私の読書遍歴:深読み古事記(戸矢学著)

神道の専門家、戸矢氏の著作。
いつもながら戸矢氏の博覧強記ぶりには舌を巻く。
古今東西の文学、神話に精通し、
古事記がもつ意味を
様々な角度から読み取っていく。

古事記を通して文学、生活、
歴史、神話にいたるまで
その底流を流れる私たちの生活文化
精神構造を「深読み」していく。

トリビア的「へえ×3」満載である。
知的好奇心を十分満たしてくれる。

たとえば、
「むすめ」「むすこ」それと「おむすび」が
同じ語源からつくられていることなど初めて知った。

こうした身近な事例を通して明らかにされること、
それは私たちの日常の生活の中にも
古くからある神話的思想、
そこから生まれてきた文化的コードが
いたるところに仕組まれていることである。
それは、私たちの日常から文学、
または様々な建造物に至るまで
意識的、無意識的に作用している。

私たちの生活は
このような文化的コードが
底流にあってこそ成立する。
それがなければ混とんとした社会になるだろう。

つまり、この「深読み古事記」における
戸矢氏の思考は
日本人の生活文化、精神構造の根底にある
文化的コードを古事記を通して
「深読み」することにあるだろう。

最良の教養書というにふさわしい。

私の読書遍歴~「バルテュスとの対話」

20世紀最大の画家バルテュス。
バルテュスは個人的な生活を公にすることはなく、
バルテュスによればそれは
「自分は画家としてのみ公に属するのであり、
私生活は自分の作品を理解するのに何の役にも立たない」という。

この書はバルテュスが自らの生い立ち、
交友関係、芸術文化にわたって語った
唯一の書といっていいだろう。

バルテュスの最初の画集はなんと11歳の時。
8~10歳までに描いた
愛猫「ミツ」のデッサンが
11歳のバルテュスに出会った
詩人リルケの目に留まり、
バルテュスの処女画集が発刊された。
その序文をリルケが書いている。

またリルケは13歳のバルテュスと
中国美術の系譜について語り合ったという。

そしてバルテュス22歳の時、
リルケから紹介された
パリに住むアンドレジイドの邸宅に
客として住むことになる。

ともかくバルテュスの交友関係がすごい。
ピカソ、ジャコメッティ、サルトル
カミュ、ジャックラカン、ロランバルト
ジョルジュバタイユなどフランスの芸術文化の
最高の人物と交流している。
特にピカソはバルテュスの絵画を購入している。

バルテュスは自身の絵画のことを宗教絵画といっている。
具象画でありながら、
絵画の隅々にいたるまで満ちている静溢な神性。
それがバルテュス絵画の魅力だろう。

そして日本のこと。
日本で出会った女性セツ子さんを後に妻とする。
親日家の一面もみせる。

この対話を通じてわかることは
バルテュスの文化芸術に関する理解の深さである。
限りない知性と教養に裏打ちされた芸術家であることがわかる。

バルテュスファン垂涎の書である。

私の読書遍歴:「三種の神器」(戸矢学著)

神道の研究者である、著者戸矢氏が
一貫して追い求めているのは
つきるところ、
「日本人の精神文化の源流は何か」
ということだろう。

この著書「三種の神器」は
戸矢氏のそうした研究テーマについて
天皇の地位を根拠づけるものとしての
「三種の神器」(玉・鏡・剣)を通して
日本人の精神文化を探っていく。

天皇は世界的に見ても唯一無二の
祭祀と統治をつかさどる国家君主であった。
現在は政治的な統治からは切り離され、
祭祀が中心となっているものの
(実際にはその祭祀も少なくなっているらしいが)
このような国家君主は日本の天皇だけである。

その天皇の地位を権威づける
三種の神器は何を意味するのか。

そもそも「三種の神器」は
どういう経緯でつくられたのか
またなぜそれが天皇の地位を保証するものとして
権威づけられたのか、
その形状はいかなるものか、
これらの謎について
戸矢氏は丹念に検証と推論を重ねていく。

日本書紀、古事記、風土記のみならず
弥生時代からの考古学なども踏まえながら
三種の神器の成立過程を検証していくなかで
戸矢氏は自身の神道という視点に立脚しながら
日本人の精神文化の源流とその構造を
明らかにしていく。

そして
「三種の神器」の成立過程、
その形状を明らかにしながら、
「三種の神器」が象徴する意味を明示する。

さて、その「三種の神器」が象徴する意味とは何か?
それは実にシンプルでいつの世でも求められる価値である。
それゆえ、「三種の神器」は天皇が引き継がなければならないものであろう。