カテゴリー: 元受刑者支援活動

  • 自己治癒力を考える

    「心理療法の根本は、クライアントの自己治癒力に頼ることだ」(河合隼雄氏)

    これはユング心理学の大家、河合隼雄氏の言葉です。
    この人間観は私の考えと一致します。

    私自身も誰もが自己治癒力を有していると考えており、
    自己の根源的な部分に立ち返り
    最も深い部分の自分に出会うことによって、
    生きていくうえでの多くの知恵は
    そこに、用意されている、
    と考えています。
    それを私はDNA(Divine Natural Awareness:聖なる自然の知恵)と呼んでいます。

    河合隼雄氏はユング心理学を東洋的に解釈する中で
    私たちの意識の根源に仏教的な要素があることを指摘しています。
    直接的には言及してはいないものの
    輪廻転生のことにもふれてはいます。

    仮に輪廻転生が真理として、
    私たちは各々の生の中で
    「生きる意味」があり、
    「生まれてきた意義」があると考えていいでしょう。
    であれば、私たちはそれに応じた知恵(DNA)を
    意識的、無意識的に有しているといっても
    決して間違いではないでしょう。

    あるいは、ユングは人類に普遍的に共通する意識の層を「超意識」と呼んでますが。

    しかしながら、その自己治癒力がうまく機能しない場合もあり、
    そのため、河合隼雄氏は
    「自己治癒能力がうまく機能しない場合もあり、そのため心理療法家が必要になる」という主旨のことを述べています。
    しかしながら、その場合の心理療法家のサポートとは、相互作用の中で発揮されるもので、それはクライアントと心理療法家の間で主従関係が生まれるものではありません。

    このようなことを考えると、
    一般的に人を支援していく、
    サポートしていく、というのは
    おそらく、相手の自己治癒能力を信じて、
    その力をうまく発揮させるように仕向けていくことだと確信しています。

    さて、12月22日に熊本大学法学部のセミナーで
    岡田教授と加害者家族支援をしている阿部さんの講義を受講しました。

    加害者家族の状況は悲惨です。
    本来は、加害者家族が瓦解しないよう、
    なんとか支えて、加害者自身が更生するための基盤となるはずべきはずなのに
    社会全体で、加害者を出した家族を責め立てるという風潮が「常識」となっています。

    では、その「常識」が世界の「常識」かというとそうではありません。
    阿部さんがいうには
    「海外では加害者の家族がマスメディアの取材に応じて、答えるという場面もあり、実はそうした家族には励ましの手紙が届く」らしい。
    つまり、海外(特にキリスト教国)では
    加害者を出した家族を支援することが
    ひいては加害者の更生につながる基盤につながるものと
    認識されているのです。

    もちろん、加害者の家族に問題がなかったということではありません。
    逆に犯罪を通して家族の問題が顕在化されたという側面もあります。

    しかし、それを認識し、修復するのは
    その家族の固有の問題であり、
    第三者がその固有の問題にとやかくいっても
    まったく、無意味なのです。

    あえていえば、
    それぞれの家族が犯罪を通して
    それまでの歪みを認識、修復し、
    回復することが重要なのです。

    しかしながら、社会全体は
    「犯罪者を出した家族」に対しては
    まるで連帯責任のごとく
    責め立てるのです。

    そのことでその家族が崩壊し、
    その結果、加害者が社会復帰する基盤が
    失われたとして、
    それがまた、犯罪につながってしまうという
    負の連鎖を生み出していることに
    社会全体が気づいていない、ということです。

    日本の再犯率は6割と
    先進国の中でも非常に高いそうです。

    それにもかかわらず、
    「加害者家族支援」については
    批判的な人も多いのです。

    曰く、
    「加害者家族支援よりも被害者支援の方が重要」という意見です。

    では、「被害者」に対して、社会全体が本当に支援しているかといえばそうではありません。
    いや、社会全体がまるで「被害者」にも落ち度があるように責め立てているのが実態です。

