デザインを考える~ビジネスのデザイン、そして「価値のデザイン」へ

デザインを考える~ビジネスのデザイン、そして「価値のデザイン」へ

  • Author: LUCA

デザイン。
WEBマーケティングを標榜して、仕事では当然ながら、デザイン関連の業務も発生します。
会社のロゴマークなど・・・・
ただ、プランニングの仕事もあって、
経営革新計画や事業再構築計画なども手掛けております。

すると、改めてデザインの意味を考えてしまうんですね。

デザインも狭義でいえば意匠的なデザインを意味します。
しかし、デザインには「設計」の意味もあり、
そうした意味においては
プランニングとは「ビジネスの設計」とも言えます。

おそらく自分がしていることは
あるいは自分がこれからやっていくべきことは
「ビジネスのデザイン」といったものかもしれません。

そして、その先には
新たな社会的価値のデザイン。

社会復帰してからというもの、ずっと「新たな社会的価値の創造」を標榜してまいりました。
これから私がやるべきことはそういうことだと確信しております。

WEBマーケティングにあるのは進化のみ、完成形はない、ということ

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WEBマーケティングにあるのは進化のみ、完成形はない、ということ

  • Author: LUCA

HPやネットショップについて、できあがりに完成形を求めても、それは必ずしも正しい判断とは言えない、と考えています。


スタートする段階では「見た目」の完成形ではなく、機能やシステムの基本がきちんとできていれば、
あと見た目のデザイン的なところは8割で十分、だという考えです。

理由は簡単で、マーケットに合わせて、その「つくり」を変えていく、というのが実践的だからです。

つまり、マーケットの変化に合わせて、
試行錯誤しながら、つくりも変えていく、
あるいは機能やデザインを進化させていく、
というのが本来のあり方だと考えています。
初めにガチガチにつくりこんでいると、逆にマーケットの変化に柔軟に対応できなくなります。


グーグルアナリティクスで解析する。
サーチコンソールなどでSEO対策など施す。
SNSとの連動を効果的に機能させる。など

WEBマーケティングを展開していく中で、
どのようなツール、チャンネルを使うか、
どのようなコンテンツを創り上げていくか、
またそれにふさわしいデザインはどうあるべきか、
これらの実際にマーケティングを展開していく中で、構築していく、というのが現実的だと考えます。

最近はこうした考えを理解してくれるクライアントも少ないながらも増えてきており、
なんとか、こうした実践的なWEBマーケティングを普及していきたいと思っております。


 

 

 

 

映像を撮る、世界を見つめる、「視る」ことを共有する

映像を撮る、世界を見つめる、「視る」ことを共有する

  • Author: LUCA

写真を撮る、動画を撮る。
映像をとる。

自分にとって、それは、日常の世界と向き合い、そこに美を見出す行為。

世界の一瞬一瞬を映像に切り取っていきたい、
日常という世界の細部に宿る美を映像に残したい。
そして、その映像を「見る」人と世界を「視る」ことを共有したい。

人が映像を見る時、
その映像をつくりだした人と
視点を共有する。

映像の鑑賞者は
撮影者と「視る」ことを共有するのだ。
そこに、世界観を共有する一瞬が生まれる。

僕は映像を撮り続ける。
僕が視る世界、
僕が感じる日常の中の美。

神は細部に美を宿した、という。
日常の中の細部。
そこにも美はある。

視覚の中で、だれかとそれを共有する。

僕にとって
映像を撮り続けるということは
そういうことだ。

武雄市北方町の高野寺

武雄市北方町の高野寺

  • Author: LUCA

武雄市北方町にある高野寺。
当寺のホームページの解説によると
「高野寺は千二百年余り前、弘法大師空海によって開かれた古刹です。鎌倉時代の古文書には『いかなる罪人も高野寺の境内に走り候えばその罪も免じる』とあります。
山門をくぐれば、慈悲深い仏の懐にも似た深く静かな佇まい。」

なんとあの空海が開いたお寺なんですね。

本当の見どころの時期はシャクナゲ20種、1000本以上が咲く、4月初旬より5月初旬。
また、紅葉が見事な11月中旬。

もちろん造形された庭園や建物などは空海以降の空間でしょうが、それでも、空海の世界観、宗教観、美意識の一端を体感することができます。

さすが、空海ですね!!


人を理解するということ

  • Author: LUCA

子どもの頃、よく遊んだ遊園地に行ってみる。
ひどく狭く感じられる。
子どもの頃は、そこで野球やったり、肉弾という遊びをやったりと狭く感じれられることはなかった。

遠足となると1か月前から毎日が待ち遠しく、1日がひどく長く感じられた。

それが、大人になるとまるで違って感じられる。
すると、子どもを理解するというのは
一度、子どもの目線に立ってみないとわからないのかもしれない。

子どもの視点に立ってみる。
子どもの視点から見える世界。
子どもが見ている世界に
自分も立って同じ世界を見てみる。

しかし、それは子どもに対する理解のみならず、すべての人にも通じるようにも思う。

人を理解するということは何か。

何を感じているのか。
何を見ているのか。

人を理解するというのは
つまり、その人が見ている世界を同じ視点に立ってみてみることだと思う。

一度、自分の立場から降りてみる。
相手が見ている世界とは何なのか、
何を見ているのか、
どんな世界が見えているのか。
それを共有してみる。

人を理解するというのはそういうところから始まるのだと思う。