【秋の恋歌~もみじ葉~】
吹きわたる 野分に舞い立つ もみじ葉も
恋も痛みも 風のまにまに

【秋の恋歌~もみじ葉~】
吹きわたる 野分に舞い立つ もみじ葉も
恋も痛みも 風のまにまに

【秋の恋歌~言の葉~】
あき色に木々は色づき
あき色に心も色づく
木の葉は枯れ落ちても
君の言の葉は枯れることはないだろう。

もともとA君は生徒の出欠をごまかす必要はなかった。
教室には国の方から運営費として生徒一人当たり
月額6万円が振り込まれ、
A君の講師代はそのなかから支払われていたからである。
しかし生徒のほとんどは
教室で受講する間、
月額10万円の生活給付金が支払われ、
その要件を満たすために出席率8割以上が必要だった。
A君はそこで生徒や教室責任者の要求、
つまり「出席をごまかしてほしい」
という要求をつっぱねればよかったのである。
しかし、結局A君は
生徒の出欠をごまかすことに加担してしまった。
そうした中、
とんでもない事件が起きる。
生徒の一人が黒のセダンで登校していたが
その車に「日本青年社」のステッカーを貼っていたのである。
「日本青年社」とは
住吉会系の右翼団体で
尖閣諸島魚釣島に灯台を建立したことでしられる。
そのステッカーをみた男二人が教室に怒鳴り込んできた。
「おい、前の車、だれのなんじゃ!」
「オレのっすけど」
「日本青年社とは住吉会のもんじゃろうが」
「それがどがんしたとや」
「ここをうろちょろするんじゃねえ」
「あんたに関係なかろうもん」
「この街に住めんようになっぞ」
「あんたらのシノギを邪魔しよっわけやなかろうが」
「なんいいよっとや!」
もう教室内は騒然とした雰囲気である。
そこに教室責任者であるYが間に割り込んできた。
おそらきYがうまく仲裁したのだろう。
教室に怒鳴り込んできた二人はおとなしく出て行った。
A君はYに尋ねた。
「あの二人なんね」
「A先生、心配せんでよかよ。
あの人はもともと嬉野でタクシー運転手をやってた人なんですけど
久留米の〇〇会(暴力団)に入ってのし上がった人やけん」
「あんたたち、やくざと関係なかろうね
やくざと関係あったら国の事業にかかわられんよ」
「A先生、おいは汚れはすかんけん関係なかよ」
よごれ、とはやくざの蔑称である。
しかし、このことは嘘だったことが後に明らかになる。
ここでもA君はこの教室から身を引くことができたのである。
だが、A君はYのいうことを信じ、その後も講師を続け、
また出欠のごまかしにも主導的な役割を果たした。
Point of no return.
A君は戻ることのできない一線をはるかに超えてしまった。
to be comtinued・・・・
4~5世紀の中国、東晋に法顕という僧侶がいた。
西暦337年生まれ、幼くして出家した。
399年、法顕64歳の時、
仏典を求めて、長安を出発、陸路インドに赴いた。
法顕が訪れたのはグプタ朝のチャンドラグプタ2世の時代で、
グプタ様式の文化が開花した時代であった。
法顕は都パータリプトラで3年間、仏典を研究し、
帰国はセイロン島に2年滞在、
海路をとってマラッカ海峡を通り、
412年に帰着した。
このとき法顕は78歳であった。
人生後半から事を成し遂げた人は結構多い。
日本で有名な人物といえば
19世紀初め、
江戸時代に日本の測量地図を作製した
「伊能忠敬」だろう。
伊能忠敬が測量を始めたのは55歳の時。
その後17年にわたって日本全国を測量して歩き続けた。
また、今の三井財閥の礎を築いた「三井利高」もそうである。
今の和歌山県、伊勢松坂から
江戸に出て三越の前身「越後屋」を開業したのは
三井利高が54歳の時である。
加藤裕治さんという弁護士がいる。
加藤さんはもともとトヨタ労組で
労働運動に従事していた人だ。
加藤さんは56歳の時一念発起して
仕事をしながら、ロースクールに通い
60歳で司法試験に一発合格した。
50代半ばから新しいことにチャレンジして事を成し遂げた人も多いのである。
私の場合はやむを得ずして再スタートを切らざるを得なかったが。
それでも、事を成し遂げることは決して不可能ではない。

