1年が過ぎて・・・

凧が一番高く上がるのは、
風に向かっている時である。
風に流されている時ではない。
(ウィンストン・チャーチル)

昨年9月6日に佐賀に戻ってきて1年が過ぎた。
この1年間を振り返ると、
まさしく上のチャーチルの言葉に集約できるだろう。

逆風である。
とはいえ、高度は不十分ながら、上昇基調にある。

心痛することは山ほどある。
しかしながら、
「生きている」ことが面白くなった。

おそらく、不幸なことでも
そこに意義を見いだせることに
なったからであろう。

これは自論だが、
不幸な出来事を、
不幸なままに解釈していることが
最も不幸なことだと思う。

人生に不幸なアクシデントはつきものだ。
しかし、そこには必ず別の意義があるはずだ。
それに気づけば、
不幸は不幸ではなくなる。

先日、不思議なことが起きた。
熊本で打ち合わせのアポが入っていたが、
先方の都合でドタキャンになってしまった。
楽しみにしていたので凹んだが
翌日、クルマのタイヤがパンクし、
もし、熊本出張中、
高速道路でパンクしようものなら、
大事故にもつながりかねなかったことを考えると
命拾いをした、ともいえるのだ。

「護られている」そういう感覚に包まれた。
主イエスと聖母マリアに、である。

どんなことにも意義があり、
意味がある。
それは決して
楽しいことではなく、
辛いことであってもだ。

そう考えると、
生きることは俄然、有意義なものになる。
それがたとえ、つらいことであっても。

まだまだ逆風だ。
しかし、だからこそ凧は高く舞い上がるのである。

 

私の読書遍歴・・「蹴りたい背中」(綿谷りさ)

認めてほしい。
許してほしい。
櫛にからまった髪の毛を
一本一本取り除くように、
私の心にからみつく黒い筋を
指でつまみ取ってごみ箱に捨ててほしい。
人にしてほしいことばっかりなんだ。
人にやってあげたいことなんか
何一つ思い浮かばないくせに

綿谷りさが19歳で芥川賞を
受賞した小説「蹴りたい背中」の中の一文。
19歳の少女の感受性が
大人になった今でも私の胸をうつ。

だれもが人に理解されることを望む。
理解されたいと望み、
言葉を紡ぎ、語り、
誰かと感情を共有し、
共感してほしいと願う。

だが、時として、
人からの無理解に悶々とし、
あるいは、人への理解はおろそかになり、
ゴツゴツとした人間関係の軋轢に
苛まされる。

いつしかそれは
「櫛にからまった髪の毛」のように
心に絡まっていく。

そして、
「一本一本取り除くように、
私の心にからみつく黒い筋を
指でつまみ取ってごみ箱に捨ててほしい」とも願う。

しかし、
それでも人は誰かと感情を共有し、
共感したいと願い、
あるいは同情し、喜び、涙する。

いつだって人は
心のつながりを求めている。

多くの愛憎を繰り返しつつ、
そのなかでも人は
愛し、愛されることを
望んでいるのだ。

 

誌的感性を考える。

つながりとんぼはな、
病気のトンボを引っ張っていくだわ
お医者さんのところへ
(4歳のこども)

