自分の顔は福福しいか????

一昨日(1月19日)、キャベツ農家のおじいちゃんとたまたま話す機会があり、初対面ながら、「あんた、裕福そうやね」といわれた。
「いえ、まったく、です。財布の中は寒々しい限りですよ」というと
「いや、あんたは福福しい顔ばしとっ」

「う~ん、お財布の中身も福福しくなりたいもんです・・」

「いんにゃ、お金はあとでついてくっとよ」

福福しい顔をしているというのは何回か言われたことがあります。
そういわれると悪い気はしないし、
60歳過ぎると、やはり造形的な顔のつくりより
顔が持つ雰囲気や空気感が大事なんでしょう。

昨日も初対面の女性(60代)から
「田中さん、優しい顔してますね」

「あっ、そうですか???うれしいですね」

「人の良さが顔にでとっよ」
「ばってん、田中さんすぐに『なるほど』とかいうでしょ?」
「それはですね、上から目線なんですよ。もっと謙虚にならなくては」
「謙虚になって下手からのスタンスで話さないと」

ずきっ!!!
確かにそうだなあ、と(笑)

「田中さん、勘がいいでしょ?」
(う~ん・・・それはわからないなあ)

「いろいろと感じる時があるでしょ?」

まあ、確かに・・・
とはいえ、いわゆる「霊感がある」とかいうのはあまり好きではないし
そういうことを言う人も苦手。
ただ、スピリチュアルな話は好きだし、
教義や宗派によらず、宗教的な話はよく聞きます。

勘がいい、とその女性から言われるのも
まずは、その女性が出してくれたコーヒーのブレンドが大体わかったこと。
ハワイのコーヒー豆やほかのコーヒー豆をブレンドし、
そしてそれがほぼ有機栽培のコーヒー豆であることが飲んでわかりました。
有機栽培のコーヒー豆であるかどうかはコーヒーの味の滋味深さでわかります。
それに相手の気の質や、自分が発する気の変化も
注意深く感性をとがらせていれば大体わかるので、
それを相手も気づいたみたいで、「勘がいい」といわれたのでしょう。

初対面ながら、好印象だったようで、
これも何かのご縁なので、運気上昇につながればいいかな、と思った次第でした。

佐賀市の徐福伝説を考えてみる

「不老不死」の薬草を探しに、佐賀市に上陸したといわれる徐福伝説。秦始皇帝の時代ですから約紀元前3世紀のころ。

佐賀市の金立神社はその徐福を祀る神社でもあります。

日本国内には徐福を祭神として祀る神社は、京都、和歌山、三重、佐賀(2か所)と計5か所にあり、特に徐福は和歌山に居住したともいわれています。

さて、その秦始皇帝についてですが、かつて「ふしぎ発見」で放映された秦始皇帝の皇子と皇妃の顔が遺体の人骨から復元されたという話。

秦始皇帝の遺体は発見されておらず、その息子と妻とみられる遺体が発見され、顔が復元されたということです。

これはどうみても漢民族の顔ではなく、中東系の顔。

当時、世界最大の国家といえば「アケメネス朝ペルシア」。

秦始皇帝の兵馬俑をみても、ひとりひとりの顔が異なり、この造形様式は当時のギリシャ彫刻の写実主義の影響が色濃くみられます。

すると秦始皇帝のもともとの出自は中東、アラブ系の系譜ではないかと想像されます。

さて、秦始皇帝の命を受け、日本に渡来したといわれている徐福。徐福が命ぜられたのは「不老不死」の薬を探してくること。

もともとは徐福が秦始皇帝に「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」と具申したのが発端。

しかし、2回目の渡来の際に、秦始皇帝が死去し、結局、徐福は日本にとどまったといわれています。

すると、徐福の本来の目的は何だったのでしょうか???

3千人もの船団を引き連れての2回目の渡来で秦に帰国していないのです。

つまり当時の最先端の技術と軍事知識を持つ3千人が日本に移り住んだことになります。これは、例えば吉野ケ里遺跡の居住人口が推計で約千人という規模と比較すると、一大国家が成立したとも考えられます。

移住した場所は紀州、現在の熊野あたりともいわれています。

徐福は秦始皇帝に「東方に不老不死の薬草がある」と具申し、渡航の支援を受けながら、実は別の目的があったのではないか、と考えてしまいます。

秦始皇帝の系譜がもともと中東の出自で、それがユダヤ系だったとしたら。そして徐福もまた、そうだったとしたら。そしてユダヤ教の知識と文化をもった人物だったとしたら。

そもそも徐福の目的が、3千人を引き連れて、日本に移住することが本来の目的であったとして、徐福は日本に何を探し、何を求めていたのでしょうか?

