幸福な人生への再スタート術⑤~深く、自己の内部へ・・~

【幸福な人生への再スタート術⑤】
~深く、自己の内部へ・・~

「ひとり」を勘違いしていた、
とても幼稚で悲しい誤読をしていた。
それは(もうひとつの)いちばん最初に訪れる絶望で、
いちばん最後におとずれる、鮮しくて眩ゆい希望だ
(井上法子 歌人)

井上法子さんは東大文学部博士課程在学中(もう修了したかな?)の新進気鋭の歌人です。

ひとりであること、
孤独であるということ。
その入り口は絶望かもしれないが、
その出口は希望であるということ。

これはたぶん、真実でしょう。

私の場合は半年間、1日誰とも話さない日々をおくりました(苦笑)。

最初は、深い孤独感に絶望的な気持ちになりますが、
そのうち、だんだんと自分自身のことを深く考えていくようになります。

これまでの自分のこと。
これからの自分のこと。

最初は腹立たしいことばかり頭をよぎります。
「あの時別の選択していれば」とか
「あの野郎!!」(笑)とか・・・
しかし、そうした悔恨や憎悪の感情は
かえって自分を苦しめることになります。
そういう負の感情そのものが自分の重荷になってくる。
すると、できる限り、無駄な感情はそぎ落としていく、という
感情のデドックスみたいなことを自分でやっていくわけです。

無駄な感情をそぎ落としていくと何が残るか。
私の場合は「愛している人を愛する」という感情のみが残りました。
それだけが自分の心を満たしてくれる感情なんだということに気が付きます。
「愛している人を愛する」というだけで感情は満たされるわけです。
というより、孤独の中では、それが心の支えになっていたといっていいでしょう。

恋歌はそのころしたためたものです。
たとえ、相手からの返歌はなくても・・・

そして、それでも続く孤独な状況の中では、
さらに、自分自身の内部に深く沈降していきます。
すると、自分の中にある余計なもの、
腐った部分をどんどんそぎ落としていって、
自分のコアな部分、自分の核心に向かうようになっていきます。

自分自身の核心、そこにたどり着くと、
これから自分が「何をなすべきか」
「なぜ、いまこの状況にあるのか」
そういったことの意味が見えてきます。
自分自身の存在意義をはっきりと自覚するようになります。

自分の「核心」にたどり着くことで
自分自身の存在意義を「確信」する、ということでしょうか。

私の場合は2つ、これからの自分の存在意義を明確に意識しました。

孤独の中で、自分自身の核心にぎりぎりまで沈降していくことによって、はじめて、自分の存在意義やこれからの人生の意味は見えてきます。

つまり、それまでの「孤独」による「絶望感」は、
自己の内部に沈降し、
自己の「核心」に近づくことで、
自分の存在意義を「確信」するための
入り口だったのです。

そして、その「確信」は「希望」に変わります。

「孤独」はそれ自体「絶望感」を伴いますが、
しかし、それは自分の余計な枝葉をそぎ落とし、
自己の「核心」に近づき、
そこから「希望」という出口に向かう
自分で掘り進めなければならない暗い坑道でもあるのです。

写真の花は「ストック」
花言葉は「愛の絆・永遠の愛・見つめる未来」

幸福な人生への再スタート術④~言葉の力~

【幸福な人生への再スタート術④~言葉の力~】

初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
(マタイ福音書 第1章 第1節)

聖書に中でも最も好きな1節です。
日本でも言霊という言葉があるように
言葉には神が宿り、パワーが宿るといいます。

「いい言葉」を使う。
人の思考は「言葉」によって成り立っています。
「良質な言葉」はその思考そのものも変えていくのでしょう。

私の場合、1日誰とも人と会話を交わさない、
それが6か月間続いたことがありました。
それゆえ、これは気障でもなんでもなく、
愛している人に「愛している」と伝えることができるだけでも十分幸せだ、という思いが強くあります。

さて、中小企業の経営者の多くは、松下幸之助や本田宗一郎の箴言集のような書物を持っています。
なぜでしょうか?
自らの思考や感情がちゃんとした方向に向かっているかどうか、常にチェックする必要があるからでしょう。
仮にほんのわずかなズレがあったとして、それが、その時には何でもなくても、5年、10年すれば、大きなずれとなってしまいます。
「あれ、オレ、こんなだったかな?」とか、
「えっ、自分はなんでこんなところにきてしまったんだろう」とか・・・
ふと振り返ると、そういう気持ちになった人もいらっしゃるでしょう。

私の場合は、まさしくその典型で、「ドツボにはまった」ケースです(笑)

それゆえ、ゼロから(マイナスかも?)再スタートを切ることを余儀なくされましたが・・・・・。

だからこそ、普段から自らの思考をチェックするために「言葉を大切に使う」ということが何よりも大切なのです。

「言葉」は「神」であり、「パワー」なのですから。

写真の花は「トルコキキョウ」
花言葉は「よい語らい・希望・思いやり」

 

Re-Start For Happy Life~宗教的視座をもつ~

【宗教的視座をもつ】

文化庁長官も務めたユング心理学の大家、河合準雄氏。
氏は「人生の後半は死に向かう生を生きる。
そのための宗教観が必要だ」という趣旨のことをおっしゃっています。

人生の前半は「どうやって生きるか」ということが重要ですが
人生の後半は身近な人が他界するのを経験することで、
程度の差こそあれ、「死」を意識します。
そうなれば、やはり、何らかの死生観をもった
宗教的視座が必要になるでしょう。