    私は熊本市にお住いの3歳の娘さんを平成23年に殺害されたSさんのお話を直接お聞きました。
    娘を殺害されて、さらにSさんのところには「おまえが子どもをきちんとみていなかったからだ」という批判にさらされます。

    さらにいえば、性被害者に対する
    「おまえがそういう恰好をしているからだ」といった
    まったくピント外れの批判も多いのです。

    これが社会の実態です。
    こういう状況がいいのか、ということですが、
    ここで優先すべき課題は
    まずは、被害者側の心のケアでしょう。
    しかし、実際には被害者も責め立てているのが実態なのです。

    つまり、「あなたの責任である」という命題を
    相手を責め立てる方便としてしか使っていないわけです。

    私自身も全ては「あなたの責任である」という考えですが、
    それは、その人自身に「自己治癒能力」があり、
    そこに立ち返り、
    周囲の理解があれば
    立ち直れる、という意味で使っております。
    つまりスタンスがまったく異なります。

    さて、元受刑者の社会復帰にしても
    また、これまでのまでの「常識」が必ずしも有効とはいえません。

    熊本大学の岡田法学部教授にいわせると、
    「反省しろ、反省しろ、と頭を押さえつけて、
    社会の隅っこに追いやっている。
    与える仕事も肉体労働ばかり」というのが実態です。

    イギリスの研究によると
    実際に社会復帰している元受刑者の多くが
    「人から受容され、評価されたころが復帰のきっかけになっている」
    そうです。
    元受刑者に対して反省を求められるるのではなく、
    社会に有益な行動を求め、
    ヒューマンリソースとして
    活用していくことの方が
    社会全体としては最適であるはずです。

    ところが、「社会の隅っこにいろ」とばかりに
    追いやってしまっていることが
    再犯につながっていることに気付くべきでしょう。

    「すべてはあなたの責任である」
    それは私にとって、
    誰しもが自己治癒力を有しており、
    よって、そのひと自身の力で十分回復できる、
    修復できる、立ち直れる、という意味です。

    相手を突き放し、責め立てることばではありません。


     

     

  • 人が立ち直るということ・・・・

    先日、40代のある男性と出会った。
    高校の後輩にあたり、
    某国立大学を卒業後、
    現在はアルバイトで生計をたて、独身らしい。

    これまでの職歴を聞くと
    能力はあるようだが
    将来設計がみえてないようでもある。

    人生は必ずしもうまくいくわけではない。
    どちらかといえば
    不条理でさえもある。

    いささか、不条理で
    「自分にどうしてこんなことが?!」と
    思えるようなことでも
    そこで答えを出すのは自分自身でもある。

    フランクル流に言えば
    「人生に問うてはならない。
    人生から問われているのはあなた自身だ」
    ということであろう。

    厳しいようだが、
    実はこれはどれほど厳しい現実があろうとも
    それに対してどういう答えを出すのかは
    あなた自身の自由でもある、ということである。

    つまり「厳しい現実」を前にしても
    それに対する考え、態度については
    選択の自由が残されているのだ。

    それがたとえアウシュビッツであったとしても。

    では、「あなたの責任であり、あなたの選択の自由である」として
    はたして、それをいう当人がどういうつもりで
    相手にいっているのか?

    つまり、そういうことで
    相手へのかかわりを避け、
    単純に言えば
    相手を言い負かしたいだけの方便になっているのが
    実態である。

    それは違うとして、
    しかし、
    「あなたの責任であり、あなたの選択の自由である」という命題は
    ある可能性を示してもいるのである。

    私自身は
    人は自己治癒能力を有しており、
    つまり、自分自身の心の深部に立ち返れば
    いずれ、その人の人生は立ち直れるというスタンスにいる。

    「あなたの責任であり、あなたの選択の自由である」
    ということは私にとっては
    誰もがコアなる自分自身に立ち返れば
    そこで、最善の方策は
    自分自身がすでに答えを有している、
    という別の意味も含んでいると考えるのである。

