東多久にある「陽だまり」
築100年以上の古民家で食べる「からだにやさしいランチ」
「鶏こうじランチ」は醤油麹のソースをかけた鶏を焼いたランチ。
味噌汁の味も優しい。
ご飯は玄米と五穀米の2種類から選べる。
玄米派の私としてはこれはうれしい。
室内も古民家らしく雰囲気がある。






「後半の人生には宗教が必要である」
こういったのはユング心理学の大家、河合隼雄氏である。
河合氏がいうことをシンプルに言えば、
「人生後半は死に向かう生を生きる。だからこそ宗教が必要になる」ということらしい。
確かに、私も両親の死後、自身の「死」も意識するようになった。
「死」という視点に立った時に見えてくる
現在の私の「生」もまた意識するようになったといえる。
「死」を意識することで改めて「生」が浮き彫りになってくるという構図である。
また一方で、宗教的視座をもつことで
これまでの「生」を俯瞰してみることも大切になってくる。
それは単に過去を振り返るということではなく、
これまでの「生」のそれぞれの出来事の意味を
「自分にとってそれはどういう意味だったのか」ということを
俯瞰してみることが大切である、ということである。
それはたとえてみれば、
無秩序のようにも見える星の配列を
意味ある「星座」として、
再構築していく思考プロセスともいえよう。
自身にこれまでおきた数々の出来事。
一見、無関係に思える出来事の時間的連鎖が
自分にとって「意味ある連なり」として見えたとき、
これからの人生の指針となる「星座」がみえてくる。
そのとき、はじめて
自分の「生の意味」も理解できるようになるのではないだろうか。
ややもすると
自分にとって「辛かった出来事」こそ
実は、大きな意味をもつものであることも多い。
一見「不幸な出来事」にもその奥底に何らかの意味があり、
それを自分にとって「どのような意味や意義があったのだろうか」と
問いかけ、自分なりの意味を理解するとき、
「不幸な出来事」は「不幸」ではなくなり、
「意味あるもの」として、再び自分の中で生成されてくる。
そうすることで
自分の「生」の意味をより深くとらえることができるだろう。
「うつし絵に 口づけをしつつ幾たびか 千代子と呼びてけふも暮しつ」
( 山本五十六)
太平洋戦争のさなか、山本五十六は愛人である河合千代子さんに恋文を送っていた。
上の恋歌はそのひとつである。
当時、山本五十六は57歳。
それでも愛する人に恋歌を贈り
愛する人に「愛している」とストレートに伝える いろっぽさ。
大人の ダンディズムを感じさせる。
気障と思う人もいるかもしれない。
しかし、もし、あなたが死の間際でもいい、
誰かに一言だけ伝えられるとしたら
誰に何を伝えるだろう。
おそらく多くの人が
愛している人に
「愛している」と伝えたいと
願うのではないだろうか。
それが自然な感情である。
大人になればなるほど
そうした自然な感情に素直になれる、
それが何かしら
その人のメンタルないろっぽさを漂わせる。
大人の色気とは
つまるところその人のメンタルな香り、
いろっぽさだと思う。
年齢とともに外形的な容姿は衰えていく
しかし、メンタルな輝きは増していく。
そうした色気のある大人でありたい。