仏教の経典とキリスト教の聖書との違いに関する一考察

「法華経」「般若経」
仏教の経典で出てくる「経」という言葉。
これはサンスクリット語では「スートラ」という
もともとは線(いとすじ」のことをいうそうです。
元来スートラといわれたものは
ちょうど一本の糸にいろいろ美しい花を通して
花環つくって首にかけていたように
花にたとえられる大切な短い文句を
いくつもならべたものをスートラといったそうです。

ですからスートラの元来の意味は
散文の短い要法を集めたものです。
それを中国では「経」あるいは「経典」と訳しました。
ですから「経典」というのはもともと散文からできているわけです。

様々な「経典」を読むとわかるのですが、
どこから読んでもそこには仏教の知恵が示されており、
やはり散文を集めたもの、という印象を持ちます。

それに比べると、
キリスト教の聖書、特に「新約聖書」のなかの
4つの福音書(マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ)については
キリストの生涯を物語にしたストーリー性を帯びた形式になってます。
そこに示されているのはやはりキリストの圧倒的な存在感でしょう。
まるで、今でも生きているかのような実在感をもって
物語の中に息づいてます。
ですからクリスチャンの人の多くは
やはり聖書の中のキリストを信じた、
ということでしょう。

乱暴に言ってしまえば、
仏教の経典は散文のなかで
生きていく上での知恵が示され、
聖書ではキリストの生涯の物語を通して
神に通じる「罪からの救い」「罪の赦し」
「愛の実践」が示されている、
といったところでしょうか。

仏教でも親鸞の浄土真宗も「救いの宗教」ですから
そういった意味では浄土真宗とキリスト教では親和性は高いですね。

いずれにしても人生も後半に入ると
宗教的視座をもつことは重要だと思います。
私の場合、某医療施設で
多くの宗教講話を聴く機会をもつことができ、
宗教に対する知見を持ち合わせることができたことは
今思えば、有意義だったと思います。

実は・・・実話⑥-6

出欠のごまかしはA君主導で組織的に行われた。
それでA君自身は何も得るものはなく、
結局、実刑判決を受けてしまうのだが、
つまり、出欠のごまかしが必要なのは
生徒が生活給付金を得るためであり、
出席率8割以上という要件を満たすためだったのである。

本来、生徒の出欠管理は教室責任者の業務であり、
A君がかかわることもなかったのだが、
講師の講義録や生徒の受講感想などの各種書類の整合性を保つためにはA君の協力なしにはできなかった。

そうした出欠のごまかしが日常化する中で、
嬉野校の教室運営に疑問を持った
国の監察が抜き打ちで行われた。

何しろ、嬉野校は1階に位置していたため
教師の内部は外から丸見えだったのである。
出席率は全員8割以上との報告に対して
外から見れば、
教室内部は5~7人しかいないという状況。
書類はごまかせても、実態はごまかしようがない。
A君はつくづく教室責任者Yの間抜けさかげんを恨んだ。

教室閉校後、2年後にA君は詐欺容疑で逮捕された。
佐賀市内であるバルーン大会開催日の前日であった。

そして、逮捕された刑事からA君は驚くべき事実を聞かされる。
「Aさん、久留米のMという男は〇〇会(久留米を本拠地とする暴力団)の二次団体の組長ですよ」
A君自身は嬉野に住む知人から「久留米の地元の有力者」として紹介されていたため、そういう事実は全く知らなかった。
そして、やくざがらみの事件であることが、さらに事を複雑にしていったのである。

A君の受難はここからさらに深刻化する。

to be continued・・・・

私の読書遍歴:深読み古事記(戸矢学著)

神道の専門家、戸矢氏の著作。
いつもながら戸矢氏の博覧強記ぶりには舌を巻く。
古今東西の文学、神話に精通し、
古事記がもつ意味を
様々な角度から読み取っていく。

古事記を通して文学、生活、
歴史、神話にいたるまで
その底流を流れる私たちの生活文化
精神構造を「深読み」していく。

トリビア的「へえ×3」満載である。
知的好奇心を十分満たしてくれる。

たとえば、
「むすめ」「むすこ」それと「おむすび」が
同じ語源からつくられていることなど初めて知った。

こうした身近な事例を通して明らかにされること、
それは私たちの日常の生活の中にも
古くからある神話的思想、
そこから生まれてきた文化的コードが
いたるところに仕組まれていることである。
それは、私たちの日常から文学、
または様々な建造物に至るまで
意識的、無意識的に作用している。

私たちの生活は
このような文化的コードが
底流にあってこそ成立する。
それがなければ混とんとした社会になるだろう。

つまり、この「深読み古事記」における
戸矢氏の思考は
日本人の生活文化、精神構造の根底にある
文化的コードを古事記を通して
「深読み」することにあるだろう。

最良の教養書というにふさわしい。