    それを私はDNA
    (=Divine Natural Awareness 「聖なる自然の知恵」)と呼んでいる。

    その人の心にある「聖なる知恵」。
    おそらく、だれもがそうしたDNAを有しているはずである。

    自分自身に問いかけ
    外界の事象にとらわれることなく
    自分の心に対峙すれば
    必ず自分の心は答えてくれるはずである。

    孤独は決して苦痛ではない。
    いや、孤独だからこそ
    自分の心に耳を傾けることができるのである。

    そして、
    そこで、はじめて
    「自分を信じる」ということの意味が分かるはずである。

    そして、はじめて
    人は立ち直れる。

  • 受刑者との文通⑤

    30代の受刑者との文通も4通目。
    今日、書き終えて、月曜日にも投函する。

    残りの刑期4年間をどう過ごすのか。
    出所後の目標をもってそのための準備期間として
    無駄のないように過ごしてほしい、との旨を書いた。

    他に簿記の勉強もしているらしく
    まずは簿記3級を目指しているらしい。
    わかりづらいそうだ。

    自分も税務署の簿記講習を受けているが
    ポイントは
    ①仕分け
    ②損益計算書
    ③貸借対照表
    以上3点の関係がわかれば、スルッとわかるんだが・・・

    その関係を簡単に説明した。

    私は基本、受刑者に反省など求めない。
    それより、まずは自分を見つめることを求める。
    なぜなら、私が知る更生した元受刑者の多くが
    深く自分を見つめ、考察しているからだ。

    私が求めるのは反省ではなく
    自分自身を深く見つめることである。
    イメージ的には剪定である。
    腐った部分、無駄な部分をそぎ落とし、
    自分のコアとなる幹の部分だけを残す。
    そして伸びていく方向性を見定め、
    それに向かって努力していく、というものである。

    この心的プロセスこそ
    立ち直りの起点である、と確信している。

  • 受刑者との文通③

    受刑者のSくんから2通目の手紙が届いた。
    まだ30代前半、満期はまだ先だが、
    立ち直りは可能だろう。
    そもそもお互い面識もないのに
    マザーハウスを通して文通しているのだから
    本人はおそらく家族との手紙のやり取りもないのかもしれない。

    私のWEB解析士の仕事に興味深々である。
    出所後はWEB関連の仕事に従事したいらしい。
    どんな勉強をしたらいいのか、
    尋ねてきた。

    刑務所内でWEB関連の勉強は
    机上の書籍でしかできないが
    情報処理技術者の資格試験は受験できる。
    また、そのための職業訓練もある。

    佐賀だと佐賀少年刑務所に天山職業訓練校が併設されている。

    ほかにも希望すれば
    日商簿記の1級、2級の資格試験も受験できる。

    いろんな手立てを講じて
    社会復帰のための準備をしておくことが肝要だろう。

    将来に希望をもつことは大切だ。
    福岡教育大学を出ながら
    3回、刑務所に入ったM君がいっていたが
    「もう、3回も刑務所に入ると
    生きていきたくもないが
    死ぬこともできないので
    生きているという感じ」になるらしい。

    また、中学高校の同級生で
    浄土真宗の住職をしているS君もいっていたのだが
    彼は教誨師として
    佐賀少年刑務所に受刑者に説法をしにいっており、
    「満期出所の人は
    希望をもっていないんですよね。
    刑務所にいた方がよっぽどいいという感じですね」
    と話していた。

    シンプルに言えば
    将来に希望をもって
    日々努力する、ことが大切
    ということだ。

    おそらく希望を持ち続ける勁さというのがあるのだろう。

    多くの人が「強さ」を
    競争社会で生き抜いていく「強さ」をイメージするだろうが
    社会から隔絶され
    孤独のうちにいる人においての「強さ」とは
    他者との比較の上に成り立つ「強さ」ではなく
    希望を持ち続ける「勁さ」である。

