実は・・・実話⑤

福岡県内でサッカーの名門校に
サッカー部員として在籍していたA君、
高校卒業後、地元の国立大学に進学した。

教職免許を取得するため、
女子高に教育実習にいったものの
「教員は向かない」と悟り、
どういうわけか、
大学在学中にデリヘルの
風俗店経営を始めた。

経営は軌道に乗り、
本人曰く
「女の子にサービスの手ほどきを
教えているのが楽しかった」

女の子の入店時には
年齢確認を行っていた。
18歳以上であることが要件となっていた。
しかし、時に、免許証など偽造してくる子がいる。
A君は偽造に気付かず、
18歳未満の女の子を雇ってしまった。

このことが警察にばれ、
Aくんは児童福祉法違反の容疑で逮捕、
5年の実刑を受けた。
これがA君の初犯だった。
おくられた刑務所は
いじめで有名な川越少年刑務所。
食事を取り上げられるシャリアゲは日常茶飯事。
A君は散々な目にあって出所した。

出所後、A君はフランスにわたり、
外人部隊に入隊した。
そこでフランスへの永住権を取得、
また年金を得る権利も取得した。

帰国後、A君は9年間は再犯なく過ごしたが
また、躓いた。
2刑、実刑である。

さらに出所後、仕事もなく
ネットで他人の口座にハッキング、
それが発覚し、3刑目、1年半の実刑で
石川県の金沢刑務所に送致された。

A君曰く、
「もう3犯もなると、
生きたくもないし、死にたいけど
死ねないから、生きている、という感じ」
「刑務所いても、みんな
次はどうやってうまく(犯罪を)やれるか、
ということしか考えてない」

刑務所が犯罪者養成所になってしまっているのだ。

A君自身は本来、まじめなのだが、
もう人生をあきらめきっていた。
前科3犯なのでもう何をやっても無駄だと。
また、幼少時、父親からDVを受けていたらしく、
本人も自覚していたが、
精神的にも病んでいた。

A君には再三、
福岡に戻ってきたら?
と勧めたが、
地元福岡に戻る気はないらしい。

知的水準も高く、
ハッキングもできるので
その才能をいい方向に活用し、
セキュリティー関連をやらせれば
まず、間違いなく、できる能力はあるだろうに・・・

A君、刑務所に入るたびに
「反省」はしただろう。
しかし、「反省」だけでは
あまり意味がないのである。

大事なことは、
罪の病巣となっている
自分の病んだ部分を直視し、
そこに深く入り込んで、
その部分の治癒と回復、
そして再生への内的プロセスを経ることが
「立ち直り」の起点なのである。

A君は自身も認めているように
精神的に病んだままだ。

おそらく、A君は
罪の負のスパイラルから抜け出せないでいる。
それゆえ、人に対して攻撃的となる。
自分の不満を他人にぶつけたいのだ。
しかし、それでも心は満たされず、
さらなる負のスパイラルに絡み取られる。

罪の負のスパイラル。
そこからどう救われるのか。

A君に限らず、
このことが罪ある人にとっての
最大のテーマである。

ただ、負のスパイラルから抜け出すには
まずは、自身が「罪から救われたい」と
願うことが出発点である。

「罪の赦し」と「罪からの救い」

A君が福岡に戻り、
連絡さえしてくれれば・・・・。

少なくとも私は
彼さえその気になれば、
人生の再起は可能だと思っているし
たぶん、微力ながら、力になれるだろう。

再生の起点はどこか・・・・

ワイルドは罪の人であった。
故によく罪の本質を知ったのである。
~「善の研究」(西田幾多郎)~

ワイルドの作品は「サロメ」しか読んでない。
「サロメ」は聖書の中の
イエスに洗礼を授けた預言者ヨハネが
首をはねられ、
殺されるエピソードをモチーフにしている。
濃密なまでの罪の世界。
むせかえるほどの血と死の匂い。
サロメのヨハネへの倒錯した愛。
これほどまでの人間の罪の世界を
ダイナミックに描ききった
ワイルドの圧倒的な筆力、そして知力。

ワイルドは美しい妻をもちながらも
若い男性との男色に耽った罪で投獄された。

罪の本質。
それは人間の根源に通じるものだ。

元受刑者の社会復帰を支援している
NPO法人マザーハウスのお手伝いをしている中、
元受刑者の人たちを工事現場まで
送っていったことがある。
墨田区から渋谷区まで、
40分間ほどの間、
車中、そのなかの一人
30代後半のMさんと語り合った。

