大河ドラマ「べらぼう」にみる江戸文化成立に関する一考察
今年の大河ドラマ「べらぼう」。
ドラマ開始後は「吉原」が舞台であったため、「まさかNHKが遊郭を取り扱うとは」と「マジっすか、あちきは信じられないでありんす」とついつい言いたくなるような舞台設定。
でも、見ているうちに蔦屋重三郎が活躍した18世紀後半の江戸文化、特に町人文化、大衆文化がよく描かれていて面白く視聴しています。
幕府公認の遊郭「吉原」がなぜ成立したのか、この背景を調べてみると、江戸文化の成立には当時の社会システムや都市構造と深く関係があることがわかります。
そしてその江戸の社会システムと都市構造が世界一の100万人都市、江戸を誕生させ、独特の江戸文化を醸成していった背景もすんなりと理解できます。
江戸に幕府を開いたのはいわずもがな、徳川家康。
当時の江戸は湿地帯で沼地が多く、それを家康は干拓することで開墾していきました。
一方、全国大名の統治システムとして参勤交代を義務付けます。制度として成立したのは三代将軍、家光の時。
武家屋敷は比較的地盤が固い「山の手」の方につくられます。そして町人は地盤がゆるい下町へ。
その比率は武家地が70%、町人地が15%、残りは寺社仏閣の土地になります。
そこに武士が50万人、町人が50万人が住むことになります。
町人はわずか15%の土地に江戸人口の半分が住むといういびつな構造になっています。
つまり世界一の巨大都市「江戸」は世界一の過密都市でもありました。
さて、参勤交代で武家屋敷に住む武士は今でいう「単身赴任」。
しかも何も生産しません。
ですから、彼らが消費する食料、衣服などは町人が供給します。そこに莫大な消費が生まれ、また多くのビジネスチャンスが生じ、そのチャンスを求めて、多くの男性が江戸に集まります。
結果、男性と女性との構成比は「7:3」と圧倒的な男性過剰の人口構成となってしまいます。
よって、多くの男性が一生独身であることも多かったらしく、すると当然外食が増えてきます。
そこで生まれたのが「鮨」「そば」「天ぷら」といった屋台でのファストフードビジネス。「べらぼう」でも蔦重が屋台でそばをすするシーンが登場します。
なぜ「うどん」ではなく「そば」なのか。
その理由のひとつは「ゆであがる時間が短い」こと。
もうひとつは「そば」の方が炭水化物が少ないこと。
これは当時「白米」がはやり、その結果「江戸患い」という今でいえば「脚気」がはやり、そのため、炭水化物が少ない「そば」は当時はいわゆる健康食のようなものであったそうです。
そして、参勤交代で単身赴任した武士、独身男性の性エネルギーの受け皿として、幕府公認の遊郭地帯「吉原」は誕生します。
「吉原」で働く遊女のほとんどは地方で「女眩(めげん)」によって買われていった少女たち。
その生涯は悲惨なものですが、一方で、彼女たちは蔑視される存在でもなく、「べらぼう」でも蔦重などは普通に接しており、あるいは武士や商人たちの妻になるケースもあったようです。
また、町人はわずか15%の土地に江戸人口の半分が住むといういびつな都市構造は長屋という独特の居住空間を生み出します。
三軒長屋両隣。しかも圧倒的な女性不足。そこで「夜這い」の文化がうまれます。当時はほとんどの男女が「夜這い」を経験したそうです。
ですから、例えば隣の女性が子どもを産んでも「もしかしたら俺のこどもかも」ということもありえて、結果、地域全体で子どもを大切にする文化が生まれた、という説も(真偽不明)。
しかし、蔦重を育てたのも生みの親でもなかったので、自分の子どもでなくても大切に育てるというのは実際にあったようです。
また、「べらぼう」を見ていても武士と町人との間が緊密であったこともわかります。
おそらく、武家屋敷に生活に必要な日用品を供給するために、町人の出入りが多かったからでしょう。
次の日曜日は「べらぼう」も最終回。
町人の姿を描いた大河ドラマとして異色でしたが、江戸時代の生活文化がリアルに描かれていて、楽しめました。