    満期出所まであと4年ほど。
    くじけないで希望を持ち続けてほしい。
    その間、支えてあげたい。

  • 受刑者の若者との文通②

    北海道の受刑者であるS君への返信をやっと書き終えた。
    手紙を書くというのはやっぱりパワーと時間が必要ですね。
    今日は午前中空いているので、
    こういう時間帯に書かないと、なかなか書けない。

    社会復帰に向けて
    残りの刑期をどう過ごしていったらいいのか、
    それはとても重要なので、
    いろいろアドバイスさせていただきました。

    社会の中で
    「自分が必要とされ、感謝されること」
    このことを行動基準におけば
    いろいろ困難はあっても
    状況は好転していきます。

    孤独と絶望の対極にある価値は
    愛と希望です。

    受刑中であっても
    希望の灯を持ち続けてほしいですね

  • 出所したてホヤホヤの青年

    出所して間もない青年と出会った。
    いろいろ話を聞くと
    よく自分のことをみつめていた。
    曰く
    「あの頃、悪いことやっているのがカッコいいと思ってた」
    「人を従属させたかったんですよ」などなど・・・

    そして
    「もう、まじめにやっていきたいんです」

    刑務所で日商簿記の2級を取得し
    1級の資格をすでに視野に入っているようで、
    日商簿記1級の資格をとれたら
    税理士の資格試験を受験できる。

    WEBもやりたいらしく
    「ワードプレスでサイト製作したいんです」と

    あぁ、この青年は大丈夫だな、と感じました。
    自分自身のことをみつめて
    罪を犯した自身の心を修復したことがよくわかるからです。

    そして将来の目標も明確で、
    これなら、よほどずれない限り
    人生のリカバリーはできる、と感じました。

    あとは、人に必要とされ、感謝されることを第一義にして
    それを行動基準にできればまず大丈夫でしょう。

  • 受刑者との文通①

    刑務所で受刑中の男性と文通始めました。
    先月、手紙をおくったところ、
    今日、返事がきました。
    年齢は32歳、満期出所まであと4年半とのことです。
    丁寧な文字で書かれてあり、
    私の仕事、WEB解析士の仕事にも興味があるとのことです。

    出所時、まだ30代なので、
    まだやりなおしは効くでしょう。

    私が説教じみたことをいうことはまずない(笑)

    自分を見つめ、
    自己と対話することをすすめてます。

    自分の過去、家族のことなど
    眼をそむけたくなるような自分のことから
    目を背けず、みつめることが
    再スタートのための起点となります。

    そこから自分のコアになるものをつかんで
    無駄なもの、腐った部分を剪定し、
    新しい方向にむけて、再スタートできるかどうか。

    なんとかいい相談相手になれて
    彼の新しい人生に
    いい意味での影響を与えることができれば
    幸いです。

  • 山口達也さんの再起を考える

    「山口メンバー」という言い方に違和感を覚えるが・・

    アルコール依存症で入院し、
    退院したその日に焼酎1本を空け、
    女子高生を呼び出し、
    キスを迫ったというその行為は批判されるものの、
    私自身は、アイドルグループとして成功しながら、
    どうしてアルコールに依存しなければならなかったのか、
    また、「Rの法則」でも出演者からは
    「心配りのできる人」という評価を得ている「山口メンバー」が
    なぜ、まるでスッポリとエアポケットに陥ったような行為に及んだのか、
    ということに関心があります。

    オウム事件の井上嘉浩死刑囚の手記を読んだことがある。
    彼の幼少期に
    「父は家で暴れた。大声をあげ卓袱台をひっくり返した。」といい、
    つまり
    「家でもくつろげない。」
    そして、「中学生の頃、理想の大人像が描けなかった。」と語っている。

