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  • 犯罪被害者支援サポーター養成講座<3歳の娘を殺害された被害者遺族①>

    佐賀県が主催する犯罪被害者支援サポーター養成講座の第4回目。
    第一部の講座は7年前ひな祭りの日に
    3歳の娘を殺害されたSさんの話だった。
    スーパーで娘さんがトイレに行った際、
    後ろからつけてきた男から襲われ、
    リュックにつめられ、川に捨てられた。

    犯人は20歳の大学生。
    判決は無期懲役。

    Sさんには3人の息子さんがおり、
    娘さん殺害後、息子さんにも様々な異変が生じたそうだ。

    一時は一家心中を考えたものの
    警察からの被害者支援のサポートを受け、
    心療内科での治療を受けながら、
    徐々に落ち着いていったそうだ。

    裁判所で犯人を殺害し、
    自害しようとも考え、
    その思いを心療内科の医師に伝えたところ
    次のようにいわれたそうだ。
    「やってもかまいませんよ。
    しかし、それではあなたも殺人者になります。
    それで奥さんやお子さんは喜びますか?」

    この言葉でSさんは思いかえし
    新たな生き方を模索することになる

     

  • 受刑者との文通③

    受刑者のSくんから2通目の手紙が届いた。
    まだ30代前半、満期はまだ先だが、
    立ち直りは可能だろう。
    そもそもお互い面識もないのに
    マザーハウスを通して文通しているのだから
    本人はおそらく家族との手紙のやり取りもないのかもしれない。

    私のWEB解析士の仕事に興味深々である。
    出所後はWEB関連の仕事に従事したいらしい。
    どんな勉強をしたらいいのか、
    尋ねてきた。

    刑務所内でWEB関連の勉強は
    机上の書籍でしかできないが
    情報処理技術者の資格試験は受験できる。
    また、そのための職業訓練もある。

    佐賀だと佐賀少年刑務所に天山職業訓練校が併設されている。

    ほかにも希望すれば
    日商簿記の1級、2級の資格試験も受験できる。

    いろんな手立てを講じて
    社会復帰のための準備をしておくことが肝要だろう。

    将来に希望をもつことは大切だ。
    福岡教育大学を出ながら
    3回、刑務所に入ったM君がいっていたが
    「もう、3回も刑務所に入ると
    生きていきたくもないが
    死ぬこともできないので
    生きているという感じ」になるらしい。

    また、中学高校の同級生で
    浄土真宗の住職をしているS君もいっていたのだが
    彼は教誨師として
    佐賀少年刑務所に受刑者に説法をしにいっており、
    「満期出所の人は
    希望をもっていないんですよね。
    刑務所にいた方がよっぽどいいという感じですね」
    と話していた。

    シンプルに言えば
    将来に希望をもって
    日々努力する、ことが大切
    ということだ。

    おそらく希望を持ち続ける勁さというのがあるのだろう。

    多くの人が「強さ」を
    競争社会で生き抜いていく「強さ」をイメージするだろうが
    社会から隔絶され
    孤独のうちにいる人においての「強さ」とは
    他者との比較の上に成り立つ「強さ」ではなく
    希望を持ち続ける「勁さ」である。

    満期出所まであと4年ほど。
    くじけないで希望を持ち続けてほしい。
    その間、支えてあげたい。

  • 佐賀市若宮町の寿司割烹「いち善」の花籠弁当

    今日は、クライアントの方と 佐賀市若宮町にある寿司割烹「いち善」で ランチをいただきました。 注文したのは「花籠弁当」 1500円ですのでプチ贅沢なランチですが 「上質な普通生活」を標榜する私としては ここいらが上限かな、と。 薄味の上品な味付けで 店内も清潔、上品なつくりでした。 ご年配の女性が多く、まあ、そういうプチ贅沢なランチを楽しみたい人にはぴったりなお店です。
    花籠弁当(1500円)
    花籠弁当のデザート
  • 人格攻撃をネット上でする人たちに関する一考察

    きれいごとをいうわけではないが、
    私自身、言葉はとても大切で
    何しろ6か月間の接見禁止を受けた経験があるゆえに
    その間、家族とも誰とも会話をすることがなく、
    それゆえ、
    自分にとっての言葉は
    愛に満ちた言葉、
    希望に満ちた言葉、
    知恵に満ちた言葉、
    そしてほんの少しのユーモア、
    それだけが大切で
    それ以外は不要である。

