実は・・・実話⑥‐2

久留米の「地元有力者」として
紹介されたMの意向により
久留米と嬉野で
パソコンとファイナンシャルプランナー
についての教室を開校することとなり、
A君は開校手続きのため
各種書類を作成し、
またカリキュラムをつくり
講師を集め始めた。

久留米校の教室責任者はX、
嬉野校の教室責任者はYであった。

XとYは教室の場所を確保し、
生徒を募集した。

教室運営者には生徒一人月額6万円が国から入り、
講師を務めるA君には講師料として月額20万円が
各教室から支払われることになっていた。

A君はXとYの要請により、
応募してきた生徒に
授業の内容と要綱を説明した。

そこで、のちに問題となる要綱について
「受講中の6か月間、
収入がない人については
月額10万円ほどの生活給付金が出るが
ただし、出席が8割以上ないとダメ」
という説明をした。

このことが後にA君の運命を大きく狂わせることになる。

23年1月開講を目前にして
嬉野校の教室責任者であるYより
A君に電話が入った。

「Aさん、佐世保からの連中が生徒になるけど
あんまり真面目じゃないから、
大目に見てほしい」

Aさんはてっきり
佐世保から嬉野までくるので
遅刻が多いんだろうと思い
「よかよ、少しくらいはよかけん」

実は国の制度では遅刻も欠席扱いにしなければならない。
しかしA君はせいぜい10分程度の遅刻だろうと思い、
そのくらいだったら出席扱いでもいいだろうと思ったのだ。

さて、開校初日、
久留米校も嬉野校も30人全員出席した。

しかし翌日から出席生徒は5~7人程度に減ってしまった。

to be continued・・・・

 

実は・・・実話⑥-1

佐賀県内に住むA君。
平成23年当時、パソコン教室の講師を務めていた。
厚労省が実施していた就労支援事業の一環で
就労を希望する人たちに職業スキルをつけさせ
また、受講中、生徒は一定の要件を満たせば、
生活給付金を受給できるという制度だった。

そしたら、嬉野市に住むY君から
「Aさん、久留米市のある有力者で
パソコン教室を新たに開きたい、という人がいるんだけど
会いませんか?」
と誘いを受けた。

そこで、A君、Y君の紹介で久留米でM兄弟とあった。
Y君の紹介ではMさんは「久留米の地元有力者」
ちょっと雰囲気が
「ちょいワル」風だったのが気になったが
久留米の中小企業経営者には
こういう雰囲気の人も多いので
A君は特に気にせず
M兄弟に厚労の就労支援事業について
説明した。
そこに同席していたM兄弟の部下と思える2人が
久留米と嬉野でファイナンシャルプランナーとパソコンを教える就労支援の教室を開くことで話がまとまった。
時は平成22年の8月、暑い日の昼下がりだった。

to be continued・・・・

実は・・・実話④

【実は・・・実話④】

A君は妻と娘二人をもつ普通のサラリーマンだった。
一部上場の飲食サービス業のエリアマネージャーを務めていた。

順調に見えたA君にも夫婦生活に陰りがみえた。

奥さんが女性を愛するようになったのだ。
つまりレズである。
奥さんは女性を愛するようになり、
必然的にA君との性交渉はなくなった。

シャレにしてはいかんが、
レズになったらレスになったという・・・

もともとA君、高校時代はファンクラブもあったくらいもてていた。
それが、奥さんから相手にされなくなったのだ。
男女であろうと性的な部分を否定されると自尊心が傷つく。

レス状態に耐えきれなくなったAくん、
こともあろうか、
女子社員寮に侵入し、
狙った女性社員に
強制わいせつにいたってしまった。

不法侵入と強制わいせつの罪で
4年の実刑。

怒り心頭の奥さん、
A君の面会では
A君を罵倒した。
何も言い返せないAくん、
涙ながすしかない。

さらに、性犯罪者の父を持つ娘のことを考え、
A君は離婚し、娘は母親の姓を名乗ることになった。
A君は家族をなくした。
ただ、来年3月の娘の高校卒業式までには出所し、
娘の卒業をみたいと願っている。

彼が出所したら会おうと思っている。

実は・・・実話⑤

福岡県内でサッカーの名門校に
サッカー部員として在籍していたA君、
高校卒業後、地元の国立大学に進学した。

教職免許を取得するため、
女子高に教育実習にいったものの
「教員は向かない」と悟り、
どういうわけか、
大学在学中にデリヘルの
風俗店経営を始めた。

経営は軌道に乗り、
本人曰く
「女の子にサービスの手ほどきを
教えているのが楽しかった」

女の子の入店時には
年齢確認を行っていた。
18歳以上であることが要件となっていた。
しかし、時に、免許証など偽造してくる子がいる。
A君は偽造に気付かず、
18歳未満の女の子を雇ってしまった。

このことが警察にばれ、
Aくんは児童福祉法違反の容疑で逮捕、
5年の実刑を受けた。
これがA君の初犯だった。
おくられた刑務所は
いじめで有名な川越少年刑務所。
食事を取り上げられるシャリアゲは日常茶飯事。
A君は散々な目にあって出所した。