少し違う目的がみえてきそうです。

熊本、美里町の天目茶碗

熊本、美里町の天目茶碗

お客さんの紹介で、熊本のとある工房に案内されました。
工房のあるじはKさん。
齢70代でありながら見た目は60代。

Kさん、もともとは土木工事や建設工事に従事していた人。
ところが、2014年、とある人が「あなたはやっている仕事はあなたがするべき仕事ではない。」といわれたそうで、その人に「いや、実は以前、竹炭を焼いている人に会った」というと、「それがあなたがやるべき仕事です。それをやりなさい。」と言われたそうです。

その後、Kさんが言うには「宇宙からメッセージが来る」んだそうで、それはまるで「奇跡のリンゴ」の木村さんのようですが、そこで「天目茶碗をつくりなさい」との啓示がきたそうです・・・・。

Kさん、これまで土木、建設業に従事していて、焼き物にはまったく経験がなく、しかも窯もろくろもない・・・・。

「できない」と思っていたところ、宇宙のメッセージ(???)は「あなたにはそれをやるために必要なものは与えられます」ということだったそうで、実際、焼き物を趣味としていた友人が他界して、その奥さんから窯やろくろの機材をゆずりうけたそうです。

その後、天目茶碗を制作し続けたところ、昨日、私がKさんのところに、お客さんの紹介で、初のご対面。

すると・・・・
Kさん「田中さん、佐賀からなんですね」

「はいそうです」

「8年前、宇宙からのメッセージで『あなたを助ける人が佐賀から一人でてきます』といわれたんですが、8年間、佐賀から来た人はいないので、田中さんが初めてです」とのこと。

「じゃあ、私がその一人ですかも」と冗談めかしていったのですが、Kさん、笑わず。

Kさん製作の天目茶碗をみながら、「これ、いいですね」と手に取ったのが写真の茶碗。
完成度が高く、いい感じの渋さ。

するとKさん、「それがいいんですか?」
「田中さんが自分の好みで茶碗を選んでいるようですが、実は茶碗が人を選んでいるんですよ。」
あっ、なるほど、それはわかるかも・・・。

茶碗が自分にふさわしい人を選んでいる、というのは、なるほど・・・・
自称、アーティストセンスがあると(笑)、思い込んでいる自分としては、こういう感覚は納得(笑)。

というわけで写真の天目茶碗を購入しました。

少々神がかったKさんですが、決して、ひとりよがりでもなく、妙に納得。
とてもいい方でした。












人にプラスの影響を与えること

人にプラスの影響を与えること

先日、飯塚のお客さんのところで、50代の女性の方ですが、カラーリングについて通信教育で資格取得にチャレンジするらしい。
どうも、私が



詩的感性を考える

詩的感性を考える

つながりとんぼはな、
病気のトンボを引っ張っていくだわ
お医者さんのところへ
(4歳のこども)

上の詩文は4歳の子どもの言葉を
それを聞いた大人が雑誌に投稿したものである。
決して、美文をてらったものではない。

しかし、この詩文を読んだ人の多くは
この4歳の子どもに誌的感性を感じるだろう。

言葉は単にプリズムにしか過ぎない。
言葉を輝やかせるのは
あくまでその人の感性だ。

人が見ているのは
言葉を使う人の言葉の先にある、
その人の感性である。

感性の光が
言葉というプリズムを通して
言葉ははじめて虹色に輝くのである。
言葉はその後ろにある
大きな世界があってはじめて美しいものになる。

同じひとつの言葉でも
それを口にする人によって
美しくもなり
汚くもなる。

そして人は
その誌的感性を通して
自分の周りの世界を
また、新しい視点で見ることになる。

何も変わらないような世界が
ほんの少し動的に変化する。
何も変わらないように
見えていた世界が
誌的感性を通して
新たな表情を見せるのである。

誌的感性。
それを持ち続けることが
常に世界を新鮮に
感じ、思えることの
秘訣なんだろう。