相模原市障害者施設殺傷事件から2年の今、考えること。

佐賀県の障碍者福祉計画策定のための調査を受託したことがある。
その中で佐賀県内白石町に住むある夫婦の事例が印象深かった。

その夫婦は
夫が糖尿病で両足切断、失明していた。
妻はほとんどつきっきりで看病しており
客観的に見ると
どう考えても「不幸な状況」のようにしかみえなかった。
しかし、
その奥さんはこういったのである。
「私はとても幸せです。
いつも主人のそばにいれるから」

なんだろう・・・
もう20年以上も前の話なのだが
今でも思い出し、考えてしまう。

おそらく、
奥さんの方からすると
夫がどのような状態であろうと
「かけがえのない存在」なのだ。
他に代替えすることのできない
自分にとってはただ唯一の
「かけがえのない存在」なのだ。

そういえば、
今年7月26日
相模原市障害者施設殺傷事件から2年がたつ。
知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に、元施設職員の男が侵入し、所持していた刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた大量殺人事件である。

犯人の男は
ようするに優性思想に基づき
知的障害者は社会に不要だと考えたわけである。

しかし、
外形的にはどうであれ、
障害があろうとどうであろうと
その人のことを
「かけがえのない存在」として
愛する人もいたはずだ。

であれば
他人がとやかくいう必要はない。

そしておそらく
唯一の「かけがえのない人」
と思えることが愛することの本質なのだ。

それは客観的に「みえる」何かではなく、
存在そのものが唯一でかけがえのないものと思えることなのだろう。

そして、おそらく
「かけがえのない自分」であることを認識することで
「かけがえのない生」を生きることが可能なのだ。

評価で生きることは不要だ。
「かけがえのない自分」を生きることが大切なのだ。

奄美のジェラード専門店「ラフォンテ」

奄美の赤尾木にあるジェラード専門店「ラフォンテ」 大山自然果樹農園の黒糖を使ってあります。 やはり大山さんの黒糖でないと なかなかいい甘さが出ないそうです。

受刑者の若者との文通②

北海道の受刑者であるS君への返信をやっと書き終えた。
手紙を書くというのはやっぱりパワーと時間が必要ですね。
今日は午前中空いているので、
こういう時間帯に書かないと、なかなか書けない。

社会復帰に向けて
残りの刑期をどう過ごしていったらいいのか、
それはとても重要なので、
いろいろアドバイスさせていただきました。

社会の中で
「自分が必要とされ、感謝されること」
このことを行動基準におけば
いろいろ困難はあっても
状況は好転していきます。

孤独と絶望の対極にある価値は
愛と希望です。

受刑中であっても
希望の灯を持ち続けてほしいですね