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  • 宗教的視座を持つ②

    「後半の人生には宗教が必要である」
    こういったのはユング心理学の大家、河合隼雄氏である。

    河合氏がいうことをシンプルに言えば、
    「人生後半は死に向かう生を生きる。だからこそ宗教が必要になる」ということらしい。

    確かに、私も両親の死後、自身の「死」も意識するようになった。
    「死」という視点に立った時に見えてくる
    現在の私の「生」もまた意識するようになったといえる。
    「死」を意識することで改めて「生」が浮き彫りになってくるという構図である。

    また一方で、宗教的視座をもつことで
    これまでの「生」を俯瞰してみることも大切になってくる。
    それは単に過去を振り返るということではなく、
    これまでの「生」のそれぞれの出来事の意味を
    「自分にとってそれはどういう意味だったのか」ということを
    俯瞰してみることが大切である、ということである。

    それはたとえてみれば、
    無秩序のようにも見える星の配列を
    意味ある「星座」として、
    再構築していく思考プロセスともいえよう。

    自身にこれまでおきた数々の出来事。
    一見、無関係に思える出来事の時間的連鎖が
    自分にとって「意味ある連なり」として見えたとき、
    これからの人生の指針となる「星座」がみえてくる。

    そのとき、はじめて
    自分の「生の意味」も理解できるようになるのではないだろうか。

    ややもすると
    自分にとって「辛かった出来事」こそ
    実は、大きな意味をもつものであることも多い。
    一見「不幸な出来事」にもその奥底に何らかの意味があり、
    それを自分にとって「どのような意味や意義があったのだろうか」と
    問いかけ、自分なりの意味を理解するとき、
    「不幸な出来事」は「不幸」ではなくなり、
    「意味あるもの」として、再び自分の中で生成されてくる。

    そうすることで
    自分の「生」の意味をより深くとらえることができるだろう。