私の読書遍歴:「息子が人を殺しました」(阿部恭子著)

著者は加害者家族支援活動を行っている阿部恭子さん。
彼女の近著「息子が人を殺しました」は現在、読んでいるところだが、加害者家族の問題をクローズアップできたのは阿部さんの活動に負うところが大きい。
加害者家族支援の初動活動はマスコミバッシング、世間からの批判からの保護だろう。

犯罪者を生んだ家庭ということで、正確な事実検証もなく、好奇心と憶測による「悪意のある噂話」の延長線上にある批判、「犯罪の原因は家庭環境にある」という批判に加害者家族はさらされる。

また、加害者家族もまた、身内が罪を犯したことに対する世間への負い目と自責の念に駆られ、死への誘惑にかられることもあるそうだ。
加害者家族の支援とはそうした崩壊の危機にある家族のメンタルな支援も含まれるそうだが、そうしたメンタルな支援活動を行っていく過程で、身内が犯罪にいたってしまったその原因がこれまでの家族の日常に小さく巣食っていた「闇」、「小さなブラックホール」がいつしか犯罪という大きな闇につながってしまった、ということに家族が気づかされることもある。

どこの家庭にでもあるような小さな闇、ちょっとした傷、それが心を蝕み、いつしか大きな闇となる、あるいはその小さなブラックホールが全く別の大きな闇に吸い込まれてしまう、というのが犯罪にいたるプロセスのように見える。

阿部さんもおそらくそのように実感しているであろう。
それゆえ、犯罪者、加害者は一般の人からかけ離れたモンスターのような人間ではなく、いたって普通に日常を暮らしている人が、心の小さなブラックホールから、何かの拍子にするっと別の闇の領域に紛れ込んでしまった、というのが実態ではないだろうか。

そうであれば、元受刑者の社会復帰についても自身で心の病んでいる部分、傷んでいる部分の修復がまずは最初の一歩であろう。
自身の心の内を見つめ、病んでいる部分、傷んでいる部分を治癒し、回復し、そこから新たな方向に向かって進んでいく、というのが元受刑者の社会復帰の起点であろう。

そして、その「小さな闇」に気づくことが家族の回復への第一歩であり、それは何も加害者家族に限らず、「普通の」一般家庭にもいえることでもある。

実は・・・実話⑥-7

A君は詐欺の容疑で逮捕された。
佐賀バルーンフェスティバル開催の前日であった。
翌日の新聞報道では、
久留米暴力団の二次団体組長の名前Mと
教室責任者2名及び生徒、
そしてA君の名前が掲載された。

暴力団が国の助成金目当てに
詐欺をしたことで全国ニュースとなった。

久留米の教室責任者のHはその組員であった。
嬉野教室の責任者はすでに組員ではなかっただ
かつて別の組の所属していた人物であった。
そしてその後明らかになったことだが
久留米、嬉野のそれぞれの教室責任者は
生徒募集の際、
「出欠をごまかしてやるから
名前だけでも応募しとかんね。」
といって誘っていたのである。

A君はそういう背景を全く知らなかった。
そもそも暴力団組長Mにあったのも
嬉野に住む知人Y君から
「久留米の地元有力者が
開校したいっている」といわれて会ったのである。

まあ、確かに地元の「有力者」ではある。
対立する組織があるとはいえ
地元最強の暴力団であるからだ。

逮捕されたA君、
その取り調べに当たったのは
特別組織暴力捜査班の係長だった。
通称「トクボウ」
組織暴力のチームの中でも選りすぐりのチームであり、
そのなかでも現場では
最も力のある係長である。

A君の地獄の取り調べが始まった。

To be continued・・・・

私の読書遍歴:スティル・ライフ(池澤夏樹著)

池澤夏樹氏の芥川賞受賞作である。
静寂さと透明感に満ち溢れた青春小説。
私の大好きな小説のひとつ、です。

「外の世界と、
きみの中にある広い世界との間に
連絡をつけること、
一歩の距離を置いて並び立つ
二つの世界の呼応と調和を図ることだ。」

人は世界との調和を望む。
しかし、現実は必ずしもそうではない。
自分と世界との間には微妙なずれがあり、
だからこそ、そこに動的な関係が生まれる。
それがポジティブなものであればいいが、
ネガティブに作用すると
世界も自分も傷つける。

この小説は自分の世界と
外の世界との間で
静かに、調和していくことを
望みながら、
日常を生きる青年の物語でもある。

詩的な文章がつづられていく。
圧巻は雪の描写だ。

「音もなく限りなく降ってくる雪をみているうちに、
雪が降ってくるのではないことに気付いた。
その知覚は一瞬にしてぼくの意識を捉えた。
目の前で何かが輝いたように、ぼくははっとした。
雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、
ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。
静かに、なめらかに、着実に、世界は上昇を続けていた。
ぼくはその世界の真中に置かれた岩に坐っていた。
岩が昇り、海の全部が、膨大な量の水のすべてが、
波一つ立てずに昇り、それを見るぼくが昇っている。
雪はその限りない上昇の指標でしかなかった。

どれだけの距離を昇ればどんなところに行き着くのか、
雪が空気中にあふれているかぎり昇り続けられるのか、
軽い雪の一片ずつに世界を静かに引き上げる機能があるのか、
半ば岩になったぼくにはわからなかった。
ただ、ゆっくりと、ひたひたと、世界は昇っていった。
海は少しでも昇ればそれだけ多くの雪片を溶かし込めると信じて、
上へ上へと背伸びをしていた。」

これほど美しい雪の描写はないだろう。
そしてこの雪の描写は
自らの心象風景の描写でもある。

だからこそ、この一文は読む者の心に残る。