実は・・・実話⑥‐13

Aさんとの対話は続く

「6か月間も人と会話ができないというのはちょっと想像できないですね」

「まあ、普通はそうです。接見禁止というのは弁護士以外とは話せないのですから。手紙のやり取りも弁護士以外は禁止です」

「ご家族のことは心配ではなかったのですか?」

「もちろん、心配ですよ。ですから、『無事なように』と祈るしかないですよね」

「はあ、そうなんですね」

「当時は特に信仰する宗教がなかったのですが、このことが私が宗教に関心をもつきっかけとなりました」

「どんな宗教に関心をもったのですか?」

「のちに刑務所に行くことになりましたが、刑務所では宗教講和を聴講することができたんです。」

「そこで、真言宗、金光教、浄土宗、浄土真宗、黄檗宗、臨済宗、カトリック、日本基督教団、パブテスト、天理教とあらゆる宗教講和を聴講しました」

「すごいですね」

「出所してからは、カトリックの洗礼を受けてます」

「弁護士とのやり取りはどうだったんですか?」

「弁護士とは主に手紙でやり取りして、週に1回30分ほどの面会が可能でした」

「どんな弁護士だったんですか?」

「まだ20代のイケメン弁護士でした。ラサール、東大とエリートを絵にかいたような弁護士でした」

「ともかく、自分の弁護をするつもりで事件の経緯をまとめながら、抗弁書の起案の素案となるものを書いて弁護士に郵送してました」

「えっ、自分で抗弁書を書いてたんですか?」

「はい、弁護士も驚いていましたね。こんなこと書いてくる被疑者は初めてです、って」

「ともかく、事実をベースにして、論点を明確にして、それを論理的に組み立てるという作業なんです」

「はあ・・・・」

「弁護士が気にしていたのは『本当にAさんはヤクザのMと詐欺の共謀の打ち合わせをしたんですか』ということでした」

「していないんでしょ?」

「はい、暴力団組長のMとは1回しか会っていませんし、その時の打ち合わせでは『嬉野と久留米で教室を開講しよう』ということしか決まってなかったんです」

「でも、取り調べであなたはその1回の打ち合わせの際『出欠をごまかす打ち合わせをした』と供述してますよね」

「はい、その時は私以外にMを有罪に持ち込む供述するには誰もいないことはわかってましたし、刑事も検事も私に頼ってましたから。取り調べの最中はMを有罪にすることが正義と思い込んでました」

「でも弁護士から『Aさん、いくら相手がヤクザでも事実を曲げて有罪にもちこんではいけないですよ』といわれて、そうだな、と思い直したんです」

「でもそこが今回の事件の核になるんでしょ?」

「はい、私の供述しか刑事も検事もMを有罪にもちこむ手段はなかったんですから」

「でもよく考えて下さい。私はMとは『地元の有力者』といわれて人からの紹介で1回しか会ってませんし、共犯者は他に40人にもいるのに、他の共犯者から何の供述も取れないこと自体がおかしんですよ」

「う~ん、それでは裁判は紛糾するのではないですか」

「はい、そうなんですけど、Mを有罪にするのは検察の仕事であって、私は事実をいうだけです」

「それはそうですね」

「接見禁止中の6か月間は大変きつかったんですけど、実はこの間の生活習慣が今の生活のベースになってるんです」

「へえ、今でもそうなんですか?」

「はい、まずは粗食になりました。拘置所の食事は3割麦が入った麦飯ですが、今では玄米食です。
また、拘置所内では腹筋、腕立て、スクワットを1日100回やってましたが、それは今でも続いてます。
それに座卓で勉強する習慣、布団を四隅をあわせて畳む習慣など、ここでの生活がベースになってます」

「生活習慣が矯正されたんですね」

「まあ、そうですね。それに宗教をもちえたことも大きいです」

「カトリックの洗礼を受けたんですね」

「はい」

 

Aさんとの対話はまだまだ続く。

To be continued・・・

実は・・・実話⑥-10

さて、A君、刑事の執拗な取り調べ、
「Aさん、いっしょにMをやっつけようや、
あいつが一番悪いいんやろ?」
「思い出せんかったら、絞りだせ」
というセリフに結局折れてしまった。

