凧が一番高く上がるのは、
風に向かっている時である。
風に流されている時ではない。
(ウィンストン・チャーチル)

昨年9月6日に佐賀に戻ってきて1年が過ぎた。
この1年間を振り返ると、
まさしく上のチャーチルの言葉に集約できるだろう。

逆風である。
とはいえ、高度は不十分ながら、上昇基調にある。

心痛することは山ほどある。
しかしながら、
「生きている」ことが面白くなった。

おそらく、不幸なことでも
そこに意義を見いだせることに
なったからであろう。

これは自論だが、
不幸な出来事を、
不幸なままに解釈していることが
最も不幸なことだと思う。

人生に不幸なアクシデントはつきものだ。
しかし、そこには必ず別の意義があるはずだ。
それに気づけば、
不幸は不幸ではなくなる。

先日、不思議なことが起きた。
熊本で打ち合わせのアポが入っていたが、
先方の都合でドタキャンになってしまった。
楽しみにしていたので凹んだが
翌日、クルマのタイヤがパンクし、
もし、熊本出張中、
高速道路でパンクしようものなら、
大事故にもつながりかねなかったことを考えると
命拾いをした、ともいえるのだ。

「護られている」そういう感覚に包まれた。
主イエスと聖母マリアに、である。

どんなことにも意義があり、
意味がある。
それは決して
楽しいことではなく、
辛いことであってもだ。

そう考えると、
生きることは俄然、有意義なものになる。
それがたとえ、つらいことであっても。

まだまだ逆風だ。
しかし、だからこそ凧は高く舞い上がるのである。

 

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