    ネット上で人格攻撃をする人たちがいる。
    もちろん、相手側にも非があるだろうが
    しかし、こうした人たちの病理性は
    相手に非があることを免罪符にして
    自身の病んだ部分の不満解消の手段のごとく
    延々と相手の人格攻撃を続けることだ。

    「自分は正しい。悪いのはあいつだ」
    という単純な構図でもって
    攻撃対象が悪く、
    自分は正しいと主張し、
    共感を得ようとする。

    しかしながら、こうした人たちの多くは
    「自分は正しいのに認められていない」という
    ゆがんだ自己承認欲があり、
    事実、「自分は正しいことを言っているのに閉職にいる」
    といった人物もおり、
    つまり、心は病んでいるのである。

    こうしたゆがんだ自己承認欲を持つ人たちは
    だれか攻撃対象となる人物を攻撃することで
    「あいつは悪く、自分は正しい」という図式の中でしか
    自身のアイデンティティを持ちえないという
    病的な心理状況にあるのだ。

    一方、罪を犯して
    そこから健全な再起を果たした人の多くは
    自分自身のことを深くみつめ
    心の奥にある病んだ部分を
    修復することで新しく自分を再生していく
    という心のプロセスを経ている。

    自分の心の奥深くにある病んだ部分を
    真摯に見つめ、そこを修復するという
    心のプロセスには痛みを伴うこともある。
    例えば、幼少期に親からDVを受けていた場合。
    思い出したくもない過去を思い出し、
    さらにそうしたつらい過去を受け入れるという
    心のプロセスも必要になるからだ。

    自分の病理性を真摯に見つめ
    修復するからこそ
    再起ができるのである。
    それが起点である。

    しかし、
    人格攻撃を執拗に続ける人は
    「相手が悪く、自分は正しい」という構図の上でしか
    自己承認欲を満たせないがため、
    自身の心の病んだ部分を真摯に見つめようとしない。

    よって、
    こうした人たちは
    自分の病んだ心を修復する機会を
    自ら捨て
    あくまでも
    「相手が悪く、自分は正しい」という
    構図の上で、
    相手の人格攻撃をするとことでしか
    自己承認欲をみたせないのだ。

    つまり
    彼らの心はいつでも病んだままだ。

    「汝、復讐することなかれ」
    聖書の言葉だ。

    自身が人格攻撃されたからいうわけではない。
    何度も言うが
    自分の病んだ心を修復しない限り
    罪のスパイラルの中で
    延々と罪を犯し続けるだけだ。
    それは法的な罪ではなくとも・・・

    ただ、それでは本人が救われないだけである。

     

  • 相模原市障害者施設殺傷事件から2年の今、考えること。

    佐賀県の障碍者福祉計画策定のための調査を受託したことがある。
    その中で佐賀県内白石町に住むある夫婦の事例が印象深かった。

    その夫婦は
    夫が糖尿病で両足切断、失明していた。
    妻はほとんどつきっきりで看病しており
    客観的に見ると
    どう考えても「不幸な状況」のようにしかみえなかった。
    しかし、
    その奥さんはこういったのである。
    「私はとても幸せです。
    いつも主人のそばにいれるから」

    なんだろう・・・
    もう20年以上も前の話なのだが
    今でも思い出し、考えてしまう。

    おそらく、
    奥さんの方からすると
    夫がどのような状態であろうと
    「かけがえのない存在」なのだ。
    他に代替えすることのできない
    自分にとってはただ唯一の
    「かけがえのない存在」なのだ。

    そういえば、
    今年7月26日
    相模原市障害者施設殺傷事件から2年がたつ。
    知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に、元施設職員の男が侵入し、所持していた刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた大量殺人事件である。

    犯人の男は
    ようするに優性思想に基づき
    知的障害者は社会に不要だと考えたわけである。

    しかし、
    外形的にはどうであれ、
    障害があろうとどうであろうと
    その人のことを
    「かけがえのない存在」として
    愛する人もいたはずだ。

