人生後半における宗教的視座~受洗して1年、いま思うこと~

「苦難と死は人生を無意味なものにはしません。
そもそも、苦難と死こそが人生を意味あるものにするのです」
~「それでも人生にイエスという」(ヴィクロール・E・フランクル)~

人生も後半になると、程度の差こそあれ
だれでも自分の死を意識する。
私自身も昨年に父、今年は母と両親が立て続けに他界した現在、
すくなからず自分も「死」を意識するようになった。

「人生後半は死に向かう生を生きる」といったのは
ユング心理学の大家であり
元文化庁長官でもあった河合隼雄氏である。
河合氏は死に向かう生を生きるにあたって重要なのは宗教観をもつことだとも言っている。

なるほどなぁ、と実感として理解できる。

私の場合は
あらゆる宗教講話を聴講している。
真言宗、黄檗宗、臨済宗、曹洞宗、浄土宗、浄土真宗、パブテスト日本教会、カトリック教会、天理教などなど・・・

当時は救いが欲しかった。
心のよりどころとなる何かを求めていたのである。

社会復帰後、
どういうわけか
私の周囲はカトリックのクリスチャンばかりだったので
こうなる運命だったのかな、と思い
昨年8月15日に洗礼を受けた。

ルカ(LUCA)は私のクリスチャンネームである。
ルカは聖書の4つの福音書の一つを書いた聖人であり、
他の3聖人マタイ、マルコ、ヨハネとは異なり
唯一ユダヤ人ではなく、
医者として、パウロの巡教に同行した人物である。
よってクリスチャンの医者でルカのクリスチャンネームを使う人が多い。
有名なところでは「聖路加病院」だろう。

私が求めていたのは「救いの宗教」であり
そうした意味からすると
本来私の家系は浄土真宗であるが、
浄土真宗とキリスト教は同じ「救いの宗教」として
親和性も高く、共通するメンタリティがある。

特にキリスト教は
「罪の赦し」と「罪からの救い」を教義としており、
もっとも自分にフィットしたといっていい(苦笑)

受洗して1年たったいま
やはりよかったと思える。
心のよりどころができたからだろう。

どの宗教を信仰するかどうかは個人の自由であり
かりに特定の宗教を持たなくても
「死に向かう生」を生きる人生の後半では
なんらかの宗教観は必要だと思う。
宗教的視座を持つ、と言い換えてもいい。
そして死を意識することで
死から照射される
現在の「生」がより一層際立つ。

とすれば、
人生後半こそ
「生」の意味がより一層浮き彫りにされてくる、
といってもいいかもしれない。

まさしくフランクルが言うように
「死こそが人生を意味あるものにするのです」
ということが人生後半において
実感としてより深く理解できるのかもしれない。

大人の艶っぽさを考える

大人の色気とはなんだろう。
おそらく、それは「香り」のようなものだと思う。

医療施設に数年いた期間、
隣の男性から
「田中さん、こいばみらんね」と
結構、グロいエロ本を渡されたことがあった。

実は、この手の本は苦手なのである。
「ウソだろう!!」と思われそうだが、
いかにも、
男性誌の袋とじなど見ていそうに思われがちだが、
実は、まったく苦手で
げんなりしてしまうのである。

単に艶っぽさを演出するのであれば
手の表現だけでも十分色っぽいと思う。
過多に肌を露出する
フィジカルな色気よりも、
この写真のように手の繊細な表情、
これだけでも十分艶っぽいと思うのである。

ほんのりと漂う艶っぽい「香り」。
たぶん、大人の色っぽさとはそういうものだろうと思う。
そうした香りのある大人でありたい。いた

美容室ASKの林田さんのこと

佐賀市にある美容室ASKの林田さん
御年70過ぎではあるがお若い。
金融機関からのご紹介で
WEBサイトのリニューアルをしたいとのご希望に沿って
いろいろアドバイスさせてもらっている。
既存サイトが契約上、あと2年間は継続されるが
その後は、また違うものをつくりたいそうだ。

ともかく発想が若い。
何しろ70過ぎでありながら
プロが使うような画像処理ソフトの
フォトショップとイラストレーターを使って
チラシやDMをご自分で作成されている。

少々ご不満があるそうで、
それがなんと
「田中さんはさっさと自分でやってしまって
もう少し作り方を教えてほしい」とのこと・・・

3日間であらかた作り上げたいので
「さっさと自分でやって」しまうのだが
「きちんと自分でつくれるようになりたい」と
リクエストしてこられた方はほんとに少ない。
ましてや林田さんのご年齢で・・・・

ご自身でフォトショップやイラストレーターを使い、
さらにWEBサイトも自分でつくれるようになりたい
というこの高い学習意欲!

ほんとにすごい女性である。