九州は台風の通り道だ。
年平均3.2~3.3回ほど台風が通過する。
時には甚大な被害をもたらし、
家屋の損害、死傷者が出てしまうこともある。

だが、その台風も、地元の漁師さんにとっては
決して、災いをもたらすもの、というだけではない。
台風が来ることにより、海が荒れ、
海底が掘り返されることによって、
海草が豊かになり、結果、牡蠣の豊作などにつながるという。

人間にとって不幸な災害であっても
それはまた別の側面も有しているのである。

人生には不幸なアクシデントはつきものだ。
時に失意し、絶望の淵に立たされる。

しかし、その不幸な出来事も
別の側面が必ずあるはずだ。
「不幸な出来事」の裏には
何かしら別の意義を見出せるはずだ。
別の道に通じる何かを・・

アウシュビッツ強制収容所から生還した
ビクトル・E・フランクルは次のように語った。
「人間はあらゆることにもかかわらず
強制収容所の運命の下にあったとしても
人生にイエスということができるのです」

一見不幸と思える出来事は
おそらく、私たちに何かを問いかけているのであり、
その「答え」はそれぞれの自由な意思にゆだねられている。

何を見出し、どこに行くのか。

おそらくもっとも不幸なことは
不幸な出来事を不幸なままに受け止めていることだ。

その背後には必ず何かしらの意義を見出せるはずだ。
そして神は私たちがその意義を見出すことを待ち望んでいる。

*写真の花はガーベラ
花言葉は「前進」

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