    であれば
    他人がとやかくいう必要はない。

    そしておそらく
    唯一の「かけがえのない人」
    と思えることが愛することの本質なのだ。

    それは客観的に「みえる」何かではなく、
    存在そのものが唯一でかけがえのないものと思えることなのだろう。

    そして、おそらく
    「かけがえのない自分」であることを認識することで
    「かけがえのない生」を生きることが可能なのだ。

    評価で生きることは不要だ。
    「かけがえのない自分」を生きることが大切なのだ。

  • 大島紬村

    奄美の龍郷町赤尾木にある「大島紬村」です。 大島紬の店内は撮影禁止・・・ ただ、ここのオリジナルチョコがとてもおいしい。 乳化剤や白糖はつかわず、黒糖とカカオのみで作ってあります。
  • 奄美のジェラード専門店「ラフォンテ」

    奄美の赤尾木にあるジェラード専門店「ラフォンテ」 大山自然果樹農園の黒糖を使ってあります。 やはり大山さんの黒糖でないと なかなかいい甘さが出ないそうです。
  • 受刑者の若者との文通②

    北海道の受刑者であるS君への返信をやっと書き終えた。
    手紙を書くというのはやっぱりパワーと時間が必要ですね。
    今日は午前中空いているので、
    こういう時間帯に書かないと、なかなか書けない。

    社会復帰に向けて
    残りの刑期をどう過ごしていったらいいのか、
    それはとても重要なので、
    いろいろアドバイスさせていただきました。

    社会の中で
    「自分が必要とされ、感謝されること」
    このことを行動基準におけば
    いろいろ困難はあっても
    状況は好転していきます。

    孤独と絶望の対極にある価値は
    愛と希望です。

    受刑中であっても
    希望の灯を持ち続けてほしいですね

  • 日本サッカーのポーランド戦に関する一考察

    ワールドカップサッカーの
    日本ポーランド戦について
    以前FB上で
    「逃げるは恥だが役に立つ」とコメントした。
    つまるところこういうことだろう。
    ただ、ポーランド戦における日本の戦い方に不満をもつのもわかるが、果たしてそういう視点だけでいいのか?
    あるいは勝ち抜くのが得か、
    それとも戦う姿勢を貫くのがフェアか、
    という視点のみでいいのか?

    セネガルと勝ち点、得失点差での差はなく、つまるところ、警告数で日本が少ないことによって、日本が予選を突破したということは、つまり、日本が予選リーグでセネガルよりもフェアプレーで戦ってきたということである。

    事実、予選リーグHグループでは日本が最も警告数が少ないのだ。
    すなわち、Hグループ内で最もフェアプレーな「戦い方」をしたのは日本なのである。

    このことを考えると、
    ワールドカップの予選リーグを突破するためには
    日本のようにフェアプレーに徹した「戦い方」をした方が有利である、
    ということに気づいた指揮官もいたはずだ。

    日本の予選突破は
    つまりフェアプレーに徹した日本の「戦い方」が評価された結果なのである。
    予選リーグを通して
    日本がフェアな「戦い方」をしてきたことについて
    ポーランド戦での「戦い方」のみを批判することは
    あまりにも表面的すぎる。

    私たちはそうした「戦い方」への批判ではなく、
    日本チームが予選リーグを通して
    フェアプレーで戦ってきたことを誇りにすべきだ。

  • 受刑者との文通①

    刑務所で受刑中の男性と文通始めました。
    先月、手紙をおくったところ、
    今日、返事がきました。
    年齢は32歳、満期出所まであと4年半とのことです。
    丁寧な文字で書かれてあり、
    私の仕事、WEB解析士の仕事にも興味があるとのことです。

    出所時、まだ30代なので、
    まだやりなおしは効くでしょう。

    私が説教じみたことをいうことはまずない(笑)

    自分を見つめ、
    自己と対話することをすすめてます。

    自分の過去、家族のことなど
    眼をそむけたくなるような自分のことから
    目を背けず、みつめることが
    再スタートのための起点となります。

    そこから自分のコアになるものをつかんで
    無駄なもの、腐った部分を剪定し、
    新しい方向にむけて、再スタートできるかどうか。

    なんとかいい相談相手になれて
    彼の新しい人生に
    いい意味での影響を与えることができれば
    幸いです。