愛のないモラルの押しつけは暴力以外の何物でもない、
つくづくそう思う。
モラリストの多くは
誰もが反論できないような概念をもちだし、
小さな戸惑いやためらいさえも
踏みにじる。
いわゆる
「人の道に云々・・」
「常識だろっ」という感じで。
そこには、相手に対する思いやりよりも
上から目線で
「言い負かしたい」
という意図が見え隠れする。
しかし、実はこうしたモラルの押しつけが
特に家族関係においては
小さな傷をつくり、
それがいつしか心をむしばみ
大きなブラックホールにつながるケースもある。
加害者家庭支援を行っている
阿部さんの著書「息子が人を殺しました」を読むと
犯罪を犯した人たちが
実は厳格な家庭で、
あるいはいたって平均的な家庭で
育てられていた、
というケースが多いのである。
愛のないモラルの押しつけが
心に傷をつくり、
それがいつしか歪みとなり、
たまったエネルギーが爆発した時
狂気となる、という事例もある。
人は弱く、
時に自分勝手で、
ずるくもある。
しかし、一方で
人から理解され、
理解しあいたいと願う。
元受刑者に対する多くの態度は
モラルの欠落が犯罪につながるものとみなし、
通り一辺倒のモラルを押し付ける。
しかし、それはまったく意味がない、
それどころか有害でさえある。
大切なことは、
相手を言い負かし、
従属させるモラルではなく、
それを守ることで
自分も、また周囲の人も
楽しく幸せに暮らせるためのルールである、
と知ることだろう。
そのとき、人はモラルを大切にする。
愛のないモラルは暴力以外の何物でもない、
それは誰もが反論できないような概念でもって
人の心の小さな戸惑いやためらいを踏みにじる。
モラルで人は救えない。
孤独と絶望の淵に立たされている人を救えるのは
罪の負のスパイラルから人を救えるのは
モラルではなく、「愛と希望」だ。