生徒の出欠をごまかすことに力を貸すことにしたA君。
しかし、そもそもA君自身、何もそういうことをしなくてもよかった。
なぜなら、出欠をごまかす必要があるのは生徒の方であり、
生徒の生活給付金(月額約10万円)の受給に必要となる
出席率8割以上の要件を満たすためだったからだ。
教室運営者には生徒の出欠の状況にかかわらず
生徒一人当たり6万円の運営費が国から支払われるからだ。
つまり、A君自身は何も生徒の出欠をごまかす必要はなかった。
しかし、結局、A君は生徒の出欠をごまかすことに力を貸すことになり、
かつ、A君は完ぺきな書類のごまかしに注力してしまった。
ここがAくんの間違いの始まりなのだが、
そもそもここで、普通に出欠をとっていても
A君自身には何にも困ることはないのだが・・・・。
このことが後に大きなしっぺ返しとなって
A君の身に降りかかることになる。
国に提出書類は
生徒の出欠表の押印、
講師の日報、
生徒の受講感想
それらに整合性がなければならない。
A君はその整合性をつけるよう
徹底して、生徒にアドバイスした。
A君、余計な作業まで引き受ける羽目になった。
普通に授業さえやっていればいいものを
すべての書類の整合性をまとめるのは
簡単ではない。
しかも、理解度の違いのある
まばらな出欠の生徒に
統一した授業をするのは至難の業である。
ここまで余計な負担をかけてまで
やる必要もないだろうに、
A君、生活給付金をもらえなくなるだろう生徒が不憫に思えたのだ。
A君、生徒たちに
書類のごまかしの指導までしてしまった。
つまり、書類のごまかしは
A君主導で組織的に行われたのだ。
しかし、A君には犯罪の意識は薄かった。
「生徒の生活給付金のため」と思っていたからだ。
この時点でA君のモラル意識は欠如していた。
To be continued・・・・・

嬉野と久留米で就労支援事業の一環としてスタートしたパソコンとファイナンシャルプランナーの教室でA君は講師を始めた。
開校初日、それぞれの教室には30人ほどの生徒が出席したが、翌日から出席者生徒数は5~8人程度。
あまりの出席の悪さにA君は教室責任者であるXとYに電話で「ともかく生徒を出席させてくれ」と頼んだ。
何しろ、A君は今回の教室開校のため、4名ほどの講師を集めており、講師陣から「あまりに出席が悪い」と突き上げられていたからだ。
それに、たまに出席する生徒がいると、それぞれの理解度が異なり、まとまった授業ができず、結局、個人指導のようなスタイルになってしまうからである。
嬉野校の教室責任者であるXは連絡が取れるからまだましな方で、久留米校の教室責任者であるYにいたっては電話にもでないというありさまだった。
しかもYはA君の講師仲間に「認印を貸してくれ」と頼んでおり、A君は「Yは講師の認印を使って出欠をごまかす気だ」と直感し、Yに「人の認印を使うのはやめてほしい」と頼んだ。
また、A君は「遅刻は大目に見るが、欠席を出席にするのは糊塗できない。」とYにメールで送った。これが後の裁判で大きな意味を持つようになる。
月末、授業の進捗状況、生徒の出欠状況を国の機関に書類を提出しなければならない。
しかし、生徒の出欠状況は一部の生徒を除いてほとんどが出席率8割を満たしていなかった。
とはいえ、生徒のほとんどはまとまった収入がなく、今回の就労支援事業の教室に出席することで生活給付金を得ようとしていたことは間違いなく、だが、生活給付金を得るためには8割以上の出席がなければならない。
A君は生徒と教室責任者と共同で生徒の出欠をごまかした書類を作成することに協力した。
A君が一線を越えた瞬間だった。
to be continued・・・・

