実は・・・実話⑥-15

Aさんとの対話は続く・・

「雑居房に移ってからはどうでしたか?」

「雑居房は私を含めて6人でした。同居人は刑務官から『ゆるいやつがくる』といわれていたようで、『ちょっとしめたろか』と思っていたそうです」

「いじめられたんですか?」

「いえ、それはありませんでしたが、ひとりだけちょっかいだしてくる妙なやつがいましたね」

「もともとそこの同居人は初犯の軽犯罪系の人ばかりだったので、元郵便局員とか、一部上場の会社社員だった人だったり、社会では普通の仕事をしていた人が大半でした」

「じゃあ、比較的まともな人ばっかりだったんですね」

「そうですね」

「ただ、当初は人との距離感がつかめず、間が取れない感じだったんです」

「へえ、そうなんですか?」

「はい、何しろ6か月間弁護士以外の人と話をしてませんし、弁護士とも週1回程度でしたので、人と話すのは久しぶり、という状態でしたから、『この人はなにを言っているのだろう』という感じなんです。人の話がピンとこないんですよ」

「コミュニケーション能力が落ちてしまったということ?」

「はい、そうですね。もともと人との付き合いがうまい方ではないんですが、さらに、わからなくなってしまっているという感じです」

「それでは、困りますね」

「ええ、でもその部屋の同居人はみんな初犯で、お互い励ましあうというメンタリティがあったので、それなりに過ごしやすかったですね」

「そういうものなんですか?」

「はい、みんな裁判を控えて不安な日々を過ごしてますし、1日中一緒ですから、お互いの人間性もわかってくるんです」

「家族でも1日中一緒にいることはありませんし、そういう意味では妙に情が移ってしまうんですよね」

「生活はどうでしたか?」

「まあ、お菓子も購入できますし、書籍類も購入できましたから、不自由ではありますが、それなりに楽しみもありました。ほかの人は将棋に夢中になってましたね」

「将棋はやったんですか?」

「いえ、私は弱かったので、しませんでしたし、大体、WEBの勉強か資格取得のための勉強に集中してました。」

「まじめですね」

「同居人からはそういうイメージがあったようで出所後も連絡があって、再会しましたね」

「裁判の方はどうだったんですか」

「裁判は紛糾しました。ポイントは私が暴力団組長を詐欺の共謀を図ったかどうかという点ですが、それはなかったんです。しかし、刑事と検事のしつこい質問と担当検事の『お願いだからさあ』という感じの態度で、迎合したんですけど、その供述を裁判でひっくり返したものですから、まあ、検察側はあせったようですね」

「そこらあたりの話はまた次回にいたします」

To be continued・・・

50代の知識づくり②~唯脳論的自由主義~

「自由は頭の中にしかない」というのが私の持論です(笑)
身体的、経済的、時間的に自由が制限されていたとしても
頭の中だけは自由です(笑)

思考することの自由、
これを至上としているため、
思考することをやめることは
私にとって自由を失うことと同義ですね。

知識を増やすことは
つまり頭の中の自由度を高めることになり、
それは結局、思考領域を広めることになります。

ということは、
それだけ頭の中の自由の領域は広がり
自身の可能性が広がることに通じます。

子どもたちにも
「勉強することは自分の可能性を広げること」
伝えてます。

英語はできた方が海外とのビジネスチャンスは広がる、
法律は知っておいた方が間違いを犯さず、有利である、
食に関する知識は生活が豊かになる、
などなど・・・

50代にしてそのことに気づかされた自分も
まあ、それでも遅くはないかと・・・・

そしてまた自分の場合、
書きたいことがたくさんあります。
それゆえに、土日、休日は
チョーインドア、インナー生活でして・・・

じっくり、でも少しずつ、
頭の中の自由を広げながら
自分自身を進化させていこうかと思っております。

西鉄バスジャック事件、再考

先日、テレビで2000年(平成12年)5月3日に発生した
当時17歳の少年による
西鉄バスジャック事件の再現ドラマが放映された。

初めて知った、少年の事件を起こす以前のことを。
少年は学校でひどいいじめにあっており、大けがをしている。
この件について学校はきちんとした対応をとっていない。
また、学校への恨みを募らせ、
包丁を研いでいたところを母親が心配し
警察に相談したものの、
「事件ではない」ことを理由に母親の相談に対応しなかった。
また少年は、精神科に入院し、事件当日は外出許可をとっているのだ。

つまり事件の兆候はあったのだが周囲の大人がそれにきちんと対応せず、
また心を病んだ少年のケアも不十分だったのだ。

そういえば佐世保の女子高生の同級生殺人事件もまた
事件を起こした少女の病んだ心に気が付き
不安を抱いた精神科医が
児童相談窓口に連絡していた。

ここでも事件の兆候はあったのだ。

こうしてみると
社会はこれらの少年少女の事件の教訓を何も学んでいないことがわかる。

結局、こうした事件の後に起こる議論は
「少年法の改正」と厳罰化である。

しかし、事の本質は
事件の前にみられる兆候に対して
大人がきちんと対応していない、ということである。

社会で議論されることは
厳罰化による犯罪抑止、
ということに重きをなし
それ以前に重要な事件を起こすリスクのある
少年少女へのケアをどうするのか、
という議論が皆無である。

あまりにも偏りすぎる。

私自身は罪を犯した人の社会復帰の第一歩は
心の修復、回復が第一である、という考えに立脚している。
それゆえ、厳罰化による犯罪抑止よりも
心のケアによる、犯罪抑止の方が重要と考えます。

一見、狂気とも思えるような事件も
その兆候はあったのである。
そこに気が付き、心のケアを施していれば
上記2事件はなかったかもしれない。

そしてこれからは社会もまた
心のケアによる犯罪抑止に視点を置くべきだと思う。