受刑者との文通①

刑務所で受刑中の男性と文通始めました。
先月、手紙をおくったところ、
今日、返事がきました。
年齢は32歳、満期出所まであと4年半とのことです。
丁寧な文字で書かれてあり、
私の仕事、WEB解析士の仕事にも興味があるとのことです。

出所時、まだ30代なので、
まだやりなおしは効くでしょう。

私が説教じみたことをいうことはまずない(笑)

自分を見つめ、
自己と対話することをすすめてます。

自分の過去、家族のことなど
眼をそむけたくなるような自分のことから
目を背けず、みつめることが
再スタートのための起点となります。

そこから自分のコアになるものをつかんで
無駄なもの、腐った部分を剪定し、
新しい方向にむけて、再スタートできるかどうか。

なんとかいい相談相手になれて
彼の新しい人生に
いい意味での影響を与えることができれば
幸いです。

心理カウンセラー諸岡さんとの出会い

佐賀県内で心理カウンセラーとして活動していらっしゃる諸岡さん。
諸岡さんとの出会いは知名弁護士のご紹介で昨年末、居酒屋でお会いした。
諸岡さんは非行少年の心の回復プログラムも実践しているそうだ。
私は元受刑者の社会復帰のためには
心の回復、あるいは修復が必要だという考えを持っていますが、
幸い、知名弁護士の紹介で
諸岡さんとお会いすることができた。

また、昨日もファミレスで再開し、
いろいろお話したところ、
諸岡さんとは知名弁護士のご紹介以前に
ある異業種交流会で会っていたことが分かった。
不思議なご縁だな、と思う。
おそらく会うべくして会ったのでしょう。

諸岡さんも私も
罪を犯した人の社会復帰のためには
「心の回復、修復が必要」という考えです。

元受刑者を
罪を犯した人を自分とは峻別し、
「モラルが欠落した人」とみなし、
説教する、か遠ざけるかというのが大方の態度そのものが
間違っているという立場です。

私が今まで出会った「ちゃんと社会復帰した元受刑者」の人たちの多くが
罪を犯した原因を自分の生い立ちから見つめなおし、
心の回復という内的プロセスを経ていました。

立命館大学の森久教授にいわせると
罪を犯すという結果に至るまでには
「本人の特性のみならず、その置かれている状況、
文脈、他者との関わり等、
多様な要素が偶然(不幸)にも
絡み合った結果として、
本人は犯罪という「現象」に至るのです。」

単純にモラルの欠落が犯罪にいたるわけではなく、
さまざまな要因が絡まりあっており、
そのなかでも
心の病んだ部分、傷んだ部分、小さな闇、
そうしたメンタル部分での修復、回復が
罪を犯した者の再起のための
必須要件であると考えており、
かつそうした認識を社会が持つべき、と考えています。

そういう立場に立っていますので
相手の内面を見ずにして
安易に説教するという態度はすべきでないと考えます。

諸岡さんとも
そうした罪を犯した人の再起のためには
メンタル面でのケアが必要という考えで一致しており、
今後は諸岡さんと協力して
非行少年、元受刑者の社会復帰のための活動を
行ってまいりたいと考えております。

幸福な人生への再スタート術⑤~深く、自己の内部へ・・~

【幸福な人生への再スタート術⑤】
~深く、自己の内部へ・・~

「ひとり」を勘違いしていた、
とても幼稚で悲しい誤読をしていた。
それは(もうひとつの)いちばん最初に訪れる絶望で、
いちばん最後におとずれる、鮮しくて眩ゆい希望だ
(井上法子 歌人)

井上法子さんは東大文学部博士課程在学中(もう修了したかな?)の新進気鋭の歌人です。

ひとりであること、
孤独であるということ。
その入り口は絶望かもしれないが、
その出口は希望であるということ。

これはたぶん、真実でしょう。

私の場合は半年間、1日誰とも話さない日々をおくりました(苦笑)。

最初は、深い孤独感に絶望的な気持ちになりますが、
そのうち、だんだんと自分自身のことを深く考えていくようになります。

これまでの自分のこと。
これからの自分のこと。

最初は腹立たしいことばかり頭をよぎります。
「あの時別の選択していれば」とか
「あの野郎!!」(笑)とか・・・
しかし、そうした悔恨や憎悪の感情は
かえって自分を苦しめることになります。
そういう負の感情そのものが自分の重荷になってくる。
すると、できる限り、無駄な感情はそぎ落としていく、という
感情のデドックスみたいなことを自分でやっていくわけです。

無駄な感情をそぎ落としていくと何が残るか。
私の場合は「愛している人を愛する」という感情のみが残りました。
それだけが自分の心を満たしてくれる感情なんだということに気が付きます。
「愛している人を愛する」というだけで感情は満たされるわけです。
というより、孤独の中では、それが心の支えになっていたといっていいでしょう。

恋歌はそのころしたためたものです。
たとえ、相手からの返歌はなくても・・・

そして、それでも続く孤独な状況の中では、
さらに、自分自身の内部に深く沈降していきます。
すると、自分の中にある余計なもの、
腐った部分をどんどんそぎ落としていって、
自分のコアな部分、自分の核心に向かうようになっていきます。

自分自身の核心、そこにたどり着くと、
これから自分が「何をなすべきか」
「なぜ、いまこの状況にあるのか」
そういったことの意味が見えてきます。
自分自身の存在意義をはっきりと自覚するようになります。

自分の「核心」にたどり着くことで
自分自身の存在意義を「確信」する、ということでしょうか。

私の場合は2つ、これからの自分の存在意義を明確に意識しました。

孤独の中で、自分自身の核心にぎりぎりまで沈降していくことによって、はじめて、自分の存在意義やこれからの人生の意味は見えてきます。

つまり、それまでの「孤独」による「絶望感」は、
自己の内部に沈降し、
自己の「核心」に近づくことで、
自分の存在意義を「確信」するための
入り口だったのです。

そして、その「確信」は「希望」に変わります。

「孤独」はそれ自体「絶望感」を伴いますが、
しかし、それは自分の余計な枝葉をそぎ落とし、
自己の「核心」に近づき、
そこから「希望」という出口に向かう
自分で掘り進めなければならない暗い坑道でもあるのです。

写真の花は「ストック」
花言葉は「愛の絆・永遠の愛・見つめる未来」