【わかめと白身魚、アサリのワイン蒸し】

【わかめと白身魚、アサリのワイン蒸し】

今日は、平日ですけど、休みにしました。

今はお昼時。
つくった料理は、もはや酒の肴(笑)。
日本酒は鹿島の銘酒「能古見」。

フライパンにオリーブオイルを熱して、そこに生のワカメを入れます。そして白ワインを加えて、その上に白身魚、冷凍あさりを入れます。

蓋をのせて、蒸します。
15分ほどして、白身魚も蒸し終わったら、塩をふりかけできあがり。

ヘルシーな酒の肴です。

2025年3月5日。

佐賀市大和町の「横尾商店」

佐賀市大和町にある 横尾商店

佐賀市大和町にある「横尾商店」。
TikTokでみた妻が「行ってみたい」というので、久しぶりに夫婦でランチ。

場所は佐賀市大和町。
場所はちょっとわかりづらい。

夜は居酒屋、昼はランチ主体の定食屋。
メニュは「海鮮漬け丼」「鶏のから揚げ定食」「焼き塩サバ定食」「昔ながらのオムライス定食」など。

どれもリーズナブル。

店内は柔らかな照明でいかにも古民家的な雰囲気が漂う。

夫婦で「海鮮漬け丼」を注文。
薄く醤油で漬けてあって、魚の本来の味をうまく引き出していて、上品な味付け。

もう少し醤油が欲しい人はちょっとだけ、醤油を加えます。

メインの海鮮丼のほかには「味噌汁」「豆腐」「漬物」などがついて、940円。

なかなかリーズナブルなお値段で、満足でした。

2025年3月4日

海鮮漬け丼(980円)

「徐福伝説」推論②~徐福とは何者だったのか???~

<秦の始皇帝はユダヤ人???>
かつて「ふしぎ発見」で放映された秦始皇帝の皇子と皇妃の顔が遺体の人骨から復元されたという話。

秦始皇帝の遺体は発見されておらず、その息子と妻とみられる遺体が発見され、顔が復元されたということです。

これはどうみても漢民族の顔ではなく、中東系の顔です。

 

秦の始皇帝、姓は嬴(えい),名は政といいます。
徐福もまた「嬴姓徐氏」といわれ、もともとは「嬴(えい)」の一族であり、つまり、始皇帝とは同じ一族であることがうかがえます。

 

イスラエルの特務機関「アミシャーブ」(失われたイスラエル10支族 を調査した機関)によると、この「嬴」の一族はユダヤ系民族であるとしており、つまり、秦の始皇帝、徐福ともにユダヤ民族である可能性が高いのです。

<日本人と古代ユダヤ人に共通する遺伝子>

さて、90年代、「ヒトゲノムプロジェクト」により、日本人のルーツが遺伝子レベルで解析されました。その結果、どうやら日本人には古代ユダヤ人と共通した遺伝子が組み込まれているそうです。

 

日本人に渡来人との混血化が進んだのは紀元前3世紀の縄文から弥生への移行期。このころ、縄文人は4割そして紀元後3世紀には2割にまで減少します。

 

徐福は、この縄文人との混血化が進む紀元前3世紀に渡来しています。3千人の船団を引き連れて。司馬遷の「史記」によると、その中には技術者とともに女性や子どもも含まれていたようです。

 

つまり、徐福はもともと日本に永住するつもりで渡来していたのです。同じ一族であった秦の始皇帝もそのことを承諾していたのでしょう。

 

<徐福がユダヤのラビ族であったと仮定すると・・・>

徐福はユダヤ人という可能性が高いのですが、そもそもユダヤ人の定義とは何でしょうか?
それは母親がユダヤ人であることとされています。

ただし、ユダヤ12氏族のうち、唯一、父親がユダヤ人であることが求められる氏族があります。

それがラビ族です。

 

ラビ族はユダヤ教の祭祀をつかさどる一族で、代々司祭としての役割を担っていました。

さて、徐福がユダヤ人である可能性は極めて高いのですが、ここで、徐福がラビ族であったと仮定すると・・・・・

日本で、男系で、かつ祭祀をつかさどる一族といえば、もちろん天皇家です。

 

徐福が富士山の麓に王国を築いたのは資料からして間違いがなく、しかも当時、最先端の技術者を擁していたことを考えると、当然、天皇との関わりもあったことでしょう。

そして、のちに天皇の系統から「秦」の姓を名乗るものが現れます。

 

第27代天皇、安閑天皇の子ども「秦河勝」です。

皇室の系統で皇統を継ぐ者以外は「姓」をもちます。

「秦河勝」は紀元後6世紀から7世紀にわたって聖徳太子のブレーンとして活躍し、のちに兵庫県赤穂市にある「大避神社」に祭神として祀られることになります。

この「大避神社」はもともと「大闢神社」とされ、この「大闢」とは「ダビテ」の中国名です。

 

徐福がユダヤ人でラビ族の血統であるとすれば・・・・

それは決して荒唐無稽な仮説では決してないのです。

エビス信仰の謎~なぜ蛭子(ヒルコ)は蛭子(エビス)神になったのか?~

佐賀市内にあるエビス像は840体。
日本一の数です。
ずいぶん以前から不思議に思っていたのがエビス表記。
「蛭子」をなぜ「エビス」と読むのか?
どう読んでも「ヒルコ」。

