人生の後半、自分を振り返る

人生の後半、自分を振り返る

人生の後半、
ユング心理学の大家、河合速雄先生は「人生の後半、人は死に向かう生を生きる」と語っていました。

未来は狭まり、これまでの生の足跡が累積してくる。
おそらく、だれもが50代後半にもなると「これからの自分」と同様に「これまでの自分」を振り返ることも多いと思う。

嫌なこと、楽しかったこと、幸福な時間、不幸な出来事。
それらを少し俯瞰して見つめてみる。
たぶん、そう考えてみることもあるだろう。

たぶん、大事なことは「楽しかったか」「悲しかったか」、「不幸だったか」「幸せだったか」という価値基準を超えて、「それが自分の人生にどういう意味があったのか」という観点で考えることができるかどうかだと思う。

自分の人生の中で、それぞれの出来事が「どういう意味があったのか」。

不幸な出来事に遭遇したとしても、それが何かしら自分の人生を変えていったとしたら。
もちろん悪い方向に変えていったとしたら困ったことだが、「不幸な出来事」に出会って、価値観が変わることもあり、生き方が良い方向に変わることもある。

それは幸か不幸かという基準ではなく、「どういう意味があったのか」という観点でみないと、わからない。

神がいるとして、神がなにかしらそれぞれの体験を通して「何かを伝えたい」としたら。
それらは神の恩寵なのかもしれないではないだろうか。
たとえ、それがひどくつらいものであったとしても。

遠藤周作がテーマとしてきた「神の沈黙」。
その沈黙にある神の愛を信じてみるのもいいかもしれない。





10月31日放送「こころの時代」~遠藤周作「深い河」~

10月31日放送「こころの時代」~遠藤周作「深い河」~

NHK教育、日曜朝の番組「こころの時代」。
毎週見ていますが、昨日は遠藤周作著「深い河」について。
「深い河」、実はまだ読んでいません。
でも番組をみながら、主人公である大津のセリフに共感することが多かった。

曰く「信仰というより、信じている」
これはよくわかります。

私もキリスト教には妙な違和感があって、信仰心とは少し違う感じをもってます。
信仰というより「神を信じている」というのがぴったりきます。
それはまったく揺るぎません。

それと大津が神のことを「たまねぎ」といったのが笑えました。
なるほどなあ・・・いい得て妙、というのはこのこと。
「たまねぎ」はむいてもむいてもいくつもの層がでてきて、最後に中心に「神がいる」のかといえば、空っぽ。
ただひとつひとつの層に神の働きがある、と考えると、いいわけです。

来週も番組「こころの時代」は遠藤周作「深い河」の特集。
またみます。



特殊学級の先生の講話

特殊学級の先生の講話

中学生のころ、佐賀ではいわゆる進学校に通っていた。
そこで、当時「特殊学級」といわれていたいわゆる知的障害のある児童の指導をしている先生の講話があった。
はっきりいって、当時、特殊学級など内心小ばかにしていたと思う。
だから、その教師など、落ちこぼれ教師くらいの感覚だったと思う。
しかし、この特殊学級の先生の話をきいて、衝撃を受けた。
と同時に、「あっ、こういう考えもあるのか」と思って今でも鮮明に記憶している。
その先生の話とは・・・
「足し算を教えてます。
そこで電車の車両の絵をもしだして、
『ここに3両の電車があるよね、そして2両つなげたらいくつになる?』と生徒にきいたら
生徒は『ひとつになる』と答えたんです。
3両と2両がつながったら5両なのに、つながったらひとつになると」
その話を聞いて衝撃を受けた。
そうか、3両の車両と2両の車両をつなげたら「ひとつ」になるんだ!!!
でもそうだよね・・・
例えば、液体。
水の一滴、一滴を加えていくと、
量は増えても、外見上はひとつになる。
それも、決して間違っていない。
この人たちの世界観は私たちと異なる。
でも彼らがみている世界は「そうなんだ」と思わせる何かがある。
新鮮であり、衝撃だった。
彼らは、こんな風に世界をみているんだな、というのが、自分の中にある固定概念を打ち壊した。
そう、世界をどのようにみるのか。
ちょっと視点を変えてみるだけで、
思考回路を組みかえてみるだけで、
世界は発見にみちているのかもしれない。