映像を撮る、世界を見つめる、「視る」ことを共有する

映像を撮る、世界を見つめる、「視る」ことを共有する

写真を撮る、動画を撮る。
映像をとる。

自分にとって、それは、日常の世界と向き合い、そこに美を見出す行為。

世界の一瞬一瞬を映像に切り取っていきたい、
日常という世界の細部に宿る美を映像に残したい。
そして、その映像を「見る」人と世界を「視る」ことを共有したい。

人が映像を見る時、
その映像をつくりだした人と
視点を共有する。

映像の鑑賞者は
撮影者と「視る」ことを共有するのだ。
そこに、世界観を共有する一瞬が生まれる。

僕は映像を撮り続ける。
僕が視る世界、
僕が感じる日常の中の美。

神は細部に美を宿した、という。
日常の中の細部。
そこにも美はある。

視覚の中で、だれかとそれを共有する。

僕にとって
映像を撮り続けるということは
そういうことだ。

人を理解するということ

子どもの頃、よく遊んだ遊園地に行ってみる。
ひどく狭く感じられる。
子どもの頃は、そこで野球やったり、肉弾という遊びをやったりと狭く感じれられることはなかった。

遠足となると1か月前から毎日が待ち遠しく、1日がひどく長く感じられた。

それが、大人になるとまるで違って感じられる。
すると、子どもを理解するというのは
一度、子どもの目線に立ってみないとわからないのかもしれない。

子どもの視点に立ってみる。
子どもの視点から見える世界。
子どもが見ている世界に
自分も立って同じ世界を見てみる。

しかし、それは子どもに対する理解のみならず、すべての人にも通じるようにも思う。

人を理解するということは何か。

何を感じているのか。
何を見ているのか。

人を理解するというのは
つまり、その人が見ている世界を同じ視点に立ってみてみることだと思う。

一度、自分の立場から降りてみる。
相手が見ている世界とは何なのか、
何を見ているのか、
どんな世界が見えているのか。
それを共有してみる。

人を理解するというのはそういうところから始まるのだと思う。

道の駅「白石」のレストラン「たんなかCAFE360°サンロクマル」

道の駅「白石」のレストラン「たんなかCAFE360°サンロクマル」

道の駅「白石」の2Fにあるレストラン「たんなかCAFE360°(さんろくまる)」。

ネーミングはおそらく見渡す限り、つまり360°「たんなか」がみえるという意味でしょう。

お昼に、サラダを食べました。
レンコンチップがのせられており、たまねぎドレッシング。
まさしく白石町の特産品、満載のサラダ。

グリルした野菜もあり、野菜をおいしくたべる工夫もしてあります。