派兵。

また、当時佐賀藩は連射式の最新式スペンサー銃も装備していました。

当時世界最強だったアームストロング砲をもつ武雄隊は、上野寛永寺の正面から攻めていた薩摩軍とは別の3km離れたところから寛永寺側面に向けてアームストロング砲を放ち、幕府軍「彰義隊」をせん滅。

その後、武雄隊は北上し、会津戦争で会津城に立てこもる会津軍を遠方からアームストロング砲で砲撃、ハチの巣にします。

戊辰戦争の最終戦争、函館戦争では、佐賀藩は日本初の蒸気機関による戦艦を派兵し、海上の制海権を掌握、海上からの艦砲射撃で陸上の要塞を破壊、五稜郭も制圧し、新政府軍は戊辰戦争に勝利します。

日本初の蒸気船「凌風丸」は佐賀藩の三重津海軍所で製造されました。

アームストロング砲、蒸気機関による戦艦をもつ佐賀藩は日本最強の軍事力をもっていたのです。

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