誌的感性を考える。

つながりとんぼはな、
病気のトンボを引っ張っていくだわ
お医者さんのところへ
(4歳のこども)

上の詩文は4歳の子どもの言葉を
それを聞いた大人が雑誌に投稿したものである。

決して、美文をてらったものではない。
しかし、この詩文を読んだ人の多くは
この4歳の子どもに誌的感性を感じるだろう。

言葉は単にプリズムにしか過ぎない。
言葉を輝やかせるのは
あくまでその人の感性だ。
人が見ているのは
言葉を使う人の言葉の先にある、
その人の感性である。

感性の光が
言葉というプリズムを通して
言葉ははじめて虹色に輝くのである。

言葉はその後ろにある
大きな世界があってはじめて美しいものになる。

同じひとつの言葉でも
それを口にする人によって
美しくもなり
汚くもなる。

そして人は
その誌的感性を通して
自分の周りの世界を
また、新しい視点で見ることになる。

何も変わらないような世界が
ほんの少し動的に変化する。

何も変わらないように
見えていた世界が
誌的感性を通して
新たな表情を見せるのである。

誌的感性。
それを持ち続けることが
常に世界を新鮮に
感じ、思えることの
秘訣なんだろう。

洗礼を受けて変わったこと~小さな奇跡~

8月15日、聖母マリアの被昇天の日に
佐賀カトリック教会で
神父さんから洗礼を受けて
もうすぐ1週間になります。

洗礼を受けるとこれまでの罪は
神のもとで赦され、
新たな命を授かり、
神の子となります。

それで何が変わったか???
あまり大きく変わることはありませんが
先日、不思議なことがありました。

いつも右手の小指に
メダイとクロスがついた
リングをはめていますが、
そのメダイがリングから消えており、
つまりリングから外れて
どこかに落ちたのでしょう。
周囲を見渡してもありません。

さすがに焦りました。
そのメダイは聖母マリアが描かれている
「奇跡のメダイ」といわれている
フランスからの輸入品だったのです。

これが、路上に落としているのであれば
見つけ出すのは容易ではありません。
ところが、ふと、自分の腕をみると
なんと、
自分の汗ばんだ腕に
メダイが張り付いていたのです。

リングからはずれて落ちてしまったのですが
私の腕に張り付いていたのです。
まるで、聖母マリアから
「あなたの身近にいつもいますよ」
といわているように。

このときから、
「自分は聖母マリアから
イエスから護られている」感が
強くなりました。

しかし、現実には心痛することが多く
昨年10月から再スタートした
WEB解析士のコンサルタント事業も
経営的には
クライアントは増えてはいるものの
決して「楽」というわけではありません。

それでも、
心は「護られている」感が強く、
それゆえ、精神的には
「満たされている」感が強いのです。

おそらく、これが信仰につながるのでしょう。
洗礼を受けてよかった、と思っております。

そのお返しに何をやっていくか。
宗教的にはこれからの自分のテーマは
「罪の赦し」と「罪からの救い」です。
その一環として
これから、
元受刑者の社会復帰支援に取り組んでいきます。