上の詩文は4歳の子どもの言葉を
それを聞いた大人が雑誌に投稿したものである。

決して、美文をてらったものではない。
しかし、この詩文を読んだ人の多くは
この4歳の子どもに誌的感性を感じるだろう。

言葉は単にプリズムにしか過ぎない。
言葉を輝やかせるのは
あくまでその人の感性だ。
人が見ているのは
言葉を使う人の言葉の先にある、
その人の感性である。

感性の光が
言葉というプリズムを通して
言葉ははじめて虹色に輝くのである。

言葉はその後ろにある
大きな世界があってはじめて美しいものになる。

同じひとつの言葉でも
それを口にする人によって
美しくもなり
汚くもなる。

そして人は
その誌的感性を通して
自分の周りの世界を
また、新しい視点で見ることになる。

何も変わらないような世界が
ほんの少し動的に変化する。

何も変わらないように
見えていた世界が
誌的感性を通して
新たな表情を見せるのである。

誌的感性。
それを持ち続けることが
常に世界を新鮮に
感じ、思えることの
秘訣なんだろう。

「過ちは 繰返しませぬから」の碑文を考える

この時期になると、
ついつい考えてしまう
広島平和記念公園内に設置されている慰霊碑に
刻まれている碑文、
そこにはこう書かれている。

「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」

この碑文について
「『過ち』は誰が犯したものであるか」ということは、
建立以前から議論があったらしい。

1952年8月2日、広島議会において
浜井市長は
「原爆慰霊碑文の『過ち』とは
戦争という人類の破滅と
文明の破壊を意味している」と答弁したそうだ。

日本語は主語がない場合が多い。
たとえば、川端康成の名作「雪国」の冒頭文。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

この文章には主語がない。
海外ではこの文章をどう訳すのだろうかと不思議に思う。
英語などをみても、主語と述語はセットである。
しかし日本語は主語がないことで
「誰が」「どうした」ということより
「どういう状態か」ということが重要となる。

そのことを考えると、
広島平和記念公園内の碑文については
「誰が」過ちを犯したか、
ということより、
原爆が投下された「状態」が過ちなのである
と理解した方が適切ではないだろうか。

もし、これが
民間人の大量殺傷したアメリカの過ち
とした場合、この碑文は
日本がアメリカの過ちを訴える内容となり、
原爆の非人間性を世界共通の問題として
浮揚させることはできなくなる。

どこかの某国のように
延々とアメリカの戦争犯罪を訴える碑文となる。

しかし、それでは、
原爆を世界共通の問題として
多くの人の共感をえることはできないのではないだろうか。

日本とアメリカの関係を超えて
原爆そのものの「過ち」を訴えることで
初めて、世界の人々の理解と共感を
得るのことができたのではないか。

そう考えると
この碑文は日本語の特質を活かした
日本人の知恵ある碑文として
誇りにしていいと思う。

高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」の作詞、加賀大介さんのこと

この時期、地元の声援を受けて出場する
高校球児の活躍が楽しみのひとつになる。
高校野球でどうしても思い出すのが
大会歌「栄冠は君に輝く」の作詞家、加賀大介さんのことだ。

高校野球大会歌は1948年、朝日新聞社の大会歌詞募集で
加賀さんは後に妻となる中村道子さんの名を借りて
応募し、見事、5,252篇中の1位となった。

賞金は当時の金額で5万円、
当時の公務員給与の10倍以上だったらしい。

加賀さんはもともと野球少年で
16歳の時、練習中足を怪我し、
その怪我が悪化し、右足を切断した。

野球の夢は断たれ、
その後、加賀さんは詩作にふけるようになり、
プロの文筆家となった。

そうした中、
朝日新聞社の大会歌詞募集を知り、
後に妻となる中村道子さんの名で応募、
見事、「栄冠」を勝ち取ったのである。

加賀さんは
自分の作詞であることを伏せていたのだが、
1968年に真相を明かし、
その後は「加賀大介作詞・古関裕而作曲」と
表記されるようになった。

加賀さんは甲子園で
高校野球を見ることを夢見ていたが
その夢を果たすことなく、他界した。

野球少年であった加賀さんは
足を切断した時に
夢を断たれた。

しかし、詩作に耽け、
高校野球の大会歌を作詞することで
加賀さんは高校野球に永遠に名を残すことになった。

加賀さんの野球への情熱は
高校野球への夢は
別の形で実現したのである。

人生は決して直線的に進まない。
流れがよどめば、
別の道を見出し、
新たな流れをつくりだす。
そして宇宙は必ず新たな接点を見つけ出すのだ。