久留米の「地元有力者」として
紹介されたMの意向により
久留米と嬉野で
パソコンとファイナンシャルプランナー
についての教室を開校することとなり、
A君は開校手続きのため
各種書類を作成し、
またカリキュラムをつくり
講師を集め始めた。
久留米校の教室責任者はX、
嬉野校の教室責任者はYであった。
XとYは教室の場所を確保し、
生徒を募集した。
教室運営者には生徒一人月額6万円が国から入り、
講師を務めるA君には講師料として月額20万円が
各教室から支払われることになっていた。
A君はXとYの要請により、
応募してきた生徒に
授業の内容と要綱を説明した。
そこで、のちに問題となる要綱について
「受講中の6か月間、
収入がない人については
月額10万円ほどの生活給付金が出るが
ただし、出席が8割以上ないとダメ」
という説明をした。
このことが後にA君の運命を大きく狂わせることになる。
23年1月開講を目前にして
嬉野校の教室責任者であるYより
A君に電話が入った。
「Aさん、佐世保からの連中が生徒になるけど
あんまり真面目じゃないから、
大目に見てほしい」
Aさんはてっきり
佐世保から嬉野までくるので
遅刻が多いんだろうと思い
「よかよ、少しくらいはよかけん」
実は国の制度では遅刻も欠席扱いにしなければならない。
しかしA君はせいぜい10分程度の遅刻だろうと思い、
そのくらいだったら出席扱いでもいいだろうと思ったのだ。
さて、開校初日、
久留米校も嬉野校も30人全員出席した。
しかし翌日から出席生徒は5~7人程度に減ってしまった。
to be continued・・・・
佐賀県内に住むA君。
平成23年当時、パソコン教室の講師を務めていた。
厚労省が実施していた就労支援事業の一環で
就労を希望する人たちに職業スキルをつけさせ
また、受講中、生徒は一定の要件を満たせば、
生活給付金を受給できるという制度だった。
そしたら、嬉野市に住むY君から
「Aさん、久留米市のある有力者で
パソコン教室を新たに開きたい、という人がいるんだけど
会いませんか?」
と誘いを受けた。
そこで、A君、Y君の紹介で久留米でM兄弟とあった。
Y君の紹介ではMさんは「久留米の地元有力者」
ちょっと雰囲気が
「ちょいワル」風だったのが気になったが
久留米の中小企業経営者には
こういう雰囲気の人も多いので
A君は特に気にせず
M兄弟に厚労の就労支援事業について
説明した。
そこに同席していたM兄弟の部下と思える2人が
久留米と嬉野でファイナンシャルプランナーとパソコンを教える就労支援の教室を開くことで話がまとまった。
時は平成22年の8月、暑い日の昼下がりだった。
to be continued・・・・

