冤罪を考える

ハインリヒの法則というのがある。
損害保険会社に勤めていたハーバート・ウィリアム・ハインリッヒが提唱した法則。
ある重大事故が起きた場合、それに関連する軽微な事故が29件発生し、また、そのような事故を発生するリスクのある「ヒヤリ・ハット」が300件あるというもの。

熊本県では死刑囚の再審請求が初めて認められ、無罪を勝ち取った免田栄さん、松橋で殺人事件の犯人とされ、のちの再審請求により無罪を勝ち取った宮田さんの冤罪事例がある。

さて、死刑囚の再審請求により無罪を勝ち取った事例は4件あり、ハインリヒの法則に当てはめると、軽微なものも含めて1200もの冤罪の可能性がある事件があることになる。

ある経営者の体験。
談合の疑いで任意の事情聴取を受けたらしい。
ところがこの情報が警察の方からマスコミにリークされ、氏名、会社名が新聞紙上で公表された。
結果、事件性はなく、逮捕には至らなかったものの、信用を棄損されたことは痛手であることに変わりはない。

私が直接知る人物で2名ほど殺人の冤罪を訴えている人がいる。ひとりは22年の服役後、再審請求中であり、もう一人は14年の服役後、東京の下町で、地元住民とも交流し、普通の生活を送っている。

冤罪。
これほどの人権侵害はないのだが、それがうまれてしまう背景、原因について、深く取材するジャーナリストは少ない。
私が知るところでは江川紹子さん、ジャーナリストではないもののユーチューブなどでこうした問題を論考している釣部 人裕さんくらいである。

冤罪の背景にあるのはほとんどが「無理な自供」であり、また、捜査の見立てに会った「自供」のみを得ようとする取り調べである。
さらに、悪質なのは捜査の見立てにそぐわない証拠の取り扱いである。これは特に袴田事件で顕著であった。

このような冤罪がうまれないよう、社会的議論が必要であるはずだが、どこか「自分には関係ない」といった風潮も感じられ、これほどの人権侵害に対する再発防止に対する社会議論は少ない。

こうした問題提起をしていくことも必要だと思う。

犯罪被害者支援サポーター養成講座<3歳の娘を殺害された被害者遺族①>

佐賀県が主催する犯罪被害者支援サポーター養成講座の第4回目。
第一部の講座は7年前ひな祭りの日に
3歳の娘を殺害されたSさんの話だった。
スーパーで娘さんがトイレに行った際、
後ろからつけてきた男から襲われ、
リュックにつめられ、川に捨てられた。

犯人は20歳の大学生。
判決は無期懲役。

Sさんには3人の息子さんがおり、
娘さん殺害後、息子さんにも様々な異変が生じたそうだ。

一時は一家心中を考えたものの
警察からの被害者支援のサポートを受け、
心療内科での治療を受けながら、
徐々に落ち着いていったそうだ。

裁判所で犯人を殺害し、
自害しようとも考え、
その思いを心療内科の医師に伝えたところ
次のようにいわれたそうだ。
「やってもかまいませんよ。
しかし、それではあなたも殺人者になります。
それで奥さんやお子さんは喜びますか?」

この言葉でSさんは思いかえし
新たな生き方を模索することになる

 

実は実話・・・⑥-16

「裁判はどうだったんですか?」

「まずは検察側の冒頭陳述がありまして、それから、証拠調べの請求があります」

「緊張しましたか?」

「それはそうですよ」
「ただ、裁判長が女性だったのには驚きました」

「へ~っ、そうだったんですか」

「えぇ、〇〇法子さんという裁判長で、私はノリピーといってました」

「ノリピー、ですか・・・」

「それが眼鏡が似合う知的美人でして・・・」

「裁判の場でしょうに!」

「ええ、でも久しぶりに女性を見たもので・・
しかも黒の法衣に眼鏡がよく似合う女性でして・・・」

「不謹慎きわまりない・・・」

「まともに裁判長の顔をみれませんでした」

「それはどうして」

「いや、ニヤケテしまいそうで・・」

「それは印象悪くするでしょうね」

「それで、裁判ではあなたは出欠をごまかしたことは認めたんでしょう?」

「はい、それは認めました。」

「では暴力団組長との詐欺の共謀については?」

「実際には三傘とのあったのは1回きりでして、その場ではそういう話はなかったんですが・・・法的には共謀したことは認めました」

「えっ?だって三傘とは共謀の話はなかったんでしょう?」

「はい、そうなんですが、私は嬉野の末尾、久留米の早河とは最初からいとしていたわけではありませんでしたが、結局、出欠をごまかすことは共謀しましたし、彼ら二人はおそらく三傘と段取りを組んでいたはずですので、私が直接三傘と共謀しなくても、末尾、早河が三傘と共謀していたのであれば、間接的ではあるにせよ、私は三傘と共謀したことになるんです」

「えっ??そうなんですか?」

「はい、直接共謀はなくても間接的であるにせよ法的には共謀したことになります」

「う~ん・・・なんか不条理な話ですね」

「まあ、そうですが仕方ありません。ただ、私が開校前に認めていたのは遅刻や早退は大目に見るというくらいでしたので、まさか欠席をごまかす羽目になるとは思ってもいなかったんです」
「それがメールで『遅刻や早退は大目に見るが欠席のごまかしは糊塗できない』と送っていたことが証拠として提出されていました」

