孤独になるということ ひとりの時間が好き。孤独になる。自分の心の奥底に深く沈みこんでみる。自分の心に問いかける。何を感じているのだろう。何を大切に思っているのだろう。深いところで自分は答えを出してくれると信じる。いつのまにかできた幾千もの心のひだ。それを分け入りながら真実の言葉を探り出す。そして、それがいつか人とつながる水道脈だと信じる。それが人と深いところで理解しあえる何かだと信じている。
仕事のパートナー 一緒に仕事をしていく上で大切なこと。たぶん、ふたつかな、と思います。 ひとつは「相手を尊重すること」 そしてもうひとつは「ワクワク感を共有すること」いいかえると、「夢を共有すること」 これまで、よくあるパターンは「人を利用する」というパターン。これは直感的にわかる。大体こういう人は高飛車な態度に出る。その段階で「あっ、この人は人を利用するタイプだな」というのがわかる。 もうひとつは、ただ、打算的に、あるいは利益になるかどうかで判断するタイプ。こういう人の大体の対応は常に「自分にとってプラスかマイナスか」という判断が基準になっている。会話の節々に常に頭の中で「打算的な判断」をしているのが雰囲気でわかるのである。こういう人はあとあと裏切る。長続きしない。やめた方がいい。 大切なのは「わくわく感を共有すること」そして「相手を尊重すること」 このふたつが一番大切だと思います。
自らの心のうちに問いかける 自分の心に問いかけてみる。外界との接触を断って、心のうちの奥深くまで暗い中を潜っていく。深く、心のひだの中を奥深く。誰の生命も生まれてきた意味があり、価値があると考える。 答えはあなたの心の中にある。「人生に問いかけてはならない。問いかけているのは人生であり、答えるのはあなただ」アウシュビッツから生還した精神科医ヴィクトール・フランクルの言葉だ。 これまでの人生の軌跡は、あなたに生きる意味を問いかけている。「自分の生きる意味は?生きる価値は?」 だれもがひとりになったとき、ふっと頭をよぎる問い。 「全にして一、一にして全」聖書に書かれている神の存在だ。これを生命と置き換えても通じるように思う。 それぞれの存在は個別でありながら、全体としてつながっている。このような考えはあらゆる宗教で説かれている。自分が生きている意味を自分の生きる価値をもう一度みつめること。それこそが人が本当に生きていくうえでの人生を再出発するうえでの出発点だと思う。
思考する自由 コロナの影響で外出する機会も減少したかもしれない。仕事で他県に行くことはあっても、「不要不急の外出を控えよう」といわれては、やはり外出する気分は減退する。しかし、家の中にあっても「思考する自由」は残される。幸いにして、いまはインターネットで、思考する広がりは格段に広がった。思考の自由、言葉、感性の広がり・・・行動は制限されても、思考の広がりは制限されない。インターネット上で思考の自由は広がる。言葉、音楽、映像・・・・「上質の普通」をつくり続けたい。
人生後半戦、あらためて生きる意味を考える ふと、自分が生きる意味について考える。誰もがそうした考えに取りつかれたことはあると思う。人生も後半に入ると、親といえる人がだれもいなくなり、自分もまた、死へと向かう生を生きることになる。