再犯防止のためのフィンランドの取り組み

仮釈中に再犯を犯した人を2名知っている。
仮釈とは刑期を満期まで待たずに
刑務所から出所し、社会生活に馴染むための制度。
正確には仮釈放という。

隠語ではサンピンが刑期3分の1の仮釈がもらえるというもの
ヨンピンとは刑期の4分の1の仮釈。
仮釈がどの程度もらえるかは受刑者の生活態度と
被害者の感情によって決まってくる。

1人は北九州市に住むYさん。
PFI事業の活用で官民での運営による美祢刑務所で
3年の刑期のうち、ほぼサンピンの仮釈を得て出所した。
美祢刑務所は犯罪傾向の低い受刑者に更生プログラムを施し、
社会復帰を支援する目的で運営されている。
そのため、受刑者には個室が与えられ、
自由に出入りできる。
そこでほぼサンピン、10か月の仮釈をもらったのだから
Yさん、模範的な受刑者だったはず、である。

ところがなぜか、住居侵入し、
建設機器を窃盗、
質屋に持ち込んで足がつき、
逮捕、刑務所に逆戻り。
窃盗の罪に、
仮釈分の刑期も加算された量刑が科せられる。
しかも初犯刑務所ではなく、
やくざも多い累犯刑務所行き。

「どうして10か月も仮釈もらって、窃盗したんですか?」
と私が尋ねたところ、
Yさん
「そこに家があったから」

(おいおい、登山じゃないだろ!)

まあ、経済的に窮していたということだろう。

もう一人はXさん。
初犯刑務所である大分刑務所にいて、
仮釈中に、スナックに行き、
呑んだ勢いで
女性従業員に強制わいせつ、逮捕。
生活保護を受けていたようだが、
つまり、人恋しさと
性欲とが酒の勢いで
暴発してしまった、ということだろう。

まあ、どちらも本人が悪いと言ってしまえばそれだけなんだけど・・・
仮釈中なんだから保護司の管理下にあったはず。
経済的に窮していたYさんについては生活保護を受けるようアドバイスしてもよかったのではないかと思う。

Xさんについてはもう少し保護司の人が話し相手、相談相手になってもよかったのではないだろうか・・・

もちろんボランティアで活動している保護司の人の多くは篤志家で、人格者なのだが、この二人のケースについては、実質的に保護司としての役割が機能しなかったともいえる。

犯罪件数が少ないの日本ではあるが
再犯率は先進国でも高いらしい。
もっとも低いのはフィンランドだそう。
フィンランドでは刑務所内で
受刑者に「回復プログラム」が施されるらしい。
つまり罪への刑罰というよりは
刑罰も含めて受刑者が社会復帰できるよう、
再犯を犯さないよう、指導する。

フィンランドが昔からこうだったというわけではないらしい。
数十年前のフィンランドは、ヨーロッパで受刑率がもっとも高い国の一つだったそうだ。

1960年代当時、北欧各国の研究者が、
どの程度の刑罰を与えれば犯罪抑制に実際に効果があるのかという調査を開始した。
その結論は、効果なし、というものだった。

投獄では実際には効果がない、ということが、
本格的な研究で初めて示されたケースだったわけだ。

これ以後の30年間、フィンランドは自国の刑事政策を少しずつ改変した。
そして、フィンランドはヨーロッパ大陸でもっとも受刑率が低い国の一つとなっている。
その結果犯罪が増加するということもなかった、そうである。

日本における元受刑者に対する見方は
社会全体が罰を与えるという見方が主である。

しかし、それは逆に元受刑者を再犯に追い込むことにもつながっている現状を少し考え直した方がいいと思う。

いわゆる「修復的司法」という考えである。

再犯防止のためには、社会のパラダイムシフトが必要だと思う。

 

実は・・・実話⑥-12

A君が収監された独居房は

トイレ付の三畳一間。

与えられているのは横幅80cm、奥行き50cmの座卓のみ。

A君の部屋の階は幽霊が出ることで有名な福岡拘置所C棟3階。

A君は当時のことをこう述懐している。

「つらかったですね」

「なにより家族と連絡がとれないことが一番こたえました」

「でも弁護士とは連絡できるんでしょ?」

「はい、そうなんですが、週に1回、それも30分だけですよ」

「運動はどうしてたんですか?」

「午前中15分、午後15分ほど運動できますが、

私は接見禁止だったんで、運動の時も

6畳くらいの上も金網が貼ってある鳥小屋みたいな部屋で運動してました」

「しかも、軽度の糖尿と診断されてましたから

成人男性に必要な1日2000キロカロリーの半分、1000キロカロリーの糖食をたべていましたので、体重はみるみる落ちていきました。」

「出所時には腹筋割れしてましたね」

「独房内での生活はどんなでしたか?」

「なにしろ3畳一間でテレビはありましたが、裁判のための準備以外に何もやることなくて、ともかく当初は私を暴力団組長に紹介した嬉野町のY君や、教室責任者のXやHのことを恨みましたね」