    心のどこかに巣くった小さな虫食い穴。
    その穴が、のちに井上死刑囚がオウム真理教に入信し
    のちに狂気の事件へとつながっていく。

    高校生の井上死刑囚を知る恩師がいうには
    「まじめな生徒で、授業中座禅を組みながら授業を聞いていた」
    ということもあったらしい。

    つまり通常の感覚では理解しがたい
    狂気を孕んだ人間のやったような事件であっても
    実は、その発端は「普通の人」が何かの原因で
    生じてしまった心に巣くう小さな闇が
    いつしか大きなブラックホールへとすっぽりとはまってしまった、
    というケースが多いと思えるのだ。

    事実、多くの加害者家族の支援をしている
    阿部さんの新書「息子が人を殺しました」を読んでも、
    犯罪を犯した人も実は、
    いたって普通の平凡な家庭のなかで育った
    「普通の人」であることがわかる。

    山口さんがアルコールに依存した心の空洞。
    そして退院したその日に焼酎1本を空け
    番組の出演者である女子高生を呼び出す心の隙間。

    自分のこれまでを振り返りながら
    その心に巣くう虫食い穴が何なのか、
    それを見つめて、修復することが再起の第一歩だと思う。

    私が知る健全な社会復帰を果たした
    元受刑者のほとんどが
    自分自身の心の病み(=闇)を謙虚に見つめ
    修復することで再起を果たしている。

    そのプロセスで家族関係がもたらす影響は大きい。
    家族関係のゆがみが心に小さな傷を与え、
    それがいつしか大きなブラックホールに吸い込まれていく、
    井上死刑囚のケースはその典型であろう。

    山口さんは一度、社会から離れ
    自分の心を内観することで
    その心の病み(=闇)を修復することが再起の第一歩だと思う。
    おそらくそのプロセスは痛みを伴うであろうが、
    しかし、そのプロセスの過程で
    自分を深く知り、それがいつしか人間の深い真理を知ることにも通じるのである。

    そして、いつか山口さんが
    TOKIOのメンバーではなく、
    一人のミュージシャンとして
    裸一貫、ストリートライブからでも
    再スタートし、それが社会に受け入れられる日が来ることを期待している。

    社会もまた、罪を犯した人へ
    いつまでも巨大な刑務所のごとくあってはならない。
    それを受け入れ、再起を促すことも必要なのである。

  • 再犯防止のためのフィンランドの取り組み

    仮釈中に再犯を犯した人を2名知っている。
    仮釈とは刑期を満期まで待たずに
    刑務所から出所し、社会生活に馴染むための制度。
    正確には仮釈放という。

    隠語ではサンピンが刑期3分の1の仮釈がもらえるというもの
    ヨンピンとは刑期の4分の1の仮釈。
    仮釈がどの程度もらえるかは受刑者の生活態度と
    被害者の感情によって決まってくる。

    1人は北九州市に住むYさん。
    PFI事業の活用で官民での運営による美祢刑務所で
    3年の刑期のうち、ほぼサンピンの仮釈を得て出所した。
    美祢刑務所は犯罪傾向の低い受刑者に更生プログラムを施し、
    社会復帰を支援する目的で運営されている。
    そのため、受刑者には個室が与えられ、
    自由に出入りできる。
    そこでほぼサンピン、10か月の仮釈をもらったのだから
    Yさん、模範的な受刑者だったはず、である。

    ところがなぜか、住居侵入し、
    建設機器を窃盗、
    質屋に持ち込んで足がつき、
    逮捕、刑務所に逆戻り。
    窃盗の罪に、
    仮釈分の刑期も加算された量刑が科せられる。
    しかも初犯刑務所ではなく、
    やくざも多い累犯刑務所行き。

    「どうして10か月も仮釈もらって、窃盗したんですか?」
    と私が尋ねたところ、
    Yさん
    「そこに家があったから」

    (おいおい、登山じゃないだろ!)

