カテゴリー: 私の読書遍歴

  • 白澤卓二と間々田佳子の脳活顏ヨガで活性脳&若顔・小顔 (ぴあMOOK)

    アンチエイジングの研究者、白澤卓二先生と
    顔ヨガトレーナー、間々田佳子さんの共著。

    顔には多くの筋肉が機能しており、
    それを動かすことが脳の活性化に効果的、という本。

    でも、やっていくと顔のぜい肉がとれて小顔になります。
    あごのラインもすっきりなるので女性にはいいと思います。

    あと、目の周りの筋肉も動かすので
    老眼対策にも効果があります。

  • 私の読書遍歴:「息子が人を殺しました」(阿部恭子著)

    著者は加害者家族支援活動を行っている阿部恭子さん。
    彼女の近著「息子が人を殺しました」は現在、読んでいるところだが、加害者家族の問題をクローズアップできたのは阿部さんの活動に負うところが大きい。
    加害者家族支援の初動活動はマスコミバッシング、世間からの批判からの保護だろう。

    犯罪者を生んだ家庭ということで、正確な事実検証もなく、好奇心と憶測による「悪意のある噂話」の延長線上にある批判、「犯罪の原因は家庭環境にある」という批判に加害者家族はさらされる。

    また、加害者家族もまた、身内が罪を犯したことに対する世間への負い目と自責の念に駆られ、死への誘惑にかられることもあるそうだ。
    加害者家族の支援とはそうした崩壊の危機にある家族のメンタルな支援も含まれるそうだが、そうしたメンタルな支援活動を行っていく過程で、身内が犯罪にいたってしまったその原因がこれまでの家族の日常に小さく巣食っていた「闇」、「小さなブラックホール」がいつしか犯罪という大きな闇につながってしまった、ということに家族が気づかされることもある。

    どこの家庭にでもあるような小さな闇、ちょっとした傷、それが心を蝕み、いつしか大きな闇となる、あるいはその小さなブラックホールが全く別の大きな闇に吸い込まれてしまう、というのが犯罪にいたるプロセスのように見える。

    阿部さんもおそらくそのように実感しているであろう。
    それゆえ、犯罪者、加害者は一般の人からかけ離れたモンスターのような人間ではなく、いたって普通に日常を暮らしている人が、心の小さなブラックホールから、何かの拍子にするっと別の闇の領域に紛れ込んでしまった、というのが実態ではないだろうか。

    そうであれば、元受刑者の社会復帰についても自身で心の病んでいる部分、傷んでいる部分の修復がまずは最初の一歩であろう。
    自身の心の内を見つめ、病んでいる部分、傷んでいる部分を治癒し、回復し、そこから新たな方向に向かって進んでいく、というのが元受刑者の社会復帰の起点であろう。

    そして、その「小さな闇」に気づくことが家族の回復への第一歩であり、それは何も加害者家族に限らず、「普通の」一般家庭にもいえることでもある。

  • 私の読書遍歴:スティル・ライフ(池澤夏樹著)

    池澤夏樹氏の芥川賞受賞作である。
    静寂さと透明感に満ち溢れた青春小説。
    私の大好きな小説のひとつ、です。

    「外の世界と、
    きみの中にある広い世界との間に
    連絡をつけること、
    一歩の距離を置いて並び立つ
    二つの世界の呼応と調和を図ることだ。」

    人は世界との調和を望む。
    しかし、現実は必ずしもそうではない。
    自分と世界との間には微妙なずれがあり、
    だからこそ、そこに動的な関係が生まれる。
    それがポジティブなものであればいいが、
    ネガティブに作用すると
    世界も自分も傷つける。

    この小説は自分の世界と
    外の世界との間で
    静かに、調和していくことを
    望みながら、
    日常を生きる青年の物語でもある。

    詩的な文章がつづられていく。
    圧巻は雪の描写だ。

    「音もなく限りなく降ってくる雪をみているうちに、
    雪が降ってくるのではないことに気付いた。
    その知覚は一瞬にしてぼくの意識を捉えた。
    目の前で何かが輝いたように、ぼくははっとした。
    雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、
    ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。
    静かに、なめらかに、着実に、世界は上昇を続けていた。
    ぼくはその世界の真中に置かれた岩に坐っていた。
    岩が昇り、海の全部が、膨大な量の水のすべてが、
    波一つ立てずに昇り、それを見るぼくが昇っている。
    雪はその限りない上昇の指標でしかなかった。