出所後、A君はフランスにわたり、
外人部隊に入隊した。
そこでフランスへの永住権を取得、
また年金を得る権利も取得した。

帰国後、A君は9年間は再犯なく過ごしたが
また、躓いた。
2刑、実刑である。

さらに出所後、仕事もなく
ネットで他人の口座にハッキング、
それが発覚し、3刑目、1年半の実刑で
石川県の金沢刑務所に送致された。

A君曰く、
「もう3犯もなると、
生きたくもないし、死にたいけど
死ねないから、生きている、という感じ」
「刑務所いても、みんな
次はどうやってうまく(犯罪を)やれるか、
ということしか考えてない」

刑務所が犯罪者養成所になってしまっているのだ。

A君自身は本来、まじめなのだが、
もう人生をあきらめきっていた。
前科3犯なのでもう何をやっても無駄だと。
また、幼少時、父親からDVを受けていたらしく、
本人も自覚していたが、
精神的にも病んでいた。

A君には再三、
福岡に戻ってきたら?
と勧めたが、
地元福岡に戻る気はないらしい。

知的水準も高く、
ハッキングもできるので
その才能をいい方向に活用し、
セキュリティー関連をやらせれば
まず、間違いなく、できる能力はあるだろうに・・・

A君、刑務所に入るたびに
「反省」はしただろう。
しかし、「反省」だけでは
あまり意味がないのである。

大事なことは、
罪の病巣となっている
自分の病んだ部分を直視し、
そこに深く入り込んで、
その部分の治癒と回復、
そして再生への内的プロセスを経ることが
「立ち直り」の起点なのである。

A君は自身も認めているように
精神的に病んだままだ。

おそらく、A君は
罪の負のスパイラルから抜け出せないでいる。
それゆえ、人に対して攻撃的となる。
自分の不満を他人にぶつけたいのだ。
しかし、それでも心は満たされず、
さらなる負のスパイラルに絡み取られる。

罪の負のスパイラル。
そこからどう救われるのか。

A君に限らず、
このことが罪ある人にとっての
最大のテーマである。

ただ、負のスパイラルから抜け出すには
まずは、自身が「罪から救われたい」と
願うことが出発点である。

「罪の赦し」と「罪からの救い」

A君が福岡に戻り、
連絡さえしてくれれば・・・・。

少なくとも私は
彼さえその気になれば、
人生の再起は可能だと思っているし
たぶん、微力ながら、力になれるだろう。

再生の起点はどこか・・・・

ワイルドは罪の人であった。
故によく罪の本質を知ったのである。
~「善の研究」(西田幾多郎)~

ワイルドの作品は「サロメ」しか読んでない。
「サロメ」は聖書の中の
イエスに洗礼を授けた預言者ヨハネが
首をはねられ、
殺されるエピソードをモチーフにしている。
濃密なまでの罪の世界。
むせかえるほどの血と死の匂い。
サロメのヨハネへの倒錯した愛。
これほどまでの人間の罪の世界を
ダイナミックに描ききった
ワイルドの圧倒的な筆力、そして知力。

ワイルドは美しい妻をもちながらも
若い男性との男色に耽った罪で投獄された。

罪の本質。
それは人間の根源に通じるものだ。

元受刑者の社会復帰を支援している
NPO法人マザーハウスのお手伝いをしている中、
元受刑者の人たちを工事現場まで
送っていったことがある。
墨田区から渋谷区まで、
40分間ほどの間、
車中、そのなかの一人
30代後半のMさんと語り合った。

Mさんは3年の刑期を終えて出所し、
現在は定職にはついていないが、
日々の日当で生計をたてていた。

Mさんとの対話は
芸術、文化、歴史、宗教と
多岐にわたった。

圧倒的な深み。
まだ30代のMさんには
深い思索に基づいた言葉が発せられた。

Mさんは
受刑中、どうして自分が罪を犯したか、
それを自身の生い立ちから、
これまでの生き方を含め、
様々な角度から自分を見つめなおしたそうだ。

自身の内部にひそむ病巣。
それを取り除いてこそ、
罪から救われる。

Mさんはそう考え、
自身の罪につながる
本質的な部分からの
自己改善にとりくんだ。
そこには様々な思考が組み合わされている。
宗教、文化、哲学など。
罪を知る、ということは
人間の根源的な本質を見つめることでもあるのだ。

元受刑者が社会復帰する際に
求められることは
反省や矯正では決してない。
ましてや杓子定規なモラル観を
おしつけたところで陳腐なだけだ。
再生のための重要なプロセスは、
自分自身の本質に深く沈降し、
そこから罪につながる病巣を自覚し、
あるいは除去し、
そこから再度浮上していくことなのだ。
その内的プロセスこそ、
再生のためのコアである。

元受刑者に「反省」や「矯正」を求めることは
基本、的外れである。
自己の病巣に、罪の本質にどれだけ向き合い、
そこから、どう浮上するのか。
そこが起点なのである。

そのためのメソッドと理論構築こそ
これから求められることだ。
ケースを積み重ね、
理論を構築する。

そうすることで
新たな社会的価値を創りだすことができよう。
と、同時にそれは決して元受刑者のみに通じるものではなく、
罪からの救いという点において
広く、一般的に認められるべき価値でもあるはずだ。

罪。
それは決して法的な罪のみを指すものではない。
誰しもが年齢を積み重ねるほど、
過去の自分にひそむ罪を感じるはずだ。