自分の前世を考える②~奄美について~

奄美に行くと強烈なノスタルジーにおそわれる。
魂の故郷といってもいいような懐かしさを感じるのだ。

ずっと前から、
いつか奄美に行くだろうと予感していたが、
奄美に来てみて、
自分はかつて奄美に住んでいたのだという
確信にみちた印象を得た。

奄美に来た、というより
奄美に戻ってきた、という感覚が強い。

また、大島紬や泥染めの服を試着してみて
さらに自分の前世がわかったように感じた。

やたら大島紬や泥染めの服が似合うのだ。
しかも女性ものの服が・・・

昔から人から
女性的な資質を指摘されてきた。
某所では30代の若者から
「田中さんは小学生の女の子みたいだ」と
いわれたこともあり、
妻からは
「タクはお姉系だよね」などといわれたこともある。

自分のインスタグラムの画像を見て
「20代か30代の女性かと思った」とも
いわれたこともある。
といっても同性愛者ではなく
恋愛対象はあくまで女性ではあるんだが・・・

感性が男性のそれではなく
女性の感性なのである。

おそらく、前世は
奄美の少女だったと思う。
それもクリスチャン。

だから奄美の教会に行くと
これもまた妙にしっくりくるのだ。

なにか男性からの抑圧で夭折したのだろう。
そして今世では
女性ではなく、男性として生まれてきた、
しかも少女のころの感覚をそのままもちあわせたままで・・・
だからどこか大人になりきれず、
また妙にハンドメイドの女性ものアクセサリーに興味が惹かれてしまうのだ

という前世のストーリーが自分の中ではぴったりくる。
これまでの自分のなかの疑問が
すべて氷解したといってもいい。

これでからも奄美に行く機会は増えるだろう。
いや、奄美に行くというより
奄美に戻っているのだ。
魂の故郷に・・・

新しい人間関係を考える

復帰して2年。
人とのかかわり方が大きく変わった。
いぜんはどこか人との関わりに
自分を優位に置きたい、という気持ちが
少なからずあった。

それはおそらく多くの人にも
程度の差こそあれ
すくなからずあるだろう。

学歴、職業、収入、名声、外見、住まいなどなど。

そうした中でどこかで自分が優越感をもてる「何か」
それを探ってしまう気持ちがどこかにあった。

しかし、いまは
「必要とされ、感謝される」ことを第一義としている。

すると、随分、楽になるのである。
自分をよく見せようとか
余計なことを考えずに済むし
等身大の自分でふるまえる。
それが楽なのである。

また、そうしたほうが人間関係はうまくいくことにも気づいた。
そうしてみると
それぞれの人がそれぞれの人生の課題を持っていることもみえてきた。

だから、どちらの人生がいいかどうかという比較はまったく無意味なのである。
それぞれがそれぞれの課題に取り組んでいる、
ただそれだけなのだ。
そして自分はただこれからの自分の人生の課題に取り組むだけで十分なのだ。
それだけで意味のある生を生きることができるのだ。

量子力学的にこの世界を考える・・・

量子力学では観察者によって現実は変わってくるらしい。
有名な「二重スリット実験」では
電子は観察者によって
波と粒子の2つの性質を使い分けている、
という事象を立証した。

また、「量子もつれ」にある状態の2つの量子は、
物理的にどんなに距離を隔てても同一の振る舞いを見せるらしい。

物理の世界でさえそうなのだ。
であれば、
私たちの日常さえも
私たちの見方によって現実は変わりえる。

おそらく、
私たちが現実をどのように「観察」し
どのように解釈するかによって
現実は変わりえるのだ。

私たちの意識が
「量子もつれ」を起こし
まったく別の場所で変化を起こしているとしたら・・・

この世界は創造と可能性に満ちているはずだ。