連鎖をつなぐもの

【連鎖をつなぐもの】

ひとりの力でどれほど世界を変えられるいうのだろう。
僕たちに英雄のような偉大な力があるのだろうか。
でも、何かを起こすたび、必ず変化を起こしているのは確かだ。

行動のすべてが周りに影響を与え、それは波紋のように世界へ広がっていく。
ささやかな親切が連鎖反応を起こし、見知らぬ人を幸せにしたりする。
僕たちの知らないところで、毎日、奇跡は起きている。

あらゆる可能性の中から、人は何かを選択し、行動を起こし、深呼吸をして、また一歩を踏み出す。
連鎖反応を引き起こすのは、そういうすべての瞬間、行動、そして選択。
連鎖をつなぐもの、それは愛だ。

佐賀県産たまねぎスープ(粉末)

【佐賀県産たまねぎスープ(粉末)】

佐賀県白石町はたまねぎの産地である。
いまは、植え付けの時期で農家は忙しい。
その白石町産たまねぎを使用した粉末スープがこれ!
我が家には必需品。
このたまねぎスープ、
マグカップに小さじ一杯を入れ、
お湯をいれると出来上がり。
簡単、ヘルシーで温まる。

我が家では、
このたまねぎスープを隠し味にして
カレーに入れる。
コクのあるカレーができあがる。
たまねぎの甘みがカレーの辛さに深みを与える。
また、チャーハンの隠し味にもうってつけ!

一度、ご賞味あれ!

「禅」の現代的意義を考える

【「禅」の現代的意義を考える】

私はクリスチャンですが、
キリスト教はもちろんのこと
仏教では浄土宗、浄土真宗
真言宗、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗、
仏教以外では天理教など
幅広く宗教の説法は聞いています。

禅宗の流れを組む宗派は
臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の3派があり、
そのどれもが座禅や禅問答を通して
悟りに向かうことを求めています。

禅問答といえば、何やら「わけのわからない」
どう答えていいのかわからない、
といったイメージが
世間一般では強いでしょう。

禅問答の公案は主に
江戸時代中期の禅僧、
白隠和尚が考え出したものです。

禅問答の公案で有名なものに、
「隻手の音声」というのがあります。
隻手とは、片手のことです。
両手では手を打って音を出せますが、
片手では、打つことが出来ません。
その片手の音をどう聴くのでしょうか。

しかし、修行僧は、住職のその問いに返答しなければなりません。
答えは「無」です。

このように、禅問答にはどう答えていいのかわからない公案が多く、
つまり、「問い」そのものに矛盾が孕んでいて、
答える側は、どうにも答えようがない状況におかれるのです。

しかし、この禅問答、どこか現代的かな?とも思うのです。
私たちが状況から問われている「問い」には
常に矛盾が含まれていて、
それゆえ、「答え」を出すのにも悩んでしまうことが多いのです。
もともと人生そのものが不条理に満ちてますが(笑)

たとえば、「消費税は上げなければ国の財政は成り立っていかない」
しかし、「消費税を上げると景気は悪くなる」とか、
「浮気はしたいけど、見つかったらやばいよね」とか(笑)

私たちが状況から問われている「問い」の内容は
常に矛盾をはらんでいて、
それゆえ、
ダブルバインド(二重拘束)の状態に置かれてしまうのです。

実はここに「禅」のもつ現代的意義があるように思えるのです。
禅問答の「問い」にこたえようとすると、
これまでの私たちのものの見方や考え方から、
いったんワープして、別の高い次元から見ることが求められます。

そうであるからこそ、
私たちの日常が、実は「矛盾にはらんだ問い」に常に問われており、
その結果、私たちの思考はダブルバインド(二重拘束)の状態に置かれ
悩んでしまうことになるのです。

その状態から、別の突破口を見出そうとすれば、
いったん、これまでの思考やモノの見方から解き放たれ、
ワープして、別の高い次元でモノをみる、という視点が必要になります。

それが「禅」の現代的意義のように思えます。