元受刑者Hさんからの連絡

昨日、元受刑者Hさんから突然電話があった。
1年2か月の仮釈をもらい、
電話があった前日に出所したらしく、
つまり、出所した翌日に
私に連絡をいれてきたことになる。

おそらく、相当更生意欲が高いのだろう。

九州で元受刑者の
社会復帰支援活動をしていると
公言しているのは
保護司を除けば私くらいである。

その私に出所後、
私の活動内容や連絡先を調べて
早速電話をいれてきたのだから
私の活動に
自身の社会復帰の可能性を感じたのだろう。

NPO法人マザーハウスの活動や
WEB解析士としての私の仕事の話を
30分近く質問され、説明した。

まずは、ホームページの作り方を教えてほしい
とのことだったので
コンサルティングの申し込み方法等を説明した。

理解力が早く、
普通に仕事をしても十分に
できる人物であるように感じた。
妙になれなれしい口調が気になったが
まあ、3年間以上も服役していたのだから
社会生活に慣れるまでには
時間がかかるだろう。

昨年12月、
再犯防止支援推進法が施行された。
国も再犯防止のためには
元受刑者の健全な社会復帰のための
支援が必要であると考えるようになった。

元受刑者が再犯を犯す主な理由は
薬物や性犯罪のような犯罪を除けば
①経済的逼迫
②社会的孤立、である。

仕事もなく、収入もなく、また地域から孤立してしまうため、再犯にいたるのである。

しかし、依然として
元受刑者の社会復帰は困難を極める。

元受刑者に対して、社会は「反省」を求める。
「おまえは反省しているのか」と。
しかし、元々、「反省」させるために
懲役刑を科せられたのであって
社会がさらに反省を求める必要はないのである。
求めるのであれば、
それは
「再犯をしないこと」
それと
「健全な社会復帰を果たすこと」である。

さらにまた、
一般的に元受刑者と接することを
避けてしまう。
「一緒にされたくない」わけだ。

心情的にはわかるが、
ホリエモンや厚労省の事務次官で
冤罪のため拘置所での留置経験もある
村木さんも言っていることだが、
受刑者には、
実は「普通の人が多い」。

さらにいえば、私がこれまでにあった
社会復帰した元受刑者の方々のほとんどが
深い人生洞察に満ちている。

しかし、そもそも多くの人が
元受刑者の人格など認めたくないのである。
それゆえ、元受刑者の心情など汲み取る意思もない。

こうしてみると、
元受刑者の社会復帰が困難であること自体
実は人権問題だといってもいいのだが、
社会全般としてそういう認識に乏しい。

現在の犯罪数の6割が再犯によるものだ。
再犯がなくなれば犯罪数は6割減少する。
元受刑者の健全な社会復帰こそが
犯罪抑止力につながり、
社会的リスクと服役のコストを
低減することにつながるのである。

微力ながらこうした活動を九州で展開していきたい。

洗礼を受けて変わったこと②~汝、思い煩うことなかれ~

8月15日、聖母マリア被昇天の日に
洗礼を受けて今日で10日になります。

内面的な変化はいろいろありますが、
一番大きいのは
やはり、
主イエス、聖母マリアから
「護られてる」感が
強くなったことでしょう。

とはいえ、
現実には心痛することが多く、
全てにおいて、
決して充足しているとは
いえません。

しかし、それでも
メンタル面では
「満ち足りている」感が強く、
悩みはあっても
「汝、思い煩うことなかれ」(聖書より)
との聖書の言葉通り、
「思い煩う」といったことは
ほとんどなくなりました。

そう考えると、
外的な要因というのは
幸福を構成する要件ではありますが、
それらのすべての外的要件が
そろわなくても
幸福であることは
十分可能であるといえるでしょう。

これは自論ですが、
「思い煩う」ということについて
外的要因はあくまでトリガーに過ぎず、
それによって誘発された
自身の内的な思考と感情の起伏によって
自身を苦しめてしまう、というのが
苦悩の源泉であると考えています。

一見、外的な要因に
自身の苦悩の理由を
すべて帰趨してしまいそうですが、
実はそうではなく、
おそらく、
外的要因に誘発された
自身の思考や感情が
自身を苦しめている、
というのが真相だと考えています。

このように考えるのも
実は私が1日誰とも話さない、
という状況を
6か月間過ごした経験に起因しており、
この徹底した孤独な状況のなか、
自己の内部に深く沈降していくという
内的プロセスを経ることで、
結果、自身を苦しめるのは
自身の思考や感情の起伏であって、
外的要因はトリガーに過ぎない、
と考えるようになりました。

このような考えを持っている自分にとって、
洗礼後の「満ち足りている」感覚は
様々なプロセスを経ての
ひとつの到達点でもあり、
かつ出発点でもあり、
また、原罪を有する私にとって、
クリスチャンという選択は
必然でもあって、
洗礼を受けたことにより、
このような心境を得られたことへの
感謝の念も高まりました。

それゆえ、
最近は素直に十字架を前にして
感謝し、祈ることもできるようになりました。

人生も後半に入ると
程度の差こそあれ、
身近な人の死を通して、
自らの死を意識します。

しかし、それゆえにこそ、
より鮮明にこれからの生を
意識するようにもなります。
そのなかで、クリスチャンという選択は
これから生きていく上で
大きな支柱となっています。

洗礼を受けて変わったこと~小さな奇跡~

8月15日、聖母マリアの被昇天の日に
佐賀カトリック教会で
神父さんから洗礼を受けて
もうすぐ1週間になります。

洗礼を受けるとこれまでの罪は
神のもとで赦され、
新たな命を授かり、
神の子となります。

それで何が変わったか???
あまり大きく変わることはありませんが
先日、不思議なことがありました。

いつも右手の小指に
メダイとクロスがついた
リングをはめていますが、
そのメダイがリングから消えており、
つまりリングから外れて
どこかに落ちたのでしょう。
周囲を見渡してもありません。

さすがに焦りました。
そのメダイは聖母マリアが描かれている
「奇跡のメダイ」といわれている
フランスからの輸入品だったのです。

これが、路上に落としているのであれば
見つけ出すのは容易ではありません。
ところが、ふと、自分の腕をみると
なんと、
自分の汗ばんだ腕に
メダイが張り付いていたのです。

リングからはずれて落ちてしまったのですが
私の腕に張り付いていたのです。
まるで、聖母マリアから
「あなたの身近にいつもいますよ」
といわているように。

このときから、
「自分は聖母マリアから
イエスから護られている」感が
強くなりました。

しかし、現実には心痛することが多く
昨年10月から再スタートした
WEB解析士のコンサルタント事業も
経営的には
クライアントは増えてはいるものの
決して「楽」というわけではありません。

それでも、
心は「護られている」感が強く、
それゆえ、精神的には
「満たされている」感が強いのです。

おそらく、これが信仰につながるのでしょう。
洗礼を受けてよかった、と思っております。

そのお返しに何をやっていくか。
宗教的にはこれからの自分のテーマは
「罪の赦し」と「罪からの救い」です。
その一環として
これから、
元受刑者の社会復帰支援に取り組んでいきます。