    どれだけの距離を昇ればどんなところに行き着くのか、
    雪が空気中にあふれているかぎり昇り続けられるのか、
    軽い雪の一片ずつに世界を静かに引き上げる機能があるのか、
    半ば岩になったぼくにはわからなかった。
    ただ、ゆっくりと、ひたひたと、世界は昇っていった。
    海は少しでも昇ればそれだけ多くの雪片を溶かし込めると信じて、
    上へ上へと背伸びをしていた。」

    これほど美しい雪の描写はないだろう。
    そしてこの雪の描写は
    自らの心象風景の描写でもある。

    だからこそ、この一文は読む者の心に残る。

  • 私の読書遍歴:深読み古事記(戸矢学著)

    神道の専門家、戸矢氏の著作。
    いつもながら戸矢氏の博覧強記ぶりには舌を巻く。
    古今東西の文学、神話に精通し、
    古事記がもつ意味を
    様々な角度から読み取っていく。

    古事記を通して文学、生活、
    歴史、神話にいたるまで
    その底流を流れる私たちの生活文化
    精神構造を「深読み」していく。

    トリビア的「へえ×3」満載である。
    知的好奇心を十分満たしてくれる。

    たとえば、
    「むすめ」「むすこ」それと「おむすび」が
    同じ語源からつくられていることなど初めて知った。

    こうした身近な事例を通して明らかにされること、
    それは私たちの日常の生活の中にも
    古くからある神話的思想、
    そこから生まれてきた文化的コードが
    いたるところに仕組まれていることである。
    それは、私たちの日常から文学、
    または様々な建造物に至るまで
    意識的、無意識的に作用している。

    私たちの生活は
    このような文化的コードが
    底流にあってこそ成立する。
    それがなければ混とんとした社会になるだろう。

    つまり、この「深読み古事記」における
    戸矢氏の思考は
    日本人の生活文化、精神構造の根底にある
    文化的コードを古事記を通して
    「深読み」することにあるだろう。

    最良の教養書というにふさわしい。

  • 私の読書遍歴~「バルテュスとの対話」

    20世紀最大の画家バルテュス。
    バルテュスは個人的な生活を公にすることはなく、
    バルテュスによればそれは
    「自分は画家としてのみ公に属するのであり、
    私生活は自分の作品を理解するのに何の役にも立たない」という。

    この書はバルテュスが自らの生い立ち、
    交友関係、芸術文化にわたって語った
    唯一の書といっていいだろう。

    バルテュスの最初の画集はなんと11歳の時。
    8~10歳までに描いた
    愛猫「ミツ」のデッサンが
    11歳のバルテュスに出会った
    詩人リルケの目に留まり、
    バルテュスの処女画集が発刊された。
    その序文をリルケが書いている。

    またリルケは13歳のバルテュスと
    中国美術の系譜について語り合ったという。

    そしてバルテュス22歳の時、
    リルケから紹介された
    パリに住むアンドレジイドの邸宅に
    客として住むことになる。

    ともかくバルテュスの交友関係がすごい。
    ピカソ、ジャコメッティ、サルトル
    カミュ、ジャックラカン、ロランバルト
    ジョルジュバタイユなどフランスの芸術文化の
    最高の人物と交流している。
    特にピカソはバルテュスの絵画を購入している。

    バルテュスは自身の絵画のことを宗教絵画といっている。
    具象画でありながら、
    絵画の隅々にいたるまで満ちている静溢な神性。
    それがバルテュス絵画の魅力だろう。

    そして日本のこと。
    日本で出会った女性セツ子さんを後に妻とする。
    親日家の一面もみせる。

    この対話を通じてわかることは
    バルテュスの文化芸術に関する理解の深さである。
    限りない知性と教養に裏打ちされた芸術家であることがわかる。

    バルテュスファン垂涎の書である。

  • 私の読書遍歴:「三種の神器」(戸矢学著)

    神道の研究者である、著者戸矢氏が
    一貫して追い求めているのは
    つきるところ、
    「日本人の精神文化の源流は何か」
    ということだろう。

    この著書「三種の神器」は
    戸矢氏のそうした研究テーマについて
    天皇の地位を根拠づけるものとしての
    「三種の神器」(玉・鏡・剣)を通して
    日本人の精神文化を探っていく。

    天皇は世界的に見ても唯一無二の
    祭祀と統治をつかさどる国家君主であった。
    現在は政治的な統治からは切り離され、
    祭祀が中心となっているものの
    (実際にはその祭祀も少なくなっているらしいが)
    このような国家君主は日本の天皇だけである。

    その天皇の地位を権威づける
    三種の神器は何を意味するのか。

    そもそも「三種の神器」は
    どういう経緯でつくられたのか
    またなぜそれが天皇の地位を保証するものとして
    権威づけられたのか、
    その形状はいかなるものか、
    これらの謎について
    戸矢氏は丹念に検証と推論を重ねていく。

