フルベッキ写真を再考する②

さて、フルベッキ写真について
つねにその真相が話題になりますが、
佐賀大学の名誉教授だった故杉谷昭氏は
この写真を慶応元年に撮影された
明治維新を成し遂げた志士の写真として紹介しています。

しかし、杉谷氏はその後さまざまなバッシングにあいます。

そこで、まず、この写真を杉谷氏の主張が正しいもので、慶応元年に撮影された、右写真のような人物の集合写真であると仮定してみましょう。

この人物たちが一堂に会した理由は何か。
横井小楠は南朝を支持した楠正成を尊敬し、その一字を名につけるほどの南朝派です。
西郷隆盛もまた南朝派の菊池一族の末裔です。
佐賀藩は代々楠正成の流れを組む菊水紋を家紋とした武家が多い藩です。
そして大室寅之助は南朝皇室の末裔であり、それを長州がかくまっていたといわれてます。
吉田松陰も南朝支持であり、当然その弟子たちは南朝派です。

つまりここにいる人物の多くは南朝派なのです。

すると、この会合の意味は南朝皇室の再興を目的としたプロジェクトチームなわけですね。(あくまで仮説)

しかし、これが真実とすれば、以下のプロセスが順調に進んだ背景も理解できます。

慶応2年には薩長同盟が組まれ、
慶応4年には勝海舟と西郷隆盛の間で江戸開城がなされます。
明治10年には明治天皇が南朝正統であることを宣言します。

これらのシナリオがすべて慶応元年でのこのメンバーの会合で合意されていたとすれば、すべてつじつまが合います。

しかし、そこで最大のタブーは、では北朝の孝明天皇の子どもであるはずの明治天皇は???ということになります。

この写真が常にタブー視され、常に否定され続けられるのも、この写真が杉谷氏の主張そのものとすれば、まさしく、そのタブーにふれることになるからでしょう。

フルベッキ写真を再考する①

【フルベッキ写真を再考する①】

フルベッキ写真とはなにか。
明治維新を成し遂げた志士たちが
佐賀で、在米オランダ改革派教会から派遣された
オランダ出身の宣教師グイド・フルベッキと
一緒に撮影したといわれている写真である。

現在、この写真は佐賀藩校、致遠館の学生を
明治元年に撮影したものとされている。

しかし、この写真を早くから紹介していた
佐賀大学の名誉教授だった杉谷昭氏は
この写真を慶応元年に撮影されたものであり、
まさしくこの写真右にある
志士たちの写真であると主張していた。

慶応元年に明治維新を
成し遂げた志士たち
(西郷隆盛、坂本竜馬、伊東博文、大隈重信、勝海舟など)が一堂に会した写真であると。

しかも、そこには明治天皇もいるというのである。

その真相について、
様々な論争が巻き起こされてきたが、
明治維新の目的の一つが
天皇の系譜を北朝から南朝に変える
ということであれば、
この写真が慶応元年に撮影されたと考える方が、
その後の展開はすんなりと理解できるのである。

その理由についてはのちほど。