【実は・・・実話④】
A君は妻と娘二人をもつ普通のサラリーマンだった。
一部上場の飲食サービス業のエリアマネージャーを務めていた。
順調に見えたA君にも夫婦生活に陰りがみえた。
奥さんが女性を愛するようになったのだ。
つまりレズである。
奥さんは女性を愛するようになり、
必然的にA君との性交渉はなくなった。
シャレにしてはいかんが、
レズになったらレスになったという・・・
もともとA君、高校時代はファンクラブもあったくらいもてていた。
それが、奥さんから相手にされなくなったのだ。
男女であろうと性的な部分を否定されると自尊心が傷つく。
レス状態に耐えきれなくなったAくん、
こともあろうか、
女子社員寮に侵入し、
狙った女性社員に
強制わいせつにいたってしまった。
不法侵入と強制わいせつの罪で
4年の実刑。
怒り心頭の奥さん、
A君の面会では
A君を罵倒した。
何も言い返せないAくん、
涙ながすしかない。
さらに、性犯罪者の父を持つ娘のことを考え、
A君は離婚し、娘は母親の姓を名乗ることになった。
A君は家族をなくした。
ただ、来年3月の娘の高校卒業式までには出所し、
娘の卒業をみたいと願っている。
彼が出所したら会おうと思っている。
福岡県内でサッカーの名門校に
サッカー部員として在籍していたA君、
高校卒業後、地元の国立大学に進学した。
教職免許を取得するため、
女子高に教育実習にいったものの
「教員は向かない」と悟り、
どういうわけか、
大学在学中にデリヘルの
風俗店経営を始めた。
経営は軌道に乗り、
本人曰く
「女の子にサービスの手ほどきを
教えているのが楽しかった」
女の子の入店時には
年齢確認を行っていた。
18歳以上であることが要件となっていた。
しかし、時に、免許証など偽造してくる子がいる。
A君は偽造に気付かず、
18歳未満の女の子を雇ってしまった。
このことが警察にばれ、
Aくんは児童福祉法違反の容疑で逮捕、
5年の実刑を受けた。
これがA君の初犯だった。
おくられた刑務所は
いじめで有名な川越少年刑務所。
食事を取り上げられるシャリアゲは日常茶飯事。
A君は散々な目にあって出所した。
出所後、A君はフランスにわたり、
外人部隊に入隊した。
そこでフランスへの永住権を取得、
また年金を得る権利も取得した。
帰国後、A君は9年間は再犯なく過ごしたが
また、躓いた。
2刑、実刑である。
さらに出所後、仕事もなく
ネットで他人の口座にハッキング、
それが発覚し、3刑目、1年半の実刑で
石川県の金沢刑務所に送致された。
A君曰く、
「もう3犯もなると、
生きたくもないし、死にたいけど
死ねないから、生きている、という感じ」
「刑務所いても、みんな
次はどうやってうまく(犯罪を)やれるか、
ということしか考えてない」
刑務所が犯罪者養成所になってしまっているのだ。
A君自身は本来、まじめなのだが、
もう人生をあきらめきっていた。
前科3犯なのでもう何をやっても無駄だと。
また、幼少時、父親からDVを受けていたらしく、
本人も自覚していたが、
精神的にも病んでいた。
A君には再三、
福岡に戻ってきたら?
と勧めたが、
地元福岡に戻る気はないらしい。
知的水準も高く、
ハッキングもできるので
その才能をいい方向に活用し、
セキュリティー関連をやらせれば
まず、間違いなく、できる能力はあるだろうに・・・
A君、刑務所に入るたびに
「反省」はしただろう。
しかし、「反省」だけでは
あまり意味がないのである。
大事なことは、
罪の病巣となっている
自分の病んだ部分を直視し、
そこに深く入り込んで、
その部分の治癒と回復、
そして再生への内的プロセスを経ることが
「立ち直り」の起点なのである。
A君は自身も認めているように
精神的に病んだままだ。
おそらく、A君は
罪の負のスパイラルから抜け出せないでいる。
それゆえ、人に対して攻撃的となる。
自分の不満を他人にぶつけたいのだ。
しかし、それでも心は満たされず、
さらなる負のスパイラルに絡み取られる。
罪の負のスパイラル。
そこからどう救われるのか。
A君に限らず、
このことが罪ある人にとっての
最大のテーマである。
ただ、負のスパイラルから抜け出すには
まずは、自身が「罪から救われたい」と
願うことが出発点である。
「罪の赦し」と「罪からの救い」
A君が福岡に戻り、
連絡さえしてくれれば・・・・。
少なくとも私は
彼さえその気になれば、
人生の再起は可能だと思っているし
たぶん、微力ながら、力になれるだろう。
