「山口メンバー」という言い方に違和感を覚えるが・・
アルコール依存症で入院し、
退院したその日に焼酎1本を空け、
女子高生を呼び出し、
キスを迫ったというその行為は批判されるものの、
私自身は、アイドルグループとして成功しながら、
どうしてアルコールに依存しなければならなかったのか、
また、「Rの法則」でも出演者からは
「心配りのできる人」という評価を得ている「山口メンバー」が
なぜ、まるでスッポリとエアポケットに陥ったような行為に及んだのか、
ということに関心があります。
オウム事件の井上嘉浩死刑囚の手記を読んだことがある。
彼の幼少期に
「父は家で暴れた。大声をあげ卓袱台をひっくり返した。」といい、
つまり
「家でもくつろげない。」
そして、「中学生の頃、理想の大人像が描けなかった。」と語っている。
心のどこかに巣くった小さな虫食い穴。
その穴が、のちに井上死刑囚がオウム真理教に入信し
のちに狂気の事件へとつながっていく。
高校生の井上死刑囚を知る恩師がいうには
「まじめな生徒で、授業中座禅を組みながら授業を聞いていた」
ということもあったらしい。
つまり通常の感覚では理解しがたい
狂気を孕んだ人間のやったような事件であっても
実は、その発端は「普通の人」が何かの原因で
生じてしまった心に巣くう小さな闇が
いつしか大きなブラックホールへとすっぽりとはまってしまった、
というケースが多いと思えるのだ。
事実、多くの加害者家族の支援をしている
阿部さんの新書「息子が人を殺しました」を読んでも、
犯罪を犯した人も実は、
いたって普通の平凡な家庭のなかで育った
「普通の人」であることがわかる。
山口さんがアルコールに依存した心の空洞。
そして退院したその日に焼酎1本を空け
番組の出演者である女子高生を呼び出す心の隙間。
自分のこれまでを振り返りながら
その心に巣くう虫食い穴が何なのか、
それを見つめて、修復することが再起の第一歩だと思う。
私が知る健全な社会復帰を果たした
元受刑者のほとんどが
自分自身の心の病み(=闇)を謙虚に見つめ
修復することで再起を果たしている。
そのプロセスで家族関係がもたらす影響は大きい。
家族関係のゆがみが心に小さな傷を与え、
それがいつしか大きなブラックホールに吸い込まれていく、
井上死刑囚のケースはその典型であろう。
山口さんは一度、社会から離れ
自分の心を内観することで
その心の病み(=闇)を修復することが再起の第一歩だと思う。
おそらくそのプロセスは痛みを伴うであろうが、
しかし、そのプロセスの過程で
自分を深く知り、それがいつしか人間の深い真理を知ることにも通じるのである。
そして、いつか山口さんが
TOKIOのメンバーではなく、
一人のミュージシャンとして
裸一貫、ストリートライブからでも
再スタートし、それが社会に受け入れられる日が来ることを期待している。
社会もまた、罪を犯した人へ
いつまでも巨大な刑務所のごとくあってはならない。
それを受け入れ、再起を促すことも必要なのである。