「説教したがる男たち」レベッカ ソルニット (著)

この本の表題を見て、おもわず笑ってしまった。
あまりに的を射ている。
どうしてこうも男たちは説教したがるんだろうね???
ばかばかしくてしようがない・・・

私自身、人との接し方で男性と女性の違いにうすうす気づいていた。
男性はどうしても相手よりも優位でいたいというのがその姿勢の根底にある。
一方、女性はわがままを受け止めてほしい、というのが潜在的にある。
よって、男性はどうしても相手よりも「上から目線」で話したいのである。
だから、「説教したがる」のだ。
それも、相手のことを十分理解もせずに・・・

最低なのは酒席の場で説教し始めることだ。
私などは、自分の料理で同級生をおもてなしたところ
その一人が説教し始めて、
こちらは「いいかげんにしてくれ」と思い、
相手の主張を否定したところ
そのA君は怒って出て行ってしまった。

そもそも人が招いている場で
そのホストに説教するという
そのメンタリティが信じられない。
マナーとして最低であろう。
しかも自分は「正しい」と思っているのだから
(それが本当に正しいとしても)
人が招いた酒席の場でホストに説教し始めるのはマナー違反だろう。

私は人に説教したがる人については
以下の2点を守れない人はもう無視していいと思う。

①酒席の場で説教する人
②相手のことを十分理解もせずに説教する人

①は論外である。

②については、もう少し論考する必要があるが
わかりやすくいえば、
問診もしない医者の処方箋などほとんど無意味、ということであるのだが・・。

ただ、
②についてはやはりきちんとその根拠を論考する必要がある。

それはのちほど。




大人の色気を考える

うつし絵に 口づけをしつつ幾たびか 千代子と呼びてけふも暮しつ」
山本五十六)
太平洋戦争のさなか、山本五十六は愛人である河合千代子さんに恋文を送っていた。
上の恋歌はそのひとつである。

当時、山本五十六は57歳。
それでも愛する人に恋歌を贈り
愛する人に「愛している」とストレートに伝える いろっぽさ。
大人の ダンディズムを感じさせる。

気障と思う人もいるかもしれない。
しかし、もし、あなたが死の間際でもいい、
誰かに一言だけ伝えられるとしたら
誰に何を伝えるだろう。
おそらく多くの人が
愛している人に
「愛している」と伝えたいと
願うのではないだろうか。
それが自然な感情である。

大人になればなるほど
そうした自然な感情に素直になれる、
それが何かしら
その人のメンタルないろっぽさを漂わせる。

大人の色気とは
つまるところその人のメンタルな香り、
いろっぽさだと思う。

年齢とともに外形的な容姿は衰えていく
しかし、メンタルな輝きは増していく。

そうした色気のある大人でありたい。

ディープな話をしてみる

自分を語ってみる。
深く、痛みも伴いながら・・
それでも赤裸々に。
ただのモノローグ(独白)なのかもしれない。
しかし、深く掘り下げていったその先に
他者とつながる水脈があるかもしれない。
そしてそれはいつか他者ともダイアローグ(対話)につながるのだ。

ときおり
クライアントと深い話になることがある。
発端はいつも自分が
自分のことを語ることから、である。
これまでに自分の身に起こった数々のこと。
それを赤裸々に語る。

しかし、なぜか、それで
拒否されることはない 。
それよりもそれが発端になり、
お互いに深い話になることの方が多い。

おそらくだれもが深いところで
理解しあいたいのだ。

自分を語ることは
それが深い部分であればあるほど
痛みを伴うことが多い。

過去のすでにふさぎかけたかさぶたを
かきむしるように。
うっすらとまた血がにじむように。
自分をみつめ、語ることは
軽い痛みを伴うものだ。

しかし、痛みのない人生などない。
だからこそ、その痛みとともに
誰かとつながりたいのだ。
深く理解しあいたいのだ。

モノローグ(独白)から
ダイアローグ(対話)へ

私のブログはおそらくそうしたものだろう。