A君からすれば自分が暴力団組長Mに関する
なんらかの有罪に持ち込む供述をしないと
自分がMをかばっているようにも思われるのもしゃくだし
かつ、それが正義だと思うようになった。

そして、結局、暴力団組長と
「生徒が休んだ場合、出席をごまかすこともできる」
という会話をした、と供述してしまった。

しかしA君、その後も逡巡する。
「事実でもないのに、あんな供述していいのか?」と。

悩んだ末に
検事に対して素直に申し伝えた。
「いや、検事さん、久留米のファミレスでMと会った時には
久留米と嬉野で教室を開催することしか話さなかった」
「そこで出欠をごまかすという相談はなかった」と。

実際、A君は教室開催後、
生徒の出席があまりに悪いので
困りきって教室責任者に
「遅刻は大目に見るが、欠席をごまかすことはできない」とメールで送っていたからだ。
このメールが後に裁判で重要な証拠となる。

しかし、取り調べの検事、
顔を真っ青にして
「いや、Aさん、いまさらそういっても困る」
「そんなこといわれたら、
いままでの供述のすべてがおかしくなるじゃないですか」

「いやね、Aさん、
Aさんが暴力団の仲間とは全く違う流れにっていることはわかってるんですよ」
「Aさんが集めた生徒の出席はいいし、
かつ、あなたが生徒に対して『欠席をごまかしてもいい』という発言を一切していないこともわかっている」

「Aさんと暴力団の組織的な動きとは全く違うので
それを同じにすることはない」

ここまでいわれると
(じゃあ、組長のMを有罪に持ち込む証言をしたら求刑は軽くなるのかな?)
とA君は思ってしまった。
ところがのちに検事はとんでもない求刑をするのだが・・

A君、連日8時間に及ぶ取り調べ、40日間の生き地獄を経て
拘置所に移送になった。

しかし、A君が移送された拘置所は
まさしく幽霊が出ることで有名な福岡拘置所、
そのなかでも最悪のC棟3階であったのだ

To be continued・・・・

心理カウンセラー諸岡さんとの出会い

佐賀県内で心理カウンセラーとして活動していらっしゃる諸岡さん。
諸岡さんとの出会いは知名弁護士のご紹介で昨年末、居酒屋でお会いした。
諸岡さんは非行少年の心の回復プログラムも実践しているそうだ。
私は元受刑者の社会復帰のためには
心の回復、あるいは修復が必要だという考えを持っていますが、
幸い、知名弁護士の紹介で
諸岡さんとお会いすることができた。

また、昨日もファミレスで再開し、
いろいろお話したところ、
諸岡さんとは知名弁護士のご紹介以前に
ある異業種交流会で会っていたことが分かった。
不思議なご縁だな、と思う。
おそらく会うべくして会ったのでしょう。

諸岡さんも私も
罪を犯した人の社会復帰のためには
「心の回復、修復が必要」という考えです。

元受刑者を
罪を犯した人を自分とは峻別し、
「モラルが欠落した人」とみなし、
説教する、か遠ざけるかというのが大方の態度そのものが
間違っているという立場です。

私が今まで出会った「ちゃんと社会復帰した元受刑者」の人たちの多くが
罪を犯した原因を自分の生い立ちから見つめなおし、
心の回復という内的プロセスを経ていました。

立命館大学の森久教授にいわせると
罪を犯すという結果に至るまでには
「本人の特性のみならず、その置かれている状況、
文脈、他者との関わり等、
多様な要素が偶然(不幸)にも
絡み合った結果として、
本人は犯罪という「現象」に至るのです。」

単純にモラルの欠落が犯罪にいたるわけではなく、
さまざまな要因が絡まりあっており、
そのなかでも
心の病んだ部分、傷んだ部分、小さな闇、
そうしたメンタル部分での修復、回復が
罪を犯した者の再起のための
必須要件であると考えており、
かつそうした認識を社会が持つべき、と考えています。

そういう立場に立っていますので
相手の内面を見ずにして
安易に説教するという態度はすべきでないと考えます。

諸岡さんとも
そうした罪を犯した人の再起のためには
メンタル面でのケアが必要という考えで一致しており、
今後は諸岡さんと協力して
非行少年、元受刑者の社会復帰のための活動を
行ってまいりたいと考えております。