幸い、私の周囲には優れた宗教家が多く、
熱心なキリスト教信者であるTさん
同級生で浄土真宗のお寺の住職でもあるSくん、
佐賀県内最大の天理教教会の教会師、Yさん、
また、神道の大家Tさんなど、
身近に宗教的な観点をもった方々とお話しする機会が多いのです。

こうした方々とお話しして気づくのは、
どこか達観した視点をお持ちである、
ということです。

日常的な価値観から少しはなれて、
別の視点からみてみる。

日常のなかでは
様々な人間関係のなかから
生じてくる自分自身の感情が
どうしても収まりきれずに、
悶々とすることも多いでしょう。

また、自分自身の思考や感情から
想起してくる出口のない思考回路を
堂々巡りしてしまうこともあります。

そうした堂々巡りの思考回路から、
一度ワープして、
まったく別の視点から自分を俯瞰してみる。
それが宗教的視座なのかな、と思います。

自分自身、多くの宗教講話を聴いております。
仏教系であれば黄檗宗、臨済宗、浄土宗、浄土真宗、真言宗など。
キリスト教系であれば、カトリック、日本基督教団、パブテストなど
それ以外では天理教の説法も聴いております。

最終的にカトリックという選択をしたのですが、
それは私自身が負う「原罪」によるものでもあり、
また周囲がほとんどカトリック系の
クリスチャンだったことも大きく影響しています。

特定の宗教を信仰する、しないも
各人の自由であるでしょうが
また、
宗教的視座をもつで
今の自分を自分の感情や思考から
離れて俯瞰してみることができます。
そうした時間も持つことが、
自分自身を救ってくれます。

やはり、そうした宗教的視座をもつことは
特に人生後半ではとても大切だと思います。

写真の花は「グラジオラス」
花言葉は「愛の祈り」

幸福な人生への再スタート術~自分を変える~

【幸福な人生への再スタート術②】
~自分を変える~

「過去と他人は変えることはできない。
変えることができるのは自分と未来だけである。」

これは精神医学の分野で患者にもいわれることがあるそうです。

先日、佐賀市内にある天理教の教会師である吉田さんと、人はどうやって変われるか、というテーマでお話ししました。
吉田さんは、中学校の先輩でもあり、また佐賀少年刑務所で教誨師も務めておられます。
私の主張は
「人は本質的に変わらない。
松の木が桜の木になることはない、梅の木が桜の木になることもない。
変わることができるとすれば、それは無駄な枝を剪定し
腐った部分を切り落とし、伸びていく方向を矯正することだけだ」
ということでした。

吉田さんはこの意見を聴いて
「田中君はやっぱり頭がいい」というおっしゃいまして・・・(苦笑)
今度、いろんなところでの説法に使われるそうです。(苦笑)

たぶん、人は本質的に変わることはなく、逆に、自己の本質に向かうことで、無駄な部分を切り落としていく、というプロセスそのものが「自分を変えていく」ということではないかな、と思います。

私が好きな作家で「アレックス・ロビラ」という作家がいますが、
彼の著作「幸福の迷宮」の中で、
最後に彼は次のように書いています。

「これはすべてを失い、そして一番の宝物・・・・
自分自身に、迷宮の真ん中で出会った人の物語。

この本は光の蝶のように、二枚の羽を持っている。
光の蝶と同じく、偶然あなたの手にとまったのではない。

あなた次第で、蝶は迷宮の真ん中への道を教えようと飛び続ける」

写真の花は「ストック」
花言葉は見つめる未来

人生の再スタートが意味するもの

人は時として、人生の再スタートを切らなければならないときがあります。
それは自ら望んだものなのか、それとも強いられて、あるいは、ぎりぎりに追い詰められて・・・
どのような事情があるにせよ、人生の再スタートをきり、何かを目指していくのであれば、それに必要なことは何なのでしょうか?
人が新たなスタート地点にたち、目指すべきものがあるとすれば、それは幸福な人生というものでしょう。
それが意味するものは、仕事の成功なのか、家族の幸せなのか、社会的な名声なのか。
それともそれらを含めてもまた、何か違う価値観に基づくものなのか。

ReStart(再スタート)とは、あるいはReBirth(新たに生まれ変わる)することなのかもしれません。
ReBirth(新たに生まれ変わる)するためには「一度死ななくてはならない」ともいいます。

そう考えると、いま、もし、人が孤独や絶望の淵に立たされていたとしても、それは再スタートを切るために、あるいは再生するための通過儀礼なのかもしれません。

私の場合、様々な事情がかさなり、再スタートをきるという選択をしました。その事情については、いつかご説明しようと思います。
ただ、私の場合、再スタートするにいたっては、逡巡し、熟慮に熟慮を重ね、計画をたてて決意しました。

ここでは幸福な人生のために再スタートをきる人たちにとって、ささやかなヒントとなるようなブログを綴っていきたいと思っております。

ちなみに写真の花は「ガーベラ」
花言葉は「希望」です。