山口達也さんの再起を考える②

山口さん、ネットでたたかれてますが・・・

少なくとも、被害女性の女の子を
まるで「夜に呼び出されてうかうか行く方も悪い」という論調は言語道断である。
女の子は用心のため友人を連れて行ってもいる。

とはいえ、被害者と山口さんは示談はすんでおり、
第三者がとやかく必要はない。

しかし・・・・
山口さんの行為は批判されるべきものではあるだろうが
一番の問題は山口さんが再起を図るための
心の修復ができるかどうかだ。

反省しても意味はない。
反省したところで、
こころの病み(=闇)を修復しない限り
どこかで、罪へのスイッチが入るからだ。

福岡の高校名門サッカー部に所属していたM君という人物がいる。
彼はのちに福岡の教育大学に進学したものの
教師への道をあきらめ、風俗店経営を始めた。

順調だったものの
年齢も査証した18際未満の少女を雇ってしまい
児童福祉法違反などの罪で
5年間の懲役をくらった。

懲役先はいじめで有名な川越少年刑務所。
そこで、さらに病んでしまって
出所後、フランスの外人部隊に入隊、
アルジェリアでの戦場経験を終えて
日本に帰国。

初犯から9年後、罪を犯し2刑。

3刑目は人の口座にハッキングしての罪。

彼はこういった。
「オレ、子どものころ、オヤジからDVうけてたんですよね。
病んでますから、田中さん、仕事は無理ですよ」

反省は無意味だ。
反省したところで
心の病み(=闇)を修復しない限り
どこかで罪へのスイッチが入る。

罪のスパイラルから人を救うとしたら
それは「愛と希望」だ。

M君はいう。
「累犯刑務所に行っても
みんな『死にたいけど死ねないから生きてます』という感じです」

一度「罪のスパイラル」に落ち込むと
希望が失われる。

さらに、『愛される』機会は失われる。

「孤独と希望」の対極は
「愛と希望」だ

山口さんが
「孤独と絶望」の淵に立たされ、
いつか、
その対極にある価値、
「愛と希望」に向かって心の再起が図れることを
心から願っている。

実は・・・実話⑥-15

Aさんとの対話は続く・・

「雑居房に移ってからはどうでしたか?」

「雑居房は私を含めて6人でした。同居人は刑務官から『ゆるいやつがくる』といわれていたようで、『ちょっとしめたろか』と思っていたそうです」

「いじめられたんですか?」

「いえ、それはありませんでしたが、ひとりだけちょっかいだしてくる妙なやつがいましたね」

「もともとそこの同居人は初犯の軽犯罪系の人ばかりだったので、元郵便局員とか、一部上場の会社社員だった人だったり、社会では普通の仕事をしていた人が大半でした」

「じゃあ、比較的まともな人ばっかりだったんですね」

「そうですね」

「ただ、当初は人との距離感がつかめず、間が取れない感じだったんです」

「へえ、そうなんですか?」

「はい、何しろ6か月間弁護士以外の人と話をしてませんし、弁護士とも週1回程度でしたので、人と話すのは久しぶり、という状態でしたから、『この人はなにを言っているのだろう』という感じなんです。人の話がピンとこないんですよ」

「コミュニケーション能力が落ちてしまったということ?」

「はい、そうですね。もともと人との付き合いがうまい方ではないんですが、さらに、わからなくなってしまっているという感じです」

「それでは、困りますね」

「ええ、でもその部屋の同居人はみんな初犯で、お互い励ましあうというメンタリティがあったので、それなりに過ごしやすかったですね」

「そういうものなんですか?」

「はい、みんな裁判を控えて不安な日々を過ごしてますし、1日中一緒ですから、お互いの人間性もわかってくるんです」

「家族でも1日中一緒にいることはありませんし、そういう意味では妙に情が移ってしまうんですよね」

「生活はどうでしたか?」

「まあ、お菓子も購入できますし、書籍類も購入できましたから、不自由ではありますが、それなりに楽しみもありました。ほかの人は将棋に夢中になってましたね」

「将棋はやったんですか?」

「いえ、私は弱かったので、しませんでしたし、大体、WEBの勉強か資格取得のための勉強に集中してました。」

「まじめですね」

「同居人からはそういうイメージがあったようで出所後も連絡があって、再会しましたね」

「裁判の方はどうだったんですか」

「裁判は紛糾しました。ポイントは私が暴力団組長を詐欺の共謀を図ったかどうかという点ですが、それはなかったんです。しかし、刑事と検事のしつこい質問と担当検事の『お願いだからさあ』という感じの態度で、迎合したんですけど、その供述を裁判でひっくり返したものですから、まあ、検察側はあせったようですね」

「そこらあたりの話はまた次回にいたします」

To be continued・・・

50代の知識づくり②~唯脳論的自由主義~

「自由は頭の中にしかない」というのが私の持論です(笑)
身体的、経済的、時間的に自由が制限されていたとしても
頭の中だけは自由です(笑)

思考することの自由、
これを至上としているため、
思考することをやめることは
私にとって自由を失うことと同義ですね。

知識を増やすことは
つまり頭の中の自由度を高めることになり、
それは結局、思考領域を広めることになります。

ということは、
それだけ頭の中の自由の領域は広がり
自身の可能性が広がることに通じます。

子どもたちにも
「勉強することは自分の可能性を広げること」
伝えてます。

英語はできた方が海外とのビジネスチャンスは広がる、
法律は知っておいた方が間違いを犯さず、有利である、
食に関する知識は生活が豊かになる、
などなど・・・

50代にしてそのことに気づかされた自分も
まあ、それでも遅くはないかと・・・・

そしてまた自分の場合、
書きたいことがたくさんあります。
それゆえに、土日、休日は
チョーインドア、インナー生活でして・・・

じっくり、でも少しずつ、
頭の中の自由を広げながら
自分自身を進化させていこうかと思っております。