Mさんは3年の刑期を終えて出所し、
現在は定職にはついていないが、
日々の日当で生計をたてていた。

Mさんとの対話は
芸術、文化、歴史、宗教と
多岐にわたった。

圧倒的な深み。
まだ30代のMさんには
深い思索に基づいた言葉が発せられた。

Mさんは
受刑中、どうして自分が罪を犯したか、
それを自身の生い立ちから、
これまでの生き方を含め、
様々な角度から自分を見つめなおしたそうだ。

自身の内部にひそむ病巣。
それを取り除いてこそ、
罪から救われる。

Mさんはそう考え、
自身の罪につながる
本質的な部分からの
自己改善にとりくんだ。
そこには様々な思考が組み合わされている。
宗教、文化、哲学など。
罪を知る、ということは
人間の根源的な本質を見つめることでもあるのだ。

元受刑者が社会復帰する際に
求められることは
反省や矯正では決してない。
ましてや杓子定規なモラル観を
おしつけたところで陳腐なだけだ。
再生のための重要なプロセスは、
自分自身の本質に深く沈降し、
そこから罪につながる病巣を自覚し、
あるいは除去し、
そこから再度浮上していくことなのだ。
その内的プロセスこそ、
再生のためのコアである。

元受刑者に「反省」や「矯正」を求めることは
基本、的外れである。
自己の病巣に、罪の本質にどれだけ向き合い、
そこから、どう浮上するのか。
そこが起点なのである。

そのためのメソッドと理論構築こそ
これから求められることだ。
ケースを積み重ね、
理論を構築する。

そうすることで
新たな社会的価値を創りだすことができよう。
と、同時にそれは決して元受刑者のみに通じるものではなく、
罪からの救いという点において
広く、一般的に認められるべき価値でもあるはずだ。

罪。
それは決して法的な罪のみを指すものではない。
誰しもが年齢を積み重ねるほど、
過去の自分にひそむ罪を感じるはずだ。

実は・・・・実話③

夫婦でバイク店を営んでいたAさん。
経理についてはある会計事務所の職員Bに
すべて任せていた。
すると、とんでもないことが発覚した。
その職員Bが3千万円ほど
Aさんのお店の経理をごまかし
横領していたのだ。

おどろいたAさん。
Bを問い詰めた。
するとさらに余罪が発覚。
他のクライアントからも
総額1億円の被害があったのだ。

Bは会計事務所を退職したが
被害者はBに返済を求めた。
窮地に立たされたBは
「フィリピンで自殺するから
オレに生命保険をかけておいてくれ」
と言い残し、フィリピンに旅立った。

Aさんを含め、
被害者はBに生命保険をかけて
受取人になった。

ところがB、
フィリピンで自殺できず、
帰国した。
そしてAV専門のビデオレンタル事業を始めた。
それが大当たり、大儲けした。

被害者たちは返済を求めたが、
Bは返済を渋った。

そこでAさんは
「ではAVレンタルビジネスを教えろ」と
Bからビジネスノウハウを学び、
自身で事業を始めた。
これで、3千万の損失をカバーしようと考えた。

事業は順調にスタートした。
チラシを周辺地域にまき、
顧客も増えてきた。

ところが、チラシをみたヤクザが
Aさんに迫ってきた。
「オレたちのシマでなにやってんだ」
ということである。
困ったAさんはビジネスノウハウをもつ
Bを紹介することにした。

ヤクザ2人(兄弟だったらしい)を車に乗せ
AさんはBのいる事務所へ案内した。
Aさんは車で待機し、
ヤクザふたりがBと交渉し終え
帰ってくるのを待った。

しばらくしてやくざ二人が帰ってきた。
ところが、二人の服は血で染まっていた。
「Bを殺してきた」
「はっ???」
驚いたAさん、すぐさま車を発進し、
離れたところまでやくざ二人を移送し、
そこで降ろした。

しばらくして
ヤクザふたりは逮捕された。
ところが、このふたり
おそらく、口裏を合わせていたのだろう、
警察の取り調べでとんでもない供述をし始めた。

「Aさんから1千万円をもらって
Bの殺人を依頼された」と。

当時のAさんに1千万円の大金はもちあわせていなかった。
しかし、状況証拠はそろっていた。
3千万円の横領による損失。
Bさんにかけていた生命保険。
動機は十分、しかもヤクザには殺す動機は見当たらない。
さらにやくざ二人の供述は完璧に符号が一致していた。

Aさんは殺人の主犯として起訴され、
懲役14年の刑を言い渡された。

控訴を考えたものの、
控訴するには
量刑不当か新たな証拠が見つかるしかない。

Aさんには新たな証拠を見出せるほどの余裕はなく、控訴をあきらめた。

Aさんは14年の刑に服した。