Clitical(批判)からCreative(創造)へ

健全な批判は必要だ。
だが、批判が知的生産活動であるためには
2つの要件が必要だと考えている。

一つは批判することによって
新たな知見が見出される場合である。

もう一つは、批判の対象へのアンチテーゼとして
それとはまた別の
新たな価値を創造することだ。

健全な批判力は必要だ。
しかし、えてして
それが単なる感情の吐露にすぎない場合も多い。

昨今の国会での討論が不毛なのは
政権批判にまったく新たな知見を
見いだせないことだ。
また、政権への批判をテコに
新たな政策を提案できるほどの
創造性もない。

あるいは
自身の歪んだ自己承認欲をみたさんがために
人を批判するといった卑屈な人もいる。

北野武のTVでの圧倒的な毒舌による批判力も
それは、
彼自身の映像分野等での創造力に反映している。
北野武の批判力は芸術分野での創造力につながっていることがわかるからだ。

批判が知的生産活動であるためには
そこから新たな知見を見出せるか、
あるいはまったく別の価値を創造するかだ。

でなければ批判する意味も価値もない。

*写真は「ブルーベリー」
花言葉は「知性」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です