キリストは常に罪ある人とともにいた。
そして自ら十字架の上にあるときでさえ
罪ある人のために神に祈った。
罪ある人にこそ神の愛と赦しは必要だからだろう。

元受刑者Aさんと連絡を取り合い始めて、
2週間ほどになる。
Aさんは現在、建築CAD1級の資格取得のために
職業訓練校に通っている。
年代的にも私と近く、
趣味が同じ料理なので話も合う。
ほんとに「気のいいただのおっさん」である。
8月には福岡で会う約束をした。

一般論として。
支援する側と支援される側との関係は難しい。
支援される側は支援する側よりも
圧倒的に劣位に立たされるからだ。
その関係を良好なものにするためには
支援する側が支援される側の痛みを
知ろうとすることが肝要だろう。

これが障碍者福祉や高齢者介護福祉の分野であれば、
一般的に多くの人は支援される側の痛みを知ろうとするだろうが、
元受刑者に対しては、
まず、そういうことはない。
「同じ人間」というより
「人格破綻者」のようにみてしまうからである。

それゆえ、社会は「元受刑者」反省を求める。
しかし、元受刑者は反省を強いらされるために
刑務に服したのであって、
つまり、出所後、求められるのは
「反省」ではなく、
いかにして再犯せず、社会復帰をしていくかが
問われているのである。

そのため、法的には昨年12月に「再犯防止推進法」が施行され
再犯防止のためには、元受刑者の出所後の
社会復帰を支援することが法的にも明記され、
各自治体もそれにのっとった対策が講じられるようになった。

http://www.moj.go.jp/hisho/seisakuhyouka/hisho04_00049.html

しかし、それでも元受刑者の社会復帰は困難で
私が知るある30代の男性も
地元佐賀県を離れて、四国で生活している。
もともと農家なので、
地元でもう一度再スタートできないことはないはずだが、
結局、居づらいようだ。

支援する側と支援される側との間には
何らかの共感を持ちえないと、
良好な関係をもちえない。
元受刑者の社会復帰の支援といっても
おそらく、多くの人は支援する動機となる
「共感」をもちえない。

唯一、「だれもが罪を負い、
その罪からの救い」を教義とする
クリスチャンの方に限って言えば
元受刑者の「罪からの救い」は
宗教的にも支援する動機となりえる。

「罪を負い、その罪からの救い」を求める
といった点において、
元受刑者もまた私たちと同じである、
と考えるからだ。

元受刑者の社会復帰のための
新たなパラダイムをつくっていきたい。

 

*写真の花はトルコキキョウ
花言葉は「希望」

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