【宗教的視座をもつ】

文化庁長官も務めたユング心理学の大家、河合準雄氏。
氏は「人生の後半は死に向かう生を生きる。
そのための宗教観が必要だ」という趣旨のことをおっしゃっています。

人生の前半は「どうやって生きるか」ということが重要ですが
人生の後半は身近な人が他界するのを経験することで、
程度の差こそあれ、「死」を意識します。
そうなれば、やはり、何らかの死生観をもった
宗教的視座が必要になるでしょう。

幸い、私の周囲には優れた宗教家が多く、
熱心なキリスト教信者であるTさん
同級生で浄土真宗のお寺の住職でもあるSくん、
佐賀県内最大の天理教教会の教会師、Yさん、
また、神道の大家Tさんなど、
身近に宗教的な観点をもった方々とお話しする機会が多いのです。

こうした方々とお話しして気づくのは、
どこか達観した視点をお持ちである、
ということです。

日常的な価値観から少しはなれて、
別の視点からみてみる。

日常のなかでは
様々な人間関係のなかから
生じてくる自分自身の感情が
どうしても収まりきれずに、
悶々とすることも多いでしょう。

また、自分自身の思考や感情から
想起してくる出口のない思考回路を
堂々巡りしてしまうこともあります。

そうした堂々巡りの思考回路から、
一度ワープして、
まったく別の視点から自分を俯瞰してみる。
それが宗教的視座なのかな、と思います。

自分自身、多くの宗教講話を聴いております。
仏教系であれば黄檗宗、臨済宗、浄土宗、浄土真宗、真言宗など。
キリスト教系であれば、カトリック、日本基督教団、パブテストなど
それ以外では天理教の説法も聴いております。

最終的にカトリックという選択をしたのですが、
それは私自身が負う「原罪」によるものでもあり、
また周囲がほとんどカトリック系の
クリスチャンだったことも大きく影響しています。

特定の宗教を信仰する、しないも
各人の自由であるでしょうが
また、
宗教的視座をもつで
今の自分を自分の感情や思考から
離れて俯瞰してみることができます。
そうした時間も持つことが、
自分自身を救ってくれます。

やはり、そうした宗教的視座をもつことは
特に人生後半ではとても大切だと思います。

写真の花は「グラジオラス」
花言葉は「愛の祈り」

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