    まあ、経済的に窮していたということだろう。

    もう一人はXさん。
    初犯刑務所である大分刑務所にいて、
    仮釈中に、スナックに行き、
    呑んだ勢いで
    女性従業員に強制わいせつ、逮捕。
    生活保護を受けていたようだが、
    つまり、人恋しさと
    性欲とが酒の勢いで
    暴発してしまった、ということだろう。

    まあ、どちらも本人が悪いと言ってしまえばそれだけなんだけど・・・
    仮釈中なんだから保護司の管理下にあったはず。
    経済的に窮していたYさんについては生活保護を受けるようアドバイスしてもよかったのではないかと思う。

    Xさんについてはもう少し保護司の人が話し相手、相談相手になってもよかったのではないだろうか・・・

    もちろんボランティアで活動している保護司の人の多くは篤志家で、人格者なのだが、この二人のケースについては、実質的に保護司としての役割が機能しなかったともいえる。

    犯罪件数が少ないの日本ではあるが
    再犯率は先進国でも高いらしい。
    もっとも低いのはフィンランドだそう。
    フィンランドでは刑務所内で
    受刑者に「回復プログラム」が施されるらしい。
    つまり罪への刑罰というよりは
    刑罰も含めて受刑者が社会復帰できるよう、
    再犯を犯さないよう、指導する。

    フィンランドが昔からこうだったというわけではないらしい。
    数十年前のフィンランドは、ヨーロッパで受刑率がもっとも高い国の一つだったそうだ。

    1960年代当時、北欧各国の研究者が、
    どの程度の刑罰を与えれば犯罪抑制に実際に効果があるのかという調査を開始した。
    その結論は、効果なし、というものだった。

    投獄では実際には効果がない、ということが、
    本格的な研究で初めて示されたケースだったわけだ。

    これ以後の30年間、フィンランドは自国の刑事政策を少しずつ改変した。
    そして、フィンランドはヨーロッパ大陸でもっとも受刑率が低い国の一つとなっている。
    その結果犯罪が増加するということもなかった、そうである。

    日本における元受刑者に対する見方は
    社会全体が罰を与えるという見方が主である。

    しかし、それは逆に元受刑者を再犯に追い込むことにもつながっている現状を少し考え直した方がいいと思う。

    いわゆる「修復的司法」という考えである。

    再犯防止のためには、社会のパラダイムシフトが必要だと思う。

     

  • 実は・・・実話⑥-12

    A君が収監された独居房は

    トイレ付の三畳一間。

    与えられているのは横幅80cm、奥行き50cmの座卓のみ。

    A君の部屋の階は幽霊が出ることで有名な福岡拘置所C棟3階。

    A君は当時のことをこう述懐している。

    「つらかったですね」

    「なにより家族と連絡がとれないことが一番こたえました」

    「でも弁護士とは連絡できるんでしょ?」

    「はい、そうなんですが、週に1回、それも30分だけですよ」

    「運動はどうしてたんですか?」

    「午前中15分、午後15分ほど運動できますが、

    私は接見禁止だったんで、運動の時も

    6畳くらいの上も金網が貼ってある鳥小屋みたいな部屋で運動してました」

    「しかも、軽度の糖尿と診断されてましたから

    成人男性に必要な1日2000キロカロリーの半分、1000キロカロリーの糖食をたべていましたので、体重はみるみる落ちていきました。」

    「出所時には腹筋割れしてましたね」

    「独房内での生活はどんなでしたか?」

    「なにしろ3畳一間でテレビはありましたが、裁判のための準備以外に何もやることなくて、ともかく当初は私を暴力団組長に紹介した嬉野町のY君や、教室責任者のXやHのことを恨みましたね」

    「でも、いくら恨みつらみをいえども、三畳一間の独房では愚痴る相手もいないんですよ」

    「そうしていくうちにだんだん辛くなってくるんですね」

    「そして、気が付くんですよ。自分を苦しめているのは自分の感情だと。
    なにしろいくら恨みつらみをいっても置かれている環境は三畳一間の独房ですから、何もできないんですね。
    すると、自分の感情だけが、自分に圧し掛かってくるんですよ」

