「後半の人生には宗教が必要である」
こういったのはユング心理学の大家、河合隼雄氏である。
河合氏がいうことをシンプルに言えば、
「人生後半は死に向かう生を生きる。だからこそ宗教が必要になる」ということらしい。
確かに、私も両親の死後、自身の「死」も意識するようになった。
「死」という視点に立った時に見えてくる
現在の私の「生」もまた意識するようになったといえる。
「死」を意識することで改めて「生」が浮き彫りになってくるという構図である。
また一方で、宗教的視座をもつことで
これまでの「生」を俯瞰してみることも大切になってくる。
それは単に過去を振り返るということではなく、
これまでの「生」のそれぞれの出来事の意味を
「自分にとってそれはどういう意味だったのか」ということを
俯瞰してみることが大切である、ということである。
それはたとえてみれば、
無秩序のようにも見える星の配列を
意味ある「星座」として、
再構築していく思考プロセスともいえよう。
自身にこれまでおきた数々の出来事。
一見、無関係に思える出来事の時間的連鎖が
自分にとって「意味ある連なり」として見えたとき、
これからの人生の指針となる「星座」がみえてくる。
そのとき、はじめて
自分の「生の意味」も理解できるようになるのではないだろうか。
ややもすると
自分にとって「辛かった出来事」こそ
実は、大きな意味をもつものであることも多い。
一見「不幸な出来事」にもその奥底に何らかの意味があり、
それを自分にとって「どのような意味や意義があったのだろうか」と
問いかけ、自分なりの意味を理解するとき、
「不幸な出来事」は「不幸」ではなくなり、
「意味あるもの」として、再び自分の中で生成されてくる。
そうすることで
自分の「生」の意味をより深くとらえることができるだろう。