「でも、いくら恨みつらみをいえども、三畳一間の独房では愚痴る相手もいないんですよ」

「そうしていくうちにだんだん辛くなってくるんですね」

「そして、気が付くんですよ。自分を苦しめているのは自分の感情だと。
なにしろいくら恨みつらみをいっても置かれている環境は三畳一間の独房ですから、何もできないんですね。
すると、自分の感情だけが、自分に圧し掛かってくるんですよ」

「まあ、そうですね」

「つまり外界というのはあくまでトリガーで、それに想起された自分自身の感情が自分を苦しめているんだと思うようになったんです」

「たとえてみれば、海におぼれていて、岸まで泳ぎ切ろうとするときにピストルやナイフを身に着けますか?」

「いや、それはないでしょう」

「そうですよね。溺れているときは、まずは身軽にすることが大切ですよね。
それでそれまで負担になっていた負の感情を徹底的に削ぎ落としていく内的なプロセスに入っていたんです」

「なるほど」

「自分のなかの負の感情を削ぎ落として行くと、シンプルな感情だけが残るんです」

「なんですか」

「愛と希望です」

「いや、いや、それはちょっと クサイのでは??」

「まあ、そう思うんでしょうけど、少し考えてみてください」

「もし、あなたが、誰とも話せず、だれかに一度だけ、言葉を伝えることができるとしたら、だれに何を伝えます?」

「う~ん・・そうですね、妻と子どもに伝えたいと思います」

「何を伝えます。ただし一言だけといわれれば」

「あなたたちを愛している、と伝えます」

「そうでしょう?それが自然な感情なんだと思います」
「それで私は古今和歌集を買って、恋歌を書き始めたんです」

「それで恋歌を書いているんですね」

「そうですね、気障に思われるでしょうが、愛している人に愛していると伝えられるだけでも人は幸せなんですよ」

「まあ、Aさんからすればそうでしょうね」

「もうひとつ大事なのは『希望』です」

「なんかさらにクサイんですけど・・・」

「でも、これもよく考えてください。自身が身体的に拘束されている状態が6か月間続いたとしたら、まあ、それも6か月後には自由になれるとして、拘束されてある期間は何を考えますか?」

「やっぱり、自由になったら何をしようかと考えます」

「そうですよね。たとえばすき焼き食べよう、とか、焼き鳥屋に行こうとか、そんなことでも想像しながらなら、現状のつらい期間は何とか頑張って耐えよう、と思えますよね」

「まあ、そうです・・・」

「それもやっぱり希望なんですよ」

「う~ん・・・・」

「私の場合もいずれ社会復帰するわけですが、社会復帰したら何をしようかと考えたんです」

「ふ~ん・・」

「それで80歳までの人生計画をたてたんです」

「へえ!!」

「それで、座卓で勉強しはじめました」

「はあ、それが始まりなんですね」

「そうですね。座卓での勉強の習慣はいまも続いてます」

「それに、身体的に拘束されてますから、自由は頭の中にしかない、という考えにいたったんですよ」

「なるほどですね」

「思考することの自由、それだけが真の自由だという持論はここで形成されました」

「そうなんですね」

「ただ、これは出所後、社会復帰してからわかったんですが、刑務所を出所して、順調に社会復帰した人のほとんどが、こうした私みたいな自分自身の心の深い部分にまで探っていって心の回復をなしていった人がほとんどだったのです」

 

「はあ・・・」

「つまり、罪を犯した人の社会復帰の起点はまずは『心の回復』なんですね」

「そうなんですか」

「そうです。これはいくら強調しても強調しすぎることはないんですが、元受刑者の社会復帰の一番肝心なことは『心の修復、心の回復』なんです。それがまず第一なんです」

「ですから反省とか矯正なんかは実質、まったく意味ないと思います。心の修復、回復がないとを罪を犯した自分自身の内部はかわりません。」

「そうなんですか・・・」

「まあ、そうなんですが、このことについては、いずれ別の機会にお話します」

「ありがとうございます」

Aさんとの対話はまだまだ続く・・・・

To be continued・・・

実は・・・実話⑥-11

A君が移送された先は福岡拘置所、
しかもC棟3階であった。
C棟3階とは独居房であり、
A君は接見禁止を言い渡されていた。
接見禁止とは弁護士以外、
誰とも会えないことであり、
家族との手紙のやり取りも禁止されていた。
つまり1日だれとも話せない日々が
結局6か月間続いたのである。

さて、C棟3階が独居房の階であることは
つまり、死刑囚もその階にいるわけである。
A君の階には北九州市で連続殺人の罪で死刑が確定した
松永死刑囚がいた。

松永はすでに気がくるっており、
髪は伸び放題、
部屋の前にはついたてがおかれ
外部からは見えないように遮断されていたが、
自傷行為防止のため、ビデオカメラが設置され
1日中監視されていた。

この階は幽霊が出ることが噂されていた。
実際、A君は何度も金縛りにあった。

A君、血液検査の結果、
軽度の糖尿病と診断され、
1日1000キロカロリーの
(成人男性の場合、平均2000キロカロリー)
糖食を供されることになった。

A君、1日誰とも話ができない状態が
その後6か月間続くのであるが、
このことがのちにA君の生活習慣、
人生観を大きく変えることになる。

さて、1日誰とも話をしない生活が6か月間続くとどうなるか?
その内的変化についてはまた、のちほど。

To be continued・・・・