元受刑者Aさんとの会話

医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく、病人である。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。
(マタイ福音書)

先日、元受刑者のAさんと30分間、電話で話した。
AさんはCADの職業訓練を受講しており、
11月にCAD技術者1級の試験をうけるそうだ。
私もCAD技術者2級の資格を持っているので
CADの話で盛り上がった。

「田中さん、保護会にも行ってみらんといかんよ」
「そうっすか?」

保護会とは更生保護会の略称で
受刑者が仮釈で出所した際、
身元引受人がいない場合に
一時的に最大6か月間、保護観察のもとで
生活をする施設のことである。

民間施設とはいえ、
仮釈中の施設のため、
自由は制限される。
ただし、昼間は協力雇用主
(元受刑者を積極的に雇用する事業主)
からくる日雇い募集に応募し、
(実際には建設土木関係のアルバイト)
生活費を稼ぐことになる。

実は、保護会、元受刑者からは
すこぶる評判が悪い。
Aさんがいうには
「保護会を出た後に再犯する人多いんですよ」
「保護会出ても、何をやっていいのかわからないし
目標がないから、再犯にいたるんですよ」

保護会では矯正教育がなされる。
相手は犯罪者なので
「矯正」しなければならない、
というわけだ。

しかし、そもそも刑務所自体が矯正施設であり、
そこでは各受刑者の資質を調査したうえで
矯正教育が施される。
そして、矯正教育が十分なされたという前提で
受刑者は社会復帰しても大丈夫とみなされ
仮釈放で出所するわけである。

つまり、仮釈放したら
そこで必要なのは「矯正」ではないのである。

しかし、一般的に多くの人が
出所した元受刑者にも「矯正」が必要だと考える。
しかし、それぞれの元受刑者に必要な「矯正」が何なのか
なんの知見も持たずに安易に「矯正」が必要だと考えるのである。

これは例えてみれば
問診も触診もまったくせずに
「おまえは病人だから手術してやる」
といっているようなものだ。
普通の人であれば耐えられない。
「ふざけるな」となるだろう。

しかし、そもそも
誰もが「元受刑者と一緒にされたくない」
と考えているため、
元受刑者の心情など聞くつもりもない。
相手の心情などまったく考慮することもないまま
「反省」だの「矯正」など求めてるのである。

サルか馬の調教くらいに考えているといっていい。
そもそも、元受刑者は「劣等な人間」くらいに考えているのだから。

刑務所で「反省」を求められたのだから
出所後に求められることは
「健全な社会復帰」と「再犯防止」である。
また「矯正」ではなく「再生」である。

こうしてみると
事実上、元受刑者に人権はない、といっていいだろう。

ただし、こういう状況は
つまるところ元受刑者を追いやり
再犯につながる環境をつくりだしている
といっていい。

パラダイムチェンジが必要だと思う。

「反省」ではなく「健全な社会復帰」
「矯正」ではなく「人生の再生」

おそらくこうした価値観の転換が必要なのだ。
少しずつであるが具体的プロジェクトも進んでいる。
これらが実現すれば画期的な支援システムの
プロトタイプができると思う。

このような人生の課題を与えてくれた神に
今は深く感謝している。

保護会はもちろん、元受刑者の更生と社会復帰を目的に
設立されており、
そのこと自体、善意によるものだろうが、
やはり、それでも
保護会退所後に再犯が発生することは
元受刑者の資質にもよるだろうが、
そのシステムにも何か問題があるということだ。

私の読書遍歴:「三種の神器」(戸矢学著)

神道の研究者である、著者戸矢氏が
一貫して追い求めているのは
つきるところ、
「日本人の精神文化の源流は何か」
ということだろう。

この著書「三種の神器」は
戸矢氏のそうした研究テーマについて
天皇の地位を根拠づけるものとしての
「三種の神器」(玉・鏡・剣)を通して
日本人の精神文化を探っていく。

天皇は世界的に見ても唯一無二の
祭祀と統治をつかさどる国家君主であった。
現在は政治的な統治からは切り離され、
祭祀が中心となっているものの
(実際にはその祭祀も少なくなっているらしいが)
このような国家君主は日本の天皇だけである。

その天皇の地位を権威づける
三種の神器は何を意味するのか。

そもそも「三種の神器」は
どういう経緯でつくられたのか
またなぜそれが天皇の地位を保証するものとして
権威づけられたのか、
その形状はいかなるものか、
これらの謎について
戸矢氏は丹念に検証と推論を重ねていく。

日本書紀、古事記、風土記のみならず
弥生時代からの考古学なども踏まえながら
三種の神器の成立過程を検証していくなかで
戸矢氏は自身の神道という視点に立脚しながら
日本人の精神文化の源流とその構造を
明らかにしていく。

そして
「三種の神器」の成立過程、
その形状を明らかにしながら、
「三種の神器」が象徴する意味を明示する。

さて、その「三種の神器」が象徴する意味とは何か?
それは実にシンプルでいつの世でも求められる価値である。
それゆえ、「三種の神器」は天皇が引き継がなければならないものであろう。

必要とされること・・・

何十億の人に、かけがえのない存在だと、
言ってもらわなくてもいいのだ。
それはたった一人からでいい。
「あなたは、わたしにとって、
なくてはならない存在なのだ」と言われたら、
もうそれだけで
喜んで生きていけるのではないだろうか。
(三浦綾子)

必要とされ、感謝されること。

人が自身の存在価値を
感じ取れる瞬間があるとすれば
この一文につきるだろう。

仕事に評価は必要だ。
しかし、評価されることは相対的なものだ。
自分より評価が高い人がいれば
そちらが選択される。

そしてまた、
人は評価されることを望む。
しかし、
そのことを第一義的にとらえると
本来の存在意義を見失う。

一方、必要とされることは
絶対的なものだ。
評価とは異なるものさしが存在する。

この1年間
自分が必要とされることを
第一義としてやってきた。
もちろん仕事も
当然、評価されているし
その内容も決して悪いわけではない。

しかし、
まずは自分が必要とされ
感謝してもらえることを
第一義として取り組んできた。

幸い、
いろんな方から共同事業の
お誘いも受けるようになった。

ただ、自分が必要とされることに
軸足を置くことにかわりはない。

また、今後、自分が取り組むべきことも
明確にしている。

ひとつは地方の中小企業の活性化である。
そして、もうひとつは
「罪からの救い」だ。

このふたつの分野で一隅を照らすことができれば
それで本望だろう。