    「まあ、そうですね」

    「つまり外界というのはあくまでトリガーで、それに想起された自分自身の感情が自分を苦しめているんだと思うようになったんです」

    「たとえてみれば、海におぼれていて、岸まで泳ぎ切ろうとするときにピストルやナイフを身に着けますか?」

    「いや、それはないでしょう」

    「そうですよね。溺れているときは、まずは身軽にすることが大切ですよね。
    それでそれまで負担になっていた負の感情を徹底的に削ぎ落としていく内的なプロセスに入っていたんです」

    「なるほど」

    「自分のなかの負の感情を削ぎ落として行くと、シンプルな感情だけが残るんです」

    「なんですか」

    「愛と希望です」

    「いや、いや、それはちょっと クサイのでは??」

    「まあ、そう思うんでしょうけど、少し考えてみてください」

    「もし、あなたが、誰とも話せず、だれかに一度だけ、言葉を伝えることができるとしたら、だれに何を伝えます?」

    「う~ん・・そうですね、妻と子どもに伝えたいと思います」

    「何を伝えます。ただし一言だけといわれれば」

    「あなたたちを愛している、と伝えます」

    「そうでしょう?それが自然な感情なんだと思います」
    「それで私は古今和歌集を買って、恋歌を書き始めたんです」

    「それで恋歌を書いているんですね」

    「そうですね、気障に思われるでしょうが、愛している人に愛していると伝えられるだけでも人は幸せなんですよ」

    「まあ、Aさんからすればそうでしょうね」

    「もうひとつ大事なのは『希望』です」

    「なんかさらにクサイんですけど・・・」

    「でも、これもよく考えてください。自身が身体的に拘束されている状態が6か月間続いたとしたら、まあ、それも6か月後には自由になれるとして、拘束されてある期間は何を考えますか?」

    「やっぱり、自由になったら何をしようかと考えます」

    「そうですよね。たとえばすき焼き食べよう、とか、焼き鳥屋に行こうとか、そんなことでも想像しながらなら、現状のつらい期間は何とか頑張って耐えよう、と思えますよね」

    「まあ、そうです・・・」

    「それもやっぱり希望なんですよ」

    「う~ん・・・・」

    「私の場合もいずれ社会復帰するわけですが、社会復帰したら何をしようかと考えたんです」

    「ふ~ん・・」

    「それで80歳までの人生計画をたてたんです」

    「へえ!!」

    「それで、座卓で勉強しはじめました」

    「はあ、それが始まりなんですね」

    「そうですね。座卓での勉強の習慣はいまも続いてます」

    「それに、身体的に拘束されてますから、自由は頭の中にしかない、という考えにいたったんですよ」

    「なるほどですね」

    「思考することの自由、それだけが真の自由だという持論はここで形成されました」

    「そうなんですね」

    「ただ、これは出所後、社会復帰してからわかったんですが、刑務所を出所して、順調に社会復帰した人のほとんどが、こうした私みたいな自分自身の心の深い部分にまで探っていって心の回復をなしていった人がほとんどだったのです」

     

    「はあ・・・」

    「つまり、罪を犯した人の社会復帰の起点はまずは『心の回復』なんですね」

    「そうなんですか」

    「そうです。これはいくら強調しても強調しすぎることはないんですが、元受刑者の社会復帰の一番肝心なことは『心の修復、心の回復』なんです。それがまず第一なんです」

    「ですから反省とか矯正なんかは実質、まったく意味ないと思います。心の修復、回復がないとを罪を犯した自分自身の内部はかわりません。」

    「そうなんですか・・・」

    「まあ、そうなんですが、このことについては、いずれ別の機会にお話します」

    「ありがとうございます」

    Aさんとの対話はまだまだ続く・・・・

    To be continued・・・