実は・・・実話⑥-11

A君が移送された先は福岡拘置所、
しかもC棟3階であった。
C棟3階とは独居房であり、
A君は接見禁止を言い渡されていた。
接見禁止とは弁護士以外、
誰とも会えないことであり、
家族との手紙のやり取りも禁止されていた。
つまり1日だれとも話せない日々が
結局6か月間続いたのである。

さて、C棟3階が独居房の階であることは
つまり、死刑囚もその階にいるわけである。
A君の階には北九州市で連続殺人の罪で死刑が確定した
松永死刑囚がいた。

松永はすでに気がくるっており、
髪は伸び放題、
部屋の前にはついたてがおかれ
外部からは見えないように遮断されていたが、
自傷行為防止のため、ビデオカメラが設置され
1日中監視されていた。

この階は幽霊が出ることが噂されていた。
実際、A君は何度も金縛りにあった。

A君、血液検査の結果、
軽度の糖尿病と診断され、
1日1000キロカロリーの
(成人男性の場合、平均2000キロカロリー)
糖食を供されることになった。

A君、1日誰とも話ができない状態が
その後6か月間続くのであるが、
このことがのちにA君の生活習慣、
人生観を大きく変えることになる。

さて、1日誰とも話をしない生活が6か月間続くとどうなるか?
その内的変化についてはまた、のちほど。

To be continued・・・・

55歳の誕生日に思うこと

プロダクティブ・エイジング。
聖路加病院の名誉院長で昨年亡くなられた日野原重明さんの造語です。
アンチエイジングでもなく、
ウェルエイジングでもない「プロダクティブ・エイジング」

創造的な年齢の重ね方、という意味なんでしょう。

28年の9月に社会復帰して
その前の2年2か月に渡る
某医療機関での拘留生活を通して
決意したことが2つあります。

これから自分がやるべきこととして
決意していることは
社会的価値の創造、
そして公益性に寄与すること、
このふたつです。

具体的には
WEBマーケティングを普及していくことで
地方の中小企業の活性化に寄与すること、
そしてもうひとつは
「罪の赦し」「罪からの救い」
元受刑者の社会復帰を支援していくことです。

理解を得ること自体、
困難を要しますが、
しかしながら、
理解を広めていく活動そのものが
いずれ社会的価値の創造につながるものと
信じております。

55歳ですので
「GO!GO!」と(笑)
そんな気分で
「プロダクティブ・エイジング」を重ねていく所存です。

小野小町のモテ度に関する一考察

世界の三大美女といえば
日本では
クレオパトラ、楊貴妃、
そして小野小町である。
平安時代、9世紀末の女流歌人であり、
伝承によると現在の秋田県湯沢市の出身らしいが
正確なことはわかっていない。

小野小町がどれほど美人だったかわからないが
モテまくったそうである。

しかし、写真もなく、
逢瀬を重ねるほどの機会も少ないであろう時代に
小野小町がモテた理由は
単に見た目だけではなく、
彼女の繊細な文章表現、
歌のうまさにあると思う。
そこに多くの男性は惹きつけられたのだろう。

小野小町の有名な歌は多い。
「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ
 夢と知りせば 覚めざらましを」
こんな恋歌を贈られたら完全にノックダウンである。

この歌も切なく、いろっぽい
「いとせめて 恋しき時は むばたまの
 夜の衣を かへしてぞきる」

誰もが知る歌ではこれだろう。
「花の色は 移りにけりな いたづらに
 我が身世にふる ながめせし間に」

小野小町のモテ方はこうした
フェミニンな香りが漂う文章の色っぽさ
心のひだに触れてくる繊細な文章表現にある。

メンタルな色っぽさ。
女性の色っぽさの神髄はこうしたメンタルな
繊細でフェミニンな香りのなかにあるんだと思う。

ちなみに私は文章フェチで(笑)
小学生のころから今でも
作詞家である 阿木燿子さんのファンである。