子どもの頃、よく遊んだ遊園地に行ってみる。
ひどく狭く感じられる。
子どもの頃は、そこで野球やったり、肉弾という遊びをやったりと狭く感じれられることはなかった。
遠足となると1か月前から毎日が待ち遠しく、1日がひどく長く感じられた。
それが、大人になるとまるで違って感じられる。
すると、子どもを理解するというのは
一度、子どもの目線に立ってみないとわからないのかもしれない。
子どもの視点に立ってみる。
子どもの視点から見える世界。
子どもが見ている世界に
自分も立って同じ世界を見てみる。
しかし、それは子どもに対する理解のみならず、すべての人にも通じるようにも思う。
人を理解するということは何か。
何を感じているのか。
何を見ているのか。
人を理解するというのは
つまり、その人が見ている世界を同じ視点に立ってみてみることだと思う。
一度、自分の立場から降りてみる。
相手が見ている世界とは何なのか、
何を見ているのか、
どんな世界が見えているのか。
それを共有してみる。
人を理解するというのはそういうところから始まるのだと思う。