およそ多くの宗教が説いている。
人間にとって、悲しみは
光の世界に至る洞穴であり
神の計画の眼目であると。

しかし、悲しみが
光の世界に通じる洞穴であるとしても
そこに至るまでは
孤独な暗い坑道を歩まねばならない。
そこに求められるものは何だろうか。
何が暗闇を照らすのだろう。

愛と希望の光度。
それだけが闇を照らすのかもしれない。

「ずいぶん、久しぶりだわ」

「そうだね、3年ぶりかな・・」

「どういう生活してたの?」

「言葉を失っていた・・」

「どういうこと?」

「6か月間の接見禁止をくらってたんだ。
その間はだれとも会えないってことさ」

「家族にも?」

「そう、手紙も書けない」

「孤独だっだの?」

「そうだね、何しろ話す相手がいないんだから」

「6か月もそんな生活?」

「そう、先の見えない暗闇に一人でいる感じ。
ほかになにもすることがなかったし、
思考することだけが自分の自由を得られる手段だったかな・・
というより、深く自分の内部に沈降していくしかなかったというのが真実だね。」

「ジャックマイヨールって知ってる?」

「知ってるさ、素潜りの天才だよね」

「そう、あなたのふるさと佐賀、
その佐賀の唐津の海でイルカに出会ったのをきっかけにダイバーになったフランス人、大の親日家でもあったわ」

「記録では100メートルの深さまで潜っていったらしいね」

「世界記録保持者だわ。
でも、ジャックは深い海に潜って行ってわ」

「深い海ってなんなのかしら」

「100メートルの素潜りなんだから、暗闇なんだと思うよ。
音も聞こえないだろうし・・・」

「そうかしら」

「なにも聞こえず、暗闇だからこそ感じる何かがあったと思うわ」

「音もない暗闇の中で
ジャックは自分の心の声を聴いていたんだと思うの」

「たぶん・・・、沈黙が広がる闇の中でこそ
自分の声を聴くことができたんだと思うわ」

「確かに、ジャックは座禅も組んでたらしいし、禅の修行僧のような雰囲気もあった・・・」

「何も聞こえない暗闇だからこそきこえてくるものがあったはずだわ」

そうかもしれない。
彼女が言うようにジャックは海に深く潜り込んでいくことで
その深い海の底で、
自分の心の奥底に潜む声だけを聴いていたのかもしれない。

確かにそうだった。
僕自身、何も聞こえてこない空間の中にひとりあって
聞こえてくるのは自分の心の声だけだった。

知らぬ間にできていったいく千もの心のひだ。
何かがもつれ、何かがからまり、何かが不足していた。
その心のひだの奥底をかきわけるようにして
その奥に潜む真実の言葉を探しいっていた。
人肌のぬくもりが感じられる言葉を。

「モノローグ。結局、自分との対話だね」

「そんなことないわ。
モノローグはダイアローグにつながるんだと思うの」

「デュラスの小説だわ」

マルグリッド・デュラス。
フランスの女性作家。彼女の小説「ラマン(愛人)」は高校生の時に読んだ。
デュラスの小説はなんだろう。
ただ、ひたすら自身の少女のころの恋愛を語る。
時に一人称で、時に三人称で過去の自分をつきはなし、
デュラスは小説で自身のことを語る。

そこで語られるのは
家族との葛藤、あつれき、
お互いの孤独をうめようとするかのように求め合う少女と青年実業家。
デュラスは少女のころの自分に立ち返りながら
過去の傷をかさぶたの剥ぐように、
うっすらと血がにじむような痛みが疼くように心を痛める。

しかし、その痛みとともにデュラスは自分の過去を
そして自身のことを愛している。

おそらく自分自身を振り返ることは
自分のことを見つめなおすことは痛みを伴うものなのだ。
自身を愛することはその痛みをともに愛することなのだ。

そして、その痛みをデュラスとともに
読者は共有し、共感を覚える。

「デュラスは自分を語ることで、おそらく多くの読者との対話を得ていたのよ」

「モノローグがいつしかダイアローグにかわっていたんだわ」

「だから、あなたもいつか自分を語ることが必要になると思うの。
あなたのモノローグはいつか多くの人とのダイアローグにつながるはずよ」

そうかもしれない。
あのころ、僕は心の奥底の真実の言葉を心のひだをかきわけるように探っていた。
ぬくもりのある言葉がほしかった。

窓の外では白馬村特有のパウダースノウといわれるさらさらとした粉雪が降り積もっていた。
夜の闇にあって、やわらかな月明かりが雪面に反射し、闇は闇ではなくなっていた。

人肌のぬくもりを感じたかった。
狂おしいほど、体の奥底で。

ふたりの腕がお互いの背に重なり合った。

彼女の唇がほどけ、舌がからんできた。
そして、彼女の体が白い闇に溶けていった。

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