ひまわりの想いで

ひまわりをみると思いだすことがあります。
ちょうど1年前の今頃、
私はあるところで毎朝花壇に
ホースで水やりをしていました。

その日もいつものように
ホースで花壇に水を撒いていたところに
年のころはちょうど30代だろうか、
黒のパンツに白いシャツ、ポニーテールという
後姿の女性がジョウロを片手にやってきて、
花壇に咲いているひまわりに水をやろうとしていました。

私は
「いや、いいですよ、私が水やりますから」
というと、
女性は
「いえ、ひまわりが死にそうだったものですから」

その女性の答えに
ハートをわしづかみされてしまった(笑)

「ひまわりがしおれていたから」ではなく、
「ひまわりが死にそうだったから」

その答えに、また、
ひまわりをひとつの生命としてみるところに
その女性の繊細な感受性、やさしさを感じてしまったのだ。

それ以降、その女性が毎朝近くを通るたびに
意識するようになった。
顔はみえず、後姿だけだったが、
それでも「かわいい人だな」と思っていた。

女性はやはり見た目はいい方がいい。
しかし、それよりも
繊細な感受性、優しさを持ち合わせている女性は
見た目以上にかわいい、と思う。

メンタルなかわいらしさ。
なによりもそれが一番かわいいと思う。

フィジカルないろっぽさは
年齢とともに衰える。
しかし、メンタルなかわいらしさは
年齢と共に輝きを増すのではないだろうか。

そうあってほしい、と思う。

真理は、心のひだの奥に・・・

インターネットで情報保護のために
使用される暗号化技術。
その暗号化技術は
2つの素数から組み立てられているという。
300桁の数字になると、
それを構成する2つの素数をコンピューターが
解読するまでに1年以上はかかるそうだ。

複雑な暗号化のための技術も
実はたった2つの素数から成り立っている。

人生は複雑だ。
人は様々な事情を抱えて生きている。
しかし人生の真理はシンプルだ。

人はたくさんの失敗や成功、
悲しみ喜び、恋や愛憎を重ねていく。
そうしたものから生まれる幾千もの心のひだ。
人生の真理はおそらくそうした心のひだの奥に
こっそりと隠れている。

モラリストは平気で「常識的モラル」を口にする。
誰も反論できない概念をもちだし
小さなためらいやとまどいをも
踏みにじってしまう。
しかし、そこにある自身の暴力性に気付かない。

人間はそれほど強くない。
時に転び、過ちを犯し、
それでも前向きに生きている。

人生の真理はシンプルだ。
それは幾千もの心のひだの奥に隠れ、
こころの機微にそっと触れてくる。
傷つきやすい心のひだをそっとつつむ。

語るとすれば、
心のひだの奥に潜む真理を。
それが生きてきた大人の
「生きた真理」であるはずだ。

写真の花は金木犀
花言葉は真実