    日本書紀、古事記、風土記のみならず
    弥生時代からの考古学なども踏まえながら
    三種の神器の成立過程を検証していくなかで
    戸矢氏は自身の神道という視点に立脚しながら
    日本人の精神文化の源流とその構造を
    明らかにしていく。

    そして
    「三種の神器」の成立過程、
    その形状を明らかにしながら、
    「三種の神器」が象徴する意味を明示する。

    さて、その「三種の神器」が象徴する意味とは何か?
    それは実にシンプルでいつの世でも求められる価値である。
    それゆえ、「三種の神器」は天皇が引き継がなければならないものであろう。

  • 私の読書遍歴・・「蹴りたい背中」(綿谷りさ)

    認めてほしい。
    許してほしい。
    櫛にからまった髪の毛を
    一本一本取り除くように、
    私の心にからみつく黒い筋を
    指でつまみ取ってごみ箱に捨ててほしい。
    人にしてほしいことばっかりなんだ。
    人にやってあげたいことなんか
    何一つ思い浮かばないくせに

    綿谷りさが19歳で芥川賞を
    受賞した小説「蹴りたい背中」の中の一文。
    19歳の少女の感受性が
    大人になった今でも私の胸をうつ。

    だれもが人に理解されることを望む。
    理解されたいと望み、
    言葉を紡ぎ、語り、
    誰かと感情を共有し、
    共感してほしいと願う。

    だが、時として、
    人からの無理解に悶々とし、
    あるいは、人への理解はおろそかになり、
    ゴツゴツとした人間関係の軋轢に
    苛まされる。

    いつしかそれは
    「櫛にからまった髪の毛」のように
    心に絡まっていく。

    そして、
    「一本一本取り除くように、
    私の心にからみつく黒い筋を
    指でつまみ取ってごみ箱に捨ててほしい」とも願う。

    しかし、
    それでも人は誰かと感情を共有し、
    共感したいと願い、
    あるいは同情し、喜び、涙する。

    いつだって人は
    心のつながりを求めている。

    多くの愛憎を繰り返しつつ、
    そのなかでも人は
    愛し、愛されることを
    望んでいるのだ。

     

  • 「組長の娘」(広末登著)

    「組長の娘」
    この題名を見ただけで「週刊実話」の世界のような
    何やらアンダーグランド的ノンフィクションものの匂いが漂う。
    本書の構成は大きく二部に分かれている。
    前半は大阪の侠客の家に生まれた中川茂代の人生と彼女の暴力団組員の社会復帰に向けた支援活動の内容。
    後半は中川茂代の活動における元暴力団組員や元受刑者の社会復帰に向けた支援活動の意義についての考察。

    元受刑者の社会復帰の支援活動については
    法務省も推進しており、
    元受刑者を積極的に雇用する制度
    「協力雇用主制度」があるものの
    その雇用率は2015年のデータでは
    3.5%といたって低い。
    実質的にほとんど機能していない。

    広末氏は中川茂代氏の活動を通して
    インフォーマルな支援活動の必要性を訴える。
    彼女の活動の根底にあるものは
    元受刑者が社会復帰するまでの
    「痛み」を共感していることだ。

    マザーテレサは
    「愛することとは、
    いつでも痛みを伴うところまでいくのです」
    といった。

    人を支援していく、というのは
    この「痛み」を共感できるところから始まるのだろう。

  • これから「正義」の話をしよう

    【これから「正義」の話をしよう(マイケルサンデル)】

    これはテレビでも放映されたハーバード大学での哲学講義の内容を本にまとめたもの。
    テレビでの放映は視聴していたので大体の内容は知ってますが、改めて本で読むとやっぱり面白い。

    哲学の面白さとは何か。
    世界の見方、解釈の仕方を少し変えてみる、ということではないでしょうか。

    その時、世界は新たな様相を呈します。

    哲学とは私たちが世界をとらえ、解釈していく際のアルゴリズムのようなものでしょう。
    アルゴリズムを変更すると、世界の見方、解釈は変わっていきます。
    何の変哲もない日常が、哲学というアルゴリズムの変化によって、まったく違ったものにもみえてくるのです。
    哲学の面白さとはそういったところにあるのでしょう。

    ハーバード大学の哲学教授、マイケル・サンデル教授は「正義」について様々なケースを検証することで、私たちが「当然」と考えている「正義」観の前提にあるものを覆していき、別の見方を提示します。

    思考すること自体の面白さ。
    哲学とは思考の自由を与えてくれるものであり、
    そして自由な思考こそが本当の自由なんだな、と感じさせてくれる本です。