自分を信じるということ

自分を信じるということ

「自分を信じなさい」
まるでメンターのように人はいう。
でも「自分の何を?」
自分の可能性?
自分の能力?
自分の未来?
自分の人格?
なんだろう・・・・
でも一番信じるのは
あなたがいまここにいて
存在していることの価値だと思う。
人が何と言おうといい。
いま、あなたがどういう状況であろうといい。
ただ、あなたには生まれてきた意味があり、
だからこそ、生きる意義があるのだ。
人がどういおうがどうでもいい。
神はあなたに命を与えた。
だからまっとうしろ。
あなたが生まれてきた意味を
あなたが生きていることの価値を
最後の最後まで体現するのだ。
あなたは生まれてきた意味があり
価値があり
だからこそ
愛し、愛される価値があるのだから。

早朝の買い物

早朝の買い物

朝は3時起床、そのあと、朝風呂で朝食。
仕事、受験勉強した後に、
24時間営業のスーパーTRIALに買い物。
これが朝の日課。
早朝のスーパーはすいているし、
また前日の売れ残りでなかなかいい総菜が
安く買えるのも、ちょっと魅力。
野菜中心の食事で
朝食は野菜たっぷりの豆乳チャンポンと豆乳ヨーグルト
昼食はサラダ。
夕食はなし。
そんな食生活なので
まあ粗食な毎日ですね。
これから、パスタも黄エンドウ豆でつくられたパスタを取り寄せて、グルテンフリーな食生活に変えていこうと思ってます。

言葉の透明感

「言葉に透明感がある」そういわれたことがあります。
ブログに書いた文章をFACEBOOKに掲載した時のこと。

正直言ってうれしかった。
透明感のある言葉。
自分もそういった言葉が好きだから。

透明な光。
それは何もない、ということではない。

プリズムに光を通してみる。
波長によっていくつもの光に分解される。
紫外線から赤外線まで。
その間に7色の光が含まれる。

すべての色を含みながら透明な光になる。

そこには人に有害な紫外線もある。

闇を照らすのは愛と希望の光度。
それは孤独と絶望の闇をしっているから。

救いと赦し。
それは罪と罰をしっているから。

そういったすべて包含しながら
透明な光となる。

そんな言葉を紡いでいきたい。

 

孤独になるということ

ひとりの時間が好き。
孤独になる。
自分の心の奥底に深く沈みこんでみる。

自分の心に問いかける。
何を感じているのだろう。
何を大切に思っているのだろう。

深いところで自分は答えを出してくれると信じる。

いつのまにかできた幾千もの心のひだ。
それを分け入りながら
真実の言葉を探り出す。

そして、それがいつか人とつながる水道脈だと信じる。
それが人と深いところで理解しあえる何かだと信じている。



明日への手紙

明日への手紙

今日で、もう4年になる。
4年前のこの日、
3年ぶりに見た外の世界は
これまでとは違って
とても新鮮だった。

散歩の途中の道端に咲いた小さな花、
近所の庭先に咲いたバラ、
一瞬一瞬、ちがう表情をみせる空の雲
まるで、すべてを包み込むようなオレンジ色の夕日

どれもが愛おしく、美しく、新鮮なものに思えた。
だから、僕はその一瞬一瞬を焼き付けたいと願った。
写真の中に、映像の中に。

神は世界の細部に至るまで
美を宿らせたのだ。

だから僕は確信をもっていえる。
たとえどんなことがあろうとも
この世界は素晴らしく、また、美しいと。
決して絶望することはない。
希望を持ち続けることもまた、
人のつよさなのだから。

 


接見禁止の間、
僕は1日誰とも話すことのない
6か月間の日々を送り、
家族への手紙さえも禁じられた。

言葉を奪われた日々を
おくったことで気づいたのは
人は「愛している人に、愛している」と
伝えるだけで幸せなのだと。

気障に思われるかもしれないが、
では仮に
「あなたがただ一人に
たった一言伝えられるとしたら」と問われたら、
だれに何を伝えるだろう?
おそらく多くの人が
「愛している人に愛している」と伝えたい
と願うはずだ。

それは気障でもなんでもなく、
自然な感情だと思う。

そして、僕は恋歌を書き始めた。

「古今和歌集」以降、
歌の王道は恋歌だ。
五・七・五・七・七、という31文字の中に
伝えたい相手への想いを凝縮させていく。
だから、艶やかなまでに言葉がきらめいてくる。

三畳一間の閉ざされた空間の中で
僕は伝えたかった。
子どもたちへ、
妻へ、
本当は親しくなれたはずなのに
そうはならなかった人たちへ
そして、かつて愛した人へ
「あなたを愛している」と。

おそらく人が伝えたい言葉は
つまるところ、それだけだと思う。
他に何を伝えたいというのだろう。

だから、願ってやまない。
いつか僕の言葉が
君のこころに届くことを。