しかし、エビス神のもともとの名前は「蛭子(ヒルコ)」なんですね。
イザナギ、イザナミの第一子です。
第二子が「オオヒルメ」、すなわち「アマテラス」
ふたりは兄妹の関係です。

「蛭子(ヒルコ)」はどうやら障害があったようで、3歳になっても足が立たず、船に乗せられ海に棄てられます。
ここまでは「古事記」の記述。

ところが13世紀になって突然、「蛭子(ヒルコ)」は龍神に拾われて育てられ、兄(??)のアマテラスに参内し、アマテラスから「お前は龍神に育てられて戻ってきた。これからは民のために働け」とさとされ、「夷(えびす)三郎」と改名し、西宮神社に祀られることになります。

妹である「アマテラス」がなぜか兄になり、第一子であるはずの「蛭子(ヒルコ)」はなぜか「アマテラス」「スサノオ」の弟、第三子の「夷三郎」になって、神格化されます。

なぜ、13世紀になってこのような創作がなされ、「エビス信仰」が生まれたのか??

その謎を探るヒントはやはり「13世紀」という時代背景と西宮という立地。

13世紀、鎌倉幕府が開かれて間もないころ。
源氏が政権を得るに、決定的な戦はいうまでもなく「壇ノ浦の戦」。
源義経は水軍の協力を得て、「壇ノ浦の戦」において、平家に壊滅的な打撃を与えます。
源義経が協力を得たのは、紀伊の熊野(和歌山)水軍200余艘、伊予(愛媛)の河野水軍150艘。

水軍とは海を生活圏とする海人族に組織された軍事力。
当時の海人族は水軍をもち、また海運や交易などでも経済力をもつ一大勢力。
政権を得たばかりの鎌倉幕府はこの海人族を味方につけておく必要があったはずです。

また、海人族は自らの正当性を得るために、アマテラスを主神とする中に自分たちの神を位置づけさせたかった。

そこで、海に棄てられた「蛭子(ヒルコ)」を蘇らせて、「アマテラス」の弟として「格下げ」し、「夷三郎」として前述のシナリオを創作し、新たに神格化させた。

そして、紀伊の熊野(和歌山)水軍と伊予(愛媛)の河野水軍の勢力が拮抗する立地「西宮」に「夷神社」を創建した。
海を守り、福をもたらす神として。

そう、七福神の福をもたらす神々が船でやってくるように。

このような推理は状況証拠からしてほぼ間違いないと思っています。
ちなみに、西宮の産婦人科ではダウン症の子どもが生まれると「福の神が生まれた」といい、祝福するそうです。
ちょっと、いい話ですね。

さて、なぜ、海から福の神々がやってくるという、神話がどこで生まれたのでしょうか??
ここでもう一歩踏み込んで考えてみるのも面白いかと・・・(笑)

日本でのその起点となった出来事があるはずで、おそらくそれは徐福にあったものだと考えています。

昔々、白石町は海の街でした・・・

佐賀県白石町。農業のまちです。

白石町福富にある「道の駅しろいし」は有明海沿岸道路の福富インターを降りてすぐにあり、平日休日を問わず、多くの来店客でにぎわっています。
そこでは、地元白石町で採れる新鮮な野菜を購入することができます。
れんこん、いちご、とまと、レタス、ブロッコリー、カリフラワー、たまねぎ、長ネギなど。
キノコ類やもやしを除けば日常生活で食するほぼすべての野菜を買うことができます。

今では農業の町として知られる白石町も、古くは海を生活の基盤とする海人族の町だったようです。
白石町龍王崎に鎮座する「海童神社」。
そこに祀られてある祭神は豊玉姫命、豊玉彦命、埴安姫命。豊玉姫は海神(龍神)の娘です。
「龍王崎」という地名からもわかるように、おそらくここは古くは有明海を眼前にみる地域だったのでしょう。
また、この「龍王崎」には古墳もあり、つまり、海を眼前にしたこの地域は、動物性たんぱく質を得るために、有明海の魚介類を獲り、食料を得ていた海人族の地域であったと考えられ、「海童神社」は豊漁と海の安全を祈願する神社であったと考えられます。

「海童」と名付けられた神社は有明海沿岸地域によくある神社(熊本にもあります)で「海童」と書いて「わたつみ」と読むとこともあるようです。

「わたつみ」とはおそらく元々は「海人津見(あまつみ)」であったでしょう。
「あまつみ」が「わたづみ」に転訛した、と考えると、「あづみ」もまた「あまつみ」からきているものと考えられます。

そういえば長野県安曇野市。ここは九州の志賀島を中心とした海人族が移り住んだといわれています。
「あまつみ」の人たちが移り住んでいたことから「あずみ」「安曇野」になったのでしょう。
実際、安曇野市内にある「穂高神社」の祭神は穂高見命(ホタカミノミコト)、綿津見命(ワタツミノミコト)と瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)であり、綿津見命(ワタツミノミコト)は海の神様です。
また、「穂高神社」で催される御船祭は船を模し山車をぶつけ合う祭です。

こうしたことからも海人族が海上交通の利便性を利用して広範囲にわかる生活圏を築いていたことがわかります。

神社の由来はその土地にまつわる古くからの記憶を今につたえているのでしょう。
身近な神社を調べてみるのもいいかもしれません。

佐賀県白石町海童神社
長野県穂高神社御船祭