「そういうメールが残っていたことは不幸中の幸いですね」

「えぇ、ただ裁判ではやはり警察、検察の取り調べの実態がどうだったのかが、争点のひとつとなったのです」

「どうして?」

「私が裁判でひっくり返した供述がとられてしまった背景には何があったのか?ということがやはり裁判での検証すべき大きな争点となったのです」
「これは一般の人にはなかなかわからないことですが、やはり、取調室の密室の中では、恣意的に供述が捜査機関によって誘導され、ねつ造に近い供述がとられることの危険性があることを示すものでもあるからです」

「まあ、その辺のことはまた次回にお話を伺いましょう」

to be continued・・・・

西鉄バスジャック事件、再考

先日、テレビで2000年(平成12年)5月3日に発生した
当時17歳の少年による
西鉄バスジャック事件の再現ドラマが放映された。

初めて知った、少年の事件を起こす以前のことを。
少年は学校でひどいいじめにあっており、大けがをしている。
この件について学校はきちんとした対応をとっていない。
また、学校への恨みを募らせ、
包丁を研いでいたところを母親が心配し
警察に相談したものの、
「事件ではない」ことを理由に母親の相談に対応しなかった。
また少年は、精神科に入院し、事件当日は外出許可をとっているのだ。

つまり事件の兆候はあったのだが周囲の大人がそれにきちんと対応せず、
また心を病んだ少年のケアも不十分だったのだ。

そういえば佐世保の女子高生の同級生殺人事件もまた
事件を起こした少女の病んだ心に気が付き
不安を抱いた精神科医が
児童相談窓口に連絡していた。

ここでも事件の兆候はあったのだ。

こうしてみると
社会はこれらの少年少女の事件の教訓を何も学んでいないことがわかる。

結局、こうした事件の後に起こる議論は
「少年法の改正」と厳罰化である。

しかし、事の本質は
事件の前にみられる兆候に対して
大人がきちんと対応していない、ということである。

社会で議論されることは
厳罰化による犯罪抑止、
ということに重きをなし
それ以前に重要な事件を起こすリスクのある
少年少女へのケアをどうするのか、
という議論が皆無である。

あまりにも偏りすぎる。

私自身は罪を犯した人の社会復帰の第一歩は
心の修復、回復が第一である、という考えに立脚している。
それゆえ、厳罰化による犯罪抑止よりも
心のケアによる、犯罪抑止の方が重要と考えます。

一見、狂気とも思えるような事件も
その兆候はあったのである。
そこに気が付き、心のケアを施していれば
上記2事件はなかったかもしれない。

そしてこれからは社会もまた
心のケアによる犯罪抑止に視点を置くべきだと思う。

山口達也さんの再起を考える

「山口メンバー」という言い方に違和感を覚えるが・・

アルコール依存症で入院し、
退院したその日に焼酎1本を空け、
女子高生を呼び出し、
キスを迫ったというその行為は批判されるものの、
私自身は、アイドルグループとして成功しながら、
どうしてアルコールに依存しなければならなかったのか、
また、「Rの法則」でも出演者からは
「心配りのできる人」という評価を得ている「山口メンバー」が
なぜ、まるでスッポリとエアポケットに陥ったような行為に及んだのか、
ということに関心があります。

オウム事件の井上嘉浩死刑囚の手記を読んだことがある。
彼の幼少期に
「父は家で暴れた。大声をあげ卓袱台をひっくり返した。」といい、
つまり
「家でもくつろげない。」
そして、「中学生の頃、理想の大人像が描けなかった。」と語っている。

心のどこかに巣くった小さな虫食い穴。
その穴が、のちに井上死刑囚がオウム真理教に入信し
のちに狂気の事件へとつながっていく。

高校生の井上死刑囚を知る恩師がいうには
「まじめな生徒で、授業中座禅を組みながら授業を聞いていた」
ということもあったらしい。

つまり通常の感覚では理解しがたい
狂気を孕んだ人間のやったような事件であっても
実は、その発端は「普通の人」が何かの原因で
生じてしまった心に巣くう小さな闇が
いつしか大きなブラックホールへとすっぽりとはまってしまった、
というケースが多いと思えるのだ。

事実、多くの加害者家族の支援をしている
阿部さんの新書「息子が人を殺しました」を読んでも、
犯罪を犯した人も実は、
いたって普通の平凡な家庭のなかで育った
「普通の人」であることがわかる。

山口さんがアルコールに依存した心の空洞。
そして退院したその日に焼酎1本を空け
番組の出演者である女子高生を呼び出す心の隙間。

自分のこれまでを振り返りながら
その心に巣くう虫食い穴が何なのか、
それを見つめて、修復することが再起の第一歩だと思う。

私が知る健全な社会復帰を果たした
元受刑者のほとんどが
自分自身の心の病み(=闇)を謙虚に見つめ
修復することで再起を果たしている。

そのプロセスで家族関係がもたらす影響は大きい。
家族関係のゆがみが心に小さな傷を与え、
それがいつしか大きなブラックホールに吸い込まれていく、
井上死刑囚のケースはその典型であろう。

山口さんは一度、社会から離れ
自分の心を内観することで
その心の病み(=闇)を修復することが再起の第一歩だと思う。
おそらくそのプロセスは痛みを伴うであろうが、
しかし、そのプロセスの過程で
自分を深く知り、それがいつしか人間の深い真理を知ることにも通じるのである。

そして、いつか山口さんが
TOKIOのメンバーではなく、
一人のミュージシャンとして
裸一貫、ストリートライブからでも
再スタートし、それが社会に受け入れられる日が来ることを期待している。

社会もまた、罪を犯した人へ
いつまでも巨大な刑務所のごとくあってはならない。
それを受け